ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
挿話その九「暗雲(後)」



「前檣より合図! 左舷十時に艦影複数!
 進路は十時より三時! 中速!」
 そろそろ侯爵の居城も視界に入ろうかという時になって、見張り所から報告が入った。グレンジャーが抗するならば、フネが配置されるのは城の直上かその周辺である可能性が高いと机上演習では結論づけられていたが、少々当てが外れたらしい。
「十時より三時……こちらの頭を押さえるつもりですな」
「やる気十分だね」
 無論、予想が外れたからと艦隊が足並みを乱すわけではなく、それに合わせた対応がとられる。この場合は、敵の増援が現れた場合と同じ対処が選択され、艦隊は主力と遊撃に分かれて敵を挟撃する予定だった。既に竜騎士は発艦している。数は多くないが、帆を焼くだけでも十分だ。
 しばらく進むうちに、ウェールズらがいる指揮所の窓からも相手のフネやグレンジャーの城が見えてきた。数は五隻、どれも縦横比の大きい高速船のようだ。
 ウェールズは当然ながら激発を押さえようと自らをしてグレンジャーへと乗り込んだのであるが、到着早々に望みは絶たれてしまった。先に送り出した使者も、下手をすれば殺されているかも知れない。
「彼らは城を守ることよりも、風上を選んだようですな」
「ここまで戦意を見せられては、どうにもね。
 私が出向いてきた意味も、半分ほどはなくなったかな?」
 今日のように天気が良ければ視程は数十リーグにも達するが、艦砲の有効射程は二リーグ、約二千メイルもあれば長い方だ。幾度も修正射を繰り返せる上に動かない城門が相手の攻城戦ならばまだしも、互いに複雑な三次元の動きをする対艦戦では、単なる景気づけにしかならない。必中を期するなら、千メイル前後が望ましかった。
 それ故に、敵を発見してから実際に戦闘が行われるまでの間に、かなりの時間が経過する。緊張は保ちつつも、妙に間延びした時間が流れてしまうのが、ハルケギニアに於ける空海戦の常だ。この時間を有効に使える者こそが、真の『船乗り』とも言える。
「敵艦隊との距離、五リーグを割りました!」
「副長、取舵! 運動旗揚げ!」
「宜候! とーりかーじ!」
 艦がゆっくりと傾き、進路が左に向かう。横列がそのまま縦列になるのだ。一旦は風に逆らうことになるが、先手を受け流せるだけの戦力差があれば、こういった無茶もまかり通る。
 合わせるように左翼に並んでいた艦が『ヴィジラント』に続く。
 反対に、右翼に並んでいたフリゲートは敵艦隊の進行方向を押さえにかかった。正面から殴り合うには不向きなフリゲートだが、高速の遊撃部隊としては無視し得るものではない。
「敵艦、発砲!」
 横腹を向けつつある敵の艦列から、白煙が立ち上った。
 少し遅れて、砲弾の風切り音が『ヴィジラント』の前方を通過する。
「ふむ、この距離で撃ってきましたな」
「海賊から逃げる商船が、偶然の命中を期待して撃つことはあるだろうが……。
 参謀長」
「はい、殿下」
「現時刻をもってグレンジャー『元』侯爵並びに侯爵軍を反乱軍と規定する。記録しておけ」
「はっ、了解であります」
 発砲を繰り返す敵の艦列が、徐々に大きくなってくる。
「敵艦との距離、三リーグ!」
「風石機関、一つ下げ」
「アイサー、一つ下げ」
 艦長の指示で艦が微妙に上下する。戦闘時に風石の消費が大きくなる理由でもあるが、ゆるい弧を描いて飛んでくる砲弾に的を絞らせないようにしているのだ。
「予定通り距離二リーグで切り返すぞ!
 全艦左砲戦用意!」
 艦長の下令と同時に伝令が走り、下層の砲甲板からくぐもった怒鳴り声がウェールズのいる指揮所まで届く。
 大きく艦を傾けて急旋回をする切り返し術は、空海戦ではよく使われる戦術の一つだが、幾ら綱で動きが制限されてはいても、大砲が艦内で暴れては大惨事になるのだ。下士官達が水兵を叱咤して待避を急がせているのだろう。更には切り返し直後に砲戦が開始されるから、尚のこと彼らは忙しくなるはずだった。
「敵艦まで二リーグ!」
「風石機関、二つ上げ! 面舵一杯!」
「おもーかーじ!」
 構造材のきしみで艦全体を震わせつつ、『ヴィジラント』は大きく右に転舵した。少し乱暴だが、行き足を殺さずに上手く風に乗せる。艦長の腕の見せ所だ。
「後続はどうか?」
「問題なーし!」
「遊撃部隊、回頭はじめました!」
 同時に聞こえてきた敵弾の風切り音は、先ほどよりも余程近い。
 ウェールズも報告につられ、後方を見てみる。一糸乱れぬ、とまでは行かないが、即席の艦隊にしては及第点と言えた。艦隊司令官は概略を指示することはあっても、基本的に個艦の運動には口を挟まないから、戦闘中でも艦長ほどは忙しくない。要約してしまえば、大事なことは引き際の見極めだけなのだ。
 逆に、今の艦隊運動は旗艦を先頭に後続各艦が追随する単縦陣であるから、この『ヴィジラント』の艦長などはウェールズ以上に忙しかった。
「副長、砲戦指揮を執れ!」
「アイサー!
 砲門、開ーけー! 目標、敵先頭艦、統制不要!
 準備出来次第、射撃せよ!」
 ばたんばたんと階下の甲板から砲門の開く音が幾つも響き、続いて艦載砲独特の、水車の歯車が擦れあうような移動音が聞こえてくる。艦上で使いやすいようにと陸上の砲に比べて小さな車輪をつけるので、そのような音になるのだ。
 そろそろこちらの砲撃が始まるかというその時、後方より遠い命中音が聞こえてきた。回頭直後の行き足の分、互いの距離が縮んでいるから、敵艦の弾も当たるようになってきているのだ。
「三番艦『トライアンフ』被弾!」
 船体中央から煙が上がっているが、こちらから見る限り被害はよくわからない。
 続いて今度は、より近い火薬音が船体を震わせる。
 三層ある砲甲板の上層に置かれた砲から順に、こちらの射撃も始まったのだ。下に行くほど重い砲が置いてあるので、当然ながら射撃の準備時間が短く済む口径の小さい砲からの射撃となる。
 ウェールズも敵艦の方に目を向けていたが、突然、がつんという衝撃が『ヴィジラント』に走った。敵弾が命中したのだ。
 命中したのは船尾付近のようだが、それ以上の騒ぎにはならなかった。大口径砲ならば、外装と言わず構造材が引きちぎられ、下手に当たれば一撃で航行に支障が出たりもするが、口径の小さい砲弾では、外装は貫けても内部ではね回るほどにはならない。人に直撃しなければ大した被害は出なかった。
「射撃の間隔や砲弾の威力から推察するに、敵艦の備砲は最大でも二十四リーブル砲、かつ片舷二十門以下、というあたりですな」
「先日捕らえた海賊と同じような性能のフネだね」
「数を揃えられているわけでもありませんから、海賊稼業ならともかく、こちらと正面切って砲火を交えるには少し無理があるかと。
 それが判らない連中ではない、とは思うのですが……」
「ふむ、侯爵の命令かな? いや……」
 参謀の推測通りならば、艦隊同士の単純な火力比は八対一程度、砲の口径まで考慮すれば十倍以上となってしまう。それでも侯爵の命令ならば、こちらに被害を与えつつ耐えて善戦するしか彼らに残された道はない。
 だが、グレンジャー侯爵にそこまでの人徳があっただろうか?
 ウェールズは徐々に火力の衰えていく敵艦列を眺めながら、ふと脳裏をよぎった疑問にとらわれていた。

 結局、戦闘は短時間で決着がついた。風石機関に命中したのか墜落したものが二隻、残りは船殻が穴だらけになって沈黙した。やはり、圧倒的な火力差が物を言ったのだ。
 ウェールズは艦長らと協議して頭を押さえていたフリゲートを呼び戻し、ほぼ砲撃の途絶えた敵艦の拿捕を命じた。『ヴィジラント』も含めた戦列艦はそのまま地上に降り、陸戦隊を降ろす作業に入る。
 城は依然として沈黙を保ち、隣接する街にも人影はない。奇襲を受けないようにと十分な警戒を命じて陸戦隊を送り出すと、あとは侯爵の捕縛を待つばかりとなった。
 いくら王の名代でも、安全の確認出来ぬ場所に皇太子がのこのこと出かけるわけにはいかないのだ。全てのお膳立てが整えられるまでは禁足されているに等しいが、ウェールズにもそのことが理解できるだけに文句は言えなかった。法務担当の文官とともに、大人しく『ヴィジラント』の艦内で報告を待つ。
「しかし、どうにもね」
「いかがなさいましたか、殿下?」
「うん。
 ……怪我をしたり亡くなったりした兵士達には申し訳ないが、地方叛乱の討伐とはこのように予定通りに進む様なものだったかなと、少し疑問に思ってね。
 突発事態を望むわけではないが、どうも腑に落ちない」
「酒場の押し込み強盗を取り押さえるのと、基本的には代わりありませんからな。
 兵士の代わりに軍艦を差し向けるだけのことです。
 それにこちらがなりふり構わず、園遊会への参加艦さえも投入して急襲を選択したということが、この結果をもたらしたと言えます。
 グレンジャー侯にすれば、それこそ予定外だったのではないでしょうか?
 急派される小艦隊程度ならば独力での排除も十分と思っていたところに、殿下直卒の戦列艦を含む艦隊では、自棄をおこすには十分かと」
「身も蓋もないね。肯定せざるを得ないが」
 ウェールズは意味もなく窓の外に目をやった。グレンジャーの町並みは見えるが、兵士もフネもここからは見えない。
「この状況に至っては、法理の上でも情の上でも、流石に庇い立ては出来ませぬ」
「当初は助命の上、国外への追放なども考慮していたんだがな。
 こちらの望むような筋書きには……」
 ウェールズらの耳に、船体さえも震わせるる轟音が複数重なって聞こえたのは、その時だった。
 何事かと文官と二人顔を見合わせ、頷き合って指揮所へと走る。
「艦長!」
「殿下、してやられましたぞ!
 奴らめ、拿捕のためにと横付けしたフリゲートごと……ええい、忌々しい!」
「自爆、したのか……」
 憤る艦長に案内されて登った指揮所直上の露天見張り所からは、立ち上る煙が見えるばかりだった。

 事態の収拾に丸一日を余計に費やしてウェールズが引き上げを命じた時、ロンディニウムへと帰還する艦隊は半数になっていた。
 現地の治安維持のためにと残した三隻も差し引いての数だが、敵船の爆沈に巻き込まれたフリゲート三隻とその乗組員の大半が喪われたことは大きな痛手だった。敵艦の拿捕を命じられたフリゲートの艦長以下、乗組員らが警戒をしていなかったわけはないだろうが、結果を見れば空軍側の油断を論じられても反駁は難しい。
 その上、当の侯爵も含め主立った家臣のことごとくは戦死または行方不明、殆どが自爆した武装商船に乗り組んでいたと屋敷に残っていた僅かな使用人達から聞かされては、それ以上の追求は出来なかった。
「どうにも釈然としないんだよ。
 特に侯爵が、家臣だけでなく妻子を道連れに爆死したことが引っかかる」
「生き残りの証言でも、間違いないようですな。
 戦場へと妻子を連れて行くのは愚か極まりない行為に思えますが、或いは戦況次第でそのまま領地を捨てて逃亡することも予定していたとすれば、フネに同乗させることそれ自体は不思議ではありませぬ。
 ただ、土壇場で自暴自棄に走った点は、私めにも解せませぬな。
 降伏の機会、脱出の機会は十分にありました」
「ふむ」
「事の発端となった他家を巻き込んでの航路の締め上げなどは、憚りながら理にかなう戦術でさえあったと思いますが、正直申し上げて、王政府に事が知れて以後の侯爵の対応は、狂っていたとしか思えませぬ。
 特に、先の艦隊戦などはお粗末に過ぎますな。
 興奮した素人が助言も容れずに指揮を執っていたと言われた方が、まだ納得出来ます」
「……君もそう思うか」
「はい」
 ウェールズらが園遊会へと出席する間にも詳しい調査が行われるだろうが、当事者の大半が死していては大した情報にもなるまい。
 心中にどうにもならない不快感を抱え、ウェールズはため息を一つ吐き出した。
 その姿は悩める父王に瓜二つであったが、そのことを指摘する者は誰もいなかった。


 だが、空賊による航路襲撃より今回の叛乱までが、たった一本の細い糸で操られていたとは、ウェールズらも気付くことはなかっただろう。
 当事者の口が閉ざされては表に出てくるまいが、グレンジャー侯爵は精神を狂わせる魔法薬をそれと知らずに与えられ、自意識を巧みに誘導され、増長の末に狂喜に支配され、叛乱の首謀者として使い潰されたのだ。
 糸の引き手は、額に古代語の刻まれた一人の女性だった。

「心を壊す魔法薬も、使い方ひとつね。
 ふふ、単に心を狂わせるのに使うのは勿体ないくらい」
 狂喜に満ちた笑い声がグレンジャーにほど近い暗い森の中で響いたが、それに気付いた者は誰もいなかった。
「薄めて徐々に使うなんて、作らされたエルフは考えもしなかったでしょうけれど……」
 フードの上から、彼女は自身の耳元を愛おしそうに押さえた。そこには主の声を彼女に伝える、魔法の耳飾りがつけられているのだ。
「エルフの手によるとは言え、処方の伝えられている魔法薬でさえこの程度のことが出来るもの。
 これ以上の力を持つ『アンドバリの指輪』とやらは、さぞ遣い出があるのでしょうね。
 うふふ、この白の国全土を壮大な遊技盤に仕立てて見せますわ。
 ああ、ジョゼフ様……」

 彼女の名はシェフィールド。
 ガリアの現王を主に持つ、伝説の使い魔だった。






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