ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第二十九話「領地と爵位(後)」



 リシャールは、ようやく混乱から立ち直りつつあった。
 まさに降って湧いた話であるが、動き次第ではカトレアとの結婚に大きく弾みがつけられる。三人には三人なりの意図や政治もあるのだろうが、祖父らに不義理をせず、自らの信用も傷つけないなら、問題にはなるまい。
「あの、アルチュール様、具体的には私はどうなるのでしょう?」
「そうだな、エルランジェ伯爵家の分家として、新しく領地拝領を受けた勲爵士の家系が一つ産まれる、ということになろう」
「まあ、滅多にはないじゃろうが、従軍の際には王家の指揮下で参陣することになるの。
 流石に商会には軍務の経験のある者はおらんじゃろ?
 ジャン・マルクの出奔を許したのは、この話にも絡んでの事じゃ」
「商会経営の片手間、というわけにはいかないから、そちらの方は誰かに任せてしまうことになるだろうね」
 なるほど、領主であるからには商会の方は手放すことになってしまうのだろう。実際は代理人を立てて、経営を続けることになるか。
「もう一つ、重要なことがあるのじゃがな」
「はい」
「リシャール、お主は幾らまでなら出せる?
 足りない分はわしらが貸し付ける、ということになるかの」
 王領は『売られる』のであって、リシャールが功績を上げて下賜されるのではない。取引であるからには、例外なく金銭の授受が付いてまわる。
「すぐに出せるのは五千エキューというあたりでしょうか」
「ふむ、すぐでないならどうじゃ?
 一年あらばそれなりの額は稼げよう?」
「今年いっぱいであれば……そうですね、二万エキューぐらいまでならなんとか」
 嘘ではない。だが、全力でもない
 錬金鍛冶に集中できれば、『亜人斬り』三十本で三万エキュー、そこから税と材料費を引けばそのあたりにはなる。月に三本なら、商会とカトレアのことを考えてもかなり余裕を持って作れるはずだ。本気で無理をすれば、その倍はいけると見積もっている。
 それに、もしも先に領地が得られるのならば自らが領主になるので、課税されることもなくなる。千エキューの代金は、丸々リシャールの手に残るのだ。
 それらを勘案して、リシャールは少々辛く見積もった上で、二万エキューと言い切った。
 だがリシャールは計算によって、封建領主である三人はその立場故に、それぞれ気が付いていなかったことがある。
 下級貴族の三男坊が一年かければ集められると断言した金額として考えるならば、それは異常の一言に尽きるのだ。下級貴族でも土地持ちならばともかく、二万エキューという額は、平均的なシュヴァリエ四十人分の年金に相当する。
「ふむ、十年ならば二十万エキューか……」
「領地からも収入は上がりますし、無理のないあたりではないですか?」
「その金額ならば、十分すぎるのう」
 アルチュ−ルは、リシャールに向き直った。
「リシャール、ちとこちらに来て地図に注目せい」
「はい」
「一応別にまとめさせておいたが、わしが聞いたうちで、比較的よい土地だと判断したのはこの四カ所だ。
 西にある海沿いのアロン、ガリア国境に近いル・シャトリエ、東北部の港町ラマディエ、そしてこのシュレベールは鉱山があるな。
 このうちのラマディエとシュレベールは隣り合っておるか。
 いずれも一等地とは言えんが、それなりの土地だ」
 同時にアルチュールから手渡された紙には、その他にも幾つかの土地の名と、売り出しの価格、面積、基本的な税収などが、短い説明とともに書かれてあった。
「先に挙げた四カ所はいずれも条件が緩やかでな。
 他は国境警備のための兵士の供出が約されたり、軍の駐屯地があったりするので除外しておいた」
 貴族には軍役が当然のようについてまわるが、平時から大軍を擁するとなると、まともな経営が出来るはずもない。もちろん、亜人退治や野盗討伐、治安の維持などにある程度の領軍の維持は必要であったが、その負担は比べ物にならない。また、駐屯地や離宮があれば、余計な気を回さざるを得ないのだ。
「ありがとうございます」
 リシャールは渡された紙を見ながら、広げられた地図を目で追った。なるほど、領主として十分な経験を有するアルチュールの目は確かである。
「リシャール、君は商売もするのだろう?
 船を使える方がいいんじゃないか?」
「うむ、このル・シャトリエならばわしの領地からも近いからの、何かと便利じゃぞ」
「西のアロンならギーヴァルシュに近かろう。
 加工場の方も平行して運営すれば良いのではないか?」
 三者三様のご意見である。しかし、リシャールには土地以上に必要な物があるのだ。
 そう、爵位である。
 極端な話、土地はどこでも良いのだ。経営については、少々の問題ならばなんとか出来る自信もある。

 リシャールの見るところ、ラ・クラルテ商会が短期で成功を納めた背景には、この世界が『甘い』ということが大きく寄与していた。商売につけ何につけ、リシャールの持つ現代人の感覚からすれば、かなりの大味なのである。その気になれば、つけ込む隙はいくらでもあるのだ。
 イワシの油漬けを作る初期段階で魔法を使って壷代を浮かせたりしたのもそうであるし、それほど経験のないリシャールが剣を鍛えても、『亜人斬り』と賞されて一本千エキューで売れる。魔法で出来ることと、魔法でしか出来ないことの線引きについても同じ事が言えた。
 大きな声では言えないが、法もかなり緩い。貴族が理不尽な理由で平民を無礼打ちにしても、憚りはあるがほぼ咎められない。余りに酷いと悪評を産みもするが、それでも極端な罰は下らないのが現状だった。リシャールに関係する法律では賄賂や談合がそれに当たるが、言うまでもなく甘かった。

 それらを考えたリシャールは、ここで札を切ってみることにした。
「あの、よろしいですか」
「うむ?」
「同時に男爵以上の爵位を得ることは可能ですか?」
 三人は、リシャールの質問に顔を見合わせた。
「……お主、爵位が欲しいのか?」
「勲爵士や準男爵ではそれを得るためにかかる金額に比べて、あまりにも実入りが少なく思うのです」
 リシャールは、カトレアを嫁に貰うために爵位が欲しいのだ、とは口にしなかった。本当の理由を伏せたまま、それでもいつも以上の真剣さで三人に思うところを語った。
「例えばこのアロンですが、地代として十二万エキュー、年収が九千エキューとあります。
 ここは変わらないとしても、勲爵士と男爵では扱いの差が大きく変わってきます。
 まず、一番大きな違いは土地の管理でしょう。
 勲爵士では王家直属の家臣として、かなり細部にまで中央の手が入ることになりますし、税収も一部は上納しなくてはなりません。
 また、平時でも召集されることが多く、安定した領地の経営にも支障が出ます。
 代わりに幾らかの年金がつきますが、自由度では男爵位以上の貴族家とは比べられるものではありません」
「ふむ」
「確かにな」
 リシャールはラ・ヴァリエール滞在中に貴族について書庫で学んだ事柄から、領地や貴族の階級と権限について、幾つかの考えを持っていた。
「この自由度というのは、領地の開発にもかなり影響を及ぼしますし、それは収入の増減に直結します。
 王命によって従軍するにしても、与えられた部隊を率いるか自ら子飼の部隊を率いるかでは、運用はおろか戦功までもが著しく変わってくるでしょう。
 極端な話ですが、軍を一切編成せずに免除金を支払うことで従軍の拒否すら可能です。
 普段軍に回す金を高利貸しに預けたり、領内の整備に回したりするとすれば、軍役免除金を支払った上で儲かる可能性さえあります。
 ところが勲爵士では、それを選ぶことさえ出来ません。
 倍額かかっても男爵位を得る方が、余程楽に借金が返せます」
「……なるほどな。
 しかし、貴族院に新興の貴族家をねじ込むのはなかなかに厳しいぞ」
「それに関しては、皆様におすがりするしかありません。
 口にするのは少々憚りがあるのですが……袖の下が必要であるならば、それを厭おうとは思いません」
 三人の領主達は顔を見合わせてからしばらく黙っていたが、やがて祖父モリスが口を開いた。
「少し話が外れるがの」
「はい、お祖父さま」
「わしら三人、お主のことを十分以上に評価して、期待もしておるつもりじゃったが……それでもまだ見くびっておったようじゃの」
「そのようだな」
「心配事は杞憂であったようですね」
「えーっと……」
 もちろんリシャールには、何を指してそう言われているのかわからなかった。
「清濁併せ飲むことを理解しておるなら、わしらも更にそれを教えようとは思わぬよ」
「心配していたんだ。
 リシャール、君にはいつも綺麗に生きようとし過ぎるふしが見えていてね。
 その件で少し話し合ったこともあった」
「そのような些事で、お主のような良い若者を潰されては敵わんのでな」
 三人それぞれに心配してくれていたのだと気付いて、自然と頭が下がるリシャールだった。
「まあ、よいよい。
 リシャール、お主の口からその手の言葉が出るのであれば、わしは構わん。
 男爵でもなんでも骨折りしてやろうではないか」
「一応、表向きはこのじじいが孫かわいさに領地を買い取る、という形になるか。
 爵位の方は流石に男爵が限度であろうが、貴族院にはわしの方から諮っておこう。
 但し、貴族院の工作にかかる金は、勲爵士のそれの十倍でも到底足りぬであろうな。
 覚悟しておくのだぞ?」
「はい、アルチュール様」
 爵位の方はなんとかなるらしいと、リシャールは胸をなで下ろした。それが得られるなら、十年で済む返済が二十年になろうが、構わない。
「そうじゃリシャール、土地の方は決めたか?」
 リシャールは、実は即決していた。もう取れるものなら、根こそぎ取ってしまえという気分である。
「そうですね……可能であれば、北部のラマディエ、シュレベールの両方をまとめて得るわけにはいきませんか?
 必要な地代は倍近くになりますが、この二カ所は隣接していますから、経営の手間と費用が圧縮出来る分、収入も増えます。
 これで返済は格段に楽になるでしょう。
 また、ラマディエの港とシュレベールの鉱山を領内で結べば、これは将来的に非常に大きな武器となります」
 リシャールは三人から、半ば驚き半ば呆れたような目で見つめられ、頷いてから肩をすくめてみせた。







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