ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
挿話その七「狂王の遊技盤」




 トリステイン王国高等法院長にしてリッシュモン伯爵、ドルー男爵の称号を重ねて持つアルチュール・マラン・ド・リッシュモンは法院での仕事を終え、自宅へと素早く馬車を走らせた。深夜に重要な訪問客を迎えるにあたって、仮眠を取る必要があったのだ。
「夕食は軽めでよい。それからワインだ」
 食事というよりも酒席という体で夕食を済ませたリッシュモンは、家人に幾つかの指示を出すと夜着を身に着けた。

「お初にお目にかかります、リッシュモン閣下。
 スターリング侯爵家家宰、サイモン・トレンスであります。
 こちらではリッチモンド商会の会頭アーサーを名乗っておりますので、その名で見知りおき下さい」
 予定の深夜になって、フードで顔を隠した商人風の男がリッシュモンの邸宅を訪ねてくる頃には、すっかり眠気も収まっていた。アルビオン土産にと男が持ってきた薫蒸の香りも豊かな蒸留酒は、既に注がれてテーブルに置かれている。
「それにしても、随分と皮肉な名を名乗るものだな?」
 眼前の男は家名を持つ下級貴族のようだが、レコン・キスタでも中心にほど近い位置に座すスターリング侯爵の、恐らくは懐刀。油断は出来ぬかとリッシュモンは顎に手をやった。
 ちなみにアルチュールをアルビオン風の綴りにして読めば、目の前の男の偽名となる。同じく、リッシュモンはリッチモンドになった。
「これだけ似ていれば逆に疑われないものだと、知恵を働かせた者がおりまして。
 それに皮肉と言えば、当のセルフィーユを経由してこちらに脚を伸ばしている事こそ、大層な皮肉かと存じます。
 ラ・ロシェールに比べてフネは零に等しく、臨検の待ち時間がないことはありがたいですな。……王都行きの定期便まで用意されておるのですから、至れり尽くせりです」
「ふん。
 ……それで、クロムウェル議長閣下のお答えは如何であられたか?」

 リッシュモンは昨年の夏、貴族院議長リュゼ公爵より政敵ラ・ヴァリエール公爵の義理の息子セルフィーユ伯爵の排除を依頼され、報酬に見合う程度の手を幾らか打っていた。アルビオン空軍に強烈な一撃を食らわせた後、現在は次の準備と称して一時的に休眠に入っている貴族連合レコン・キスタとの繋ぎ役アーサーがこの屋敷を訪ねてきたのも、それに関連してのことである。レコン・キスタには、アルビオン国内でもセルフィーユ伯爵の次期宰相就任の噂を盛り上げてくれるよう、計画の一部を話して依頼していたのだ。
 代わりにリッシュモンは、トリステイン国内でレコン・キスタの賛同者を増やすよう求められていた。魔法衛士隊長ワルドや財務卿デムリの取り込みは失敗したがアカデミー評議会議長ゴンドランの伝は強力で、貴族院議長リュゼ公爵中央の一派はそっくりこちらに引き込んでいる。もちろん、夜会に顔を出すことも以前より多くなったし、時には配下の新聞社を使って市井の噂を盛り上げることさえ行っていた。
 高等法院長と言えば全トリステインでも法を最も都合良く行使できる大した立場であったが、ラ・ヴァリエールに真っ正面から喧嘩を売るようなことは流石に出来なかった。それが出来るなら、当の昔にリュゼ公爵がラ・ヴァリエール公爵を排除していたはずだ。考えるまでもなく、貴族院議長という職も高等法院長に負けぬ程の大した立場なのである。
 だが、ありもせぬセルフィーユとアルビオンの癒着をでっち上げて潰すにはセルフィーユ伯爵の身辺にはラ・ヴァリエールの影がちらついていて守りが堅く、本人もリッシュモンをして手駒に欲しいと思わせるほどの才気も見せていた。それどころかアンリエッタ王太女の引きもあって、下手をすると将来本当に次のラ・ヴァリエール公爵にして国家宰相という、手を出すには厳しい相手に育ちきってしまいそうな勢いさえ垣間見える。
 本人も気付かぬうちに、策謀家としての血が騒いでいた。当初の、またぞろ大したこともない裏仕事を一つ、という気分は知らぬ間に消え去っており、リッシュモンは久々に本気で頭を巡らせることになった。ここは標的は勿論、依頼人のみならず世間を驚かせ、要件とともに自らの懐をも満たす一手を指さなくてはならぬと、彼は燃えた。
 花を咲かせるには、先に種を蒔かねばならない。
 熟考の末に綿密で大胆な手を仕上げたリッシュモンは、王立アカデミー評議会議長ゴンドランの手を借りてリュゼ公爵らの協力を引き出すと、ラ・ヴァリエール家が煽っているセルフィーユ伯爵の噂を助長し、彼に『出来うる限り早く』次期宰相への道が開けるようにと、意図を隠しつつその噂を更に煽りはじめた。

「はい、協力することに吝かではないが、こちらの都合を少し噛ませて貰えぬかと」
「ほう?」
 リッシュモンはほんの少しだけ、眉をつり上げた。
 そのレコン・キスタは大事な取引先であり、頭ごなしに拒否もできない。内容によってはこちらの計画に修正を余儀なくされてしまいそうで、出来ればそれは遠慮しておきたいのだ。個人への根回しはともかく、世論まで根回しするのは大変な労力と時間がかかった。
「議長閣下にもリッシュモン閣下と同じく、ハルケギニア中に親しいご友人や協力者が居られます。
 そのうちの南の方にお住まいの『お友達』よりのご希望なのですが、屋根に登らせたセルフィーユ伯爵の足下から最後の梯子を外すとき、同じく屋根に登らせておきたい相手がいるそうで……」
「ほう……?」
「はい、秘中の秘とあって私にも皆までは聞かされておりませぬが、リッシュモン閣下の手を煩わせることはほぼなく、仕掛けに必要な資金援助をする代わりに、こちらの打つ手には無関心であられたいと。
 結果が少々変わりましても、リッシュモン閣下のお手元の金貨が幾らか増える程度のこと、大勢大義に影響なしと議長閣下は明言なさっておいででした」

 トリステインのことならばリシュモンにも話を通した方が事は円滑に進むだろうし、ゲルマニアは東に位置する。残りはガリアかロマリアだが、ロマリアならばリッシュモンも太い繋がりがあったから、何らかの動きがあれば耳に入るようになっていた。ならばガリアかとあたりをつける。
 ガリア王国は数年前の代替わりがあり、リッシュモンが繋がりを持っていた『お友達』は残念なことに負け馬、即ち王弟派に名を連ねる人物だった。どの噂を見ても暗愚かつ無能と断ぜられていた第一王子ジョゼフが次の王と指名され、十二歳にして四種全ての魔法に長けていたと言われるほどの天才、第二王子シャルルに打ち勝って即位するなど、リッシュモンにも『お友達』にも慮外だったのである。その上『無能王』ジョゼフの即位により王弟としてオルレアン大公となったシャルルはほどなく暗殺の憂き目にあい、前後して王弟派と呼ばれていた彼の部下や賛同者もそれぞれ配置転換や降格、退役、改易、追放、投獄、自裁、処刑などの結果、国の中央から追われてしまっていた。
 暗愚などとは、とんでもない見誤りだった。蓋を開けてみれば、『無能王』は短期間で王弟派を宮廷より一掃、今では内戦の一歩手前だったとは思えぬほど中央の統制はとれており、押しも押されもせぬ状態のまま大国は維持されているではないか。当然『お友達』との繋がりも切れ、ガリアは隣国ながら少しばかり遠い国になってしまっていた。
 以来リッシュモンはガリアに於ける新たな『お友達』を探していたのだが、今回、セルフィーユ伯爵の一件を介してようやくその望みが叶いそうである。ここはすかさず乗っておくべきだと、彼の直感は告げていた。

「ふむ、ならば議長閣下とその『お友達』にも、リッシュモンは大変感激していたとお伝えしておいてくれ。
 ところでアーサーとやら、トリステインにはいつまで滞在している?」
「私はこれからゲルマニアへと渡り革命に使う鉄製品をかき集めねばなりませぬので、二十日ほどの後にまた、トリスタニアに戻る予定です。
 ……別の意味でも、セルフィーユは良き隠れ蓑となっておりますので」
 セルフィーユで作られた鉄製品、つまりはマスケット銃がアルビオンの王党派に輸出されているのは、リッシュモンも聞いていた。同時にゲルマニアでかき集めた銃砲もセルフィーユからアルビオンへと同じフネで輸出され、こちらは貴族派の需要を満たすらしい。なるほど、いい隠れ蓑である。大手を振って武器を積むにはもってこいの航路だった。
「ではまた、次のお伺いの折に」
「うむ」
 リッシュモンはアーサーを帰すと、酒杯を片手に考えをまとめた。
 クロムウェル議長の『お友達』が何を企んでいるか、それは後回しでもいいだろう。彼の言葉通りこちらの邪魔にならぬと言うなら、放っておいても問題はあるまい。どちらにせよ、自分の進める陰謀に変わりはないのだ。
 身の危険を感じるような警鐘を心の鐘が鳴らすでもなし、隣国の『同業者』がこちらの手を評価し欲しているというのなら、それに応えるのが一流というものであった。

 さて、アーサーことサイモン・トレンスの報告は幾人かの懐を経てスターリング侯爵の元へと送られ、更にはクロムウェル議長の手に渡ってから秘書のミス・シェフィールドが受け取った。
「トリステインの裏切り者は随分と物わかりが良いようね。
 フフ、楽で良いわ」
 リッシュモンの返事がシェフィールドの元に届くまでに、約二十日が経過していた。だが、途中の誰かが小さな失敗をしたのでも、戦乱の影響で航路が閉じていたのでもない。単に距離が遠かったのだ。
 トリスタニアを出る前にアーサーはレコン・キスタの連絡員へと返事を伝えたが、そこからラ・ロシェールを通り、警戒の厳しいロサイスは避けてスカボロー経由でダータルネスにある秘密の司令部に届くまでに十日。大っぴらにフネや竜を動かせないレコン・キスタの秘匿性を考えれば、悪くない数字である。
 そこから別の情報や報告も同時に預かったシェフィールド直属の連絡員を載せた偽装商船が人目を避けて北回りでアルビオン西部を目指し、そのまま南下して何もないはずの海の上につくられたこの『浮島』へと辿り着くのにやはり十日。こちらも距離を考えれば上出来だった。
 この『浮島』とその周辺には、数隻のレコン・キスタ艦が停泊、あるいは遊弋している。巨艦『ロイヤル・ソヴリン』もそのうちの一隻であり、幾らアルビオン王立空軍が血眼になって空中大陸中を探し回っても見つからないはずであった。
 ここはトリステインが担当する航路からも当のガリアが担当している警備域からも遠く離れており、空賊の補給拠点も別に設けられていたから発覚の恐れはない。
「それに、あの方のご指示で夏の攻勢を取りやめたけれど、王党派も軍の再建が進み、こちらも準備に時間がとれるかしら。双方が一隻でも一中隊でも多くの戦力を戦場に送り出せば、それだけ戦いが賑やかになるものね。
 さて……私はいつものように報告をあのお方の元へ届け、新たなご指示を戴いてくるから、お前はもうしばらくここで革命の準備をしていなさい」
「おお、もちろんですミス・シェフィールド!
 このクロムウェル、今は全力で皆の激発を押さえましょう!」
 そう、とシェフィールドは議長の方も見ずに頷いた。
 『浮島』の司令室からの眺めは悪くない。島影一つない水平線は、美しさすら覚える。
 廃艦となった一等戦列艦を含む二十数隻の大型両用艦艇より帆柱を外して、空の樽を木枠で何層にも組んだ筏と共につなぎ合わせ、全長二百メイルに達する『ロイヤル・ソヴリン』を飲み込めるドックを中心に桟橋や工房まで備えたこの人工建造物は、海流に流される度に現役の両用艦やフネで引っ張らねばならないこと、足りない浮力を維持するために風石機関を常時稼働させなくてはならないことを除けば、秘匿性も補給基地としての能力も十分であった。
「今年中にはこのフネも仕上がるでしょうし……。
 何より直接のご指示を戴けると言うことは、他ならぬあのお方がこの謀り事にご興味を示されたと言うこと。
 そこを違えぬようになさい」
「おおおおおお! 畏まりましてございます!」
 窓の外を見上げれば、『ロイヤル・ソヴリン』が改装工事を受けていた。一部には自らの持つ東方の知識の他に、エルフの技術さえ導入している。発令所と操艦設備を一体として高所に作り周囲にも良視界を持たせた艦橋、砲郭式砲塔や施条の導入は見送ったがそれでも明らかに射程が伸びた艦載砲、精密な魔法加工を必要とするものの技術導入以前の試作品よりも格段に暴発不発が少なくなった榴弾……。砲や弾はガリア本国の『実験農場』で秘密裏に研究製造させていたが、それに合わせた船体の改造はこの『浮島』で全てが行われていた。
 シェフィールドは我知らず、静かな笑みを浮かべていた。久しぶりに主人と会える喜びだ。何ものにも代え難いものであった。
 彼女は別に、リッシュモンの返事だけを待っていたわけではない。彼女の主人がこうあるべきと決めて命じたときからレコン・キスタの内にも外にも働きかけていたし、一見レコン・キスタと全く関係のなさそうな、その実、深い楔となる命令もこなしていた。
 今年の晩秋には全てが調うだろう。その頃には他の仕込みも仕上げが済んでいるはずだ。
 革命の成功と失敗は最初からどうでも良い。トリステインの裏切り者が企んでいる工作も関係ない。あのお方……シェフィールドの主人、ガリア国王ジョゼフ一世が楽しめるか否かが、彼女にとっての成功と失敗であった。

 ガーゴイルに自身を抱かせて『浮島』を後にしたシェフィールドは西に向けて半日以上飛び続け、丁度夜半になる頃陸地にたどり着いた。少しだけ北上して軍港サン・マロンに入ると国王直属の身分を明かし、併設されている『実験農場』を視察して各作業の状況を確かめた後、今度は風竜に乗り換えて王都リュティスは王城グラン・トロワを目指す。
 到着は再びの深夜が迫る時間となったが、彼女の主人はまだ起きていた。
「おお、戻ってきたのか、余のミューズ」
「はい。
 トリステイン次期宰相への工作、主な部分は終えてまいりました」
 跪いて足下に寄り、深々と頭を下げる。
 彼女の主人ジョゼフは王城最深部のとある一室にて、一部屋を丸ごと埋めるほど巨大な、ハルケギニアの全土を立体的にあらわした地図を前に、小者に指示を出していた。
 見る者が見れば艦名がわかるほど精緻な細工で作られた各種軍艦が、連隊の名を表す頭文字や数字のついた旗を挿された兵隊人形が、魔法の騎士団を模して杖を掲げた騎士人形が、各国の都市や城塞、軍港を表す台座の上に配置されている。
 小者たちは走り書きを見ながら柄の長い鉤棒で人形の位置を変え、取り除き、あるいは新たに置いていた。おそらくは軍の司令部や王政府の諜報機関、国王直属の密偵団が集めてきた情報を元に、実際の配置を再現しているのだと彼女にも理解できる。
 先ほど口に出したトリステインの次期宰相ことセルフィーユ伯爵の領地にも台座があり、小さなフネの模型が二つと、聖杖を握った騎士人形が一つ置かれていた。
「……新しい遊技盤、でございますか?」
 彼女は敬愛する主人が、戦場をそのまま縮小したような遊技盤を作らせて、手慰みの戦争ごっこに興じていることを良く知っていた。
「うむ。
 一目で各国の動きがわかるのはよいので、週に一度、報告を元に動かしているのだが……残念なことに、このままでは単なる置物にしか過ぎぬ」
「……」
「大艦隊が本気で撃ち合った場合の命中率と小艦隊同士のそれに違いはあるのか、各国騎士団の強さは噂通りなのか、職業軍人の連隊と徴募兵の連隊の戦力差に国ごとの違いはあるか……。
 これがわからぬでは、サイコロを振って結果を決める表さえも作れぬのだ。兵士の向きさえ影響する小さな戦場と、天空遙かに見下ろさねば把握も出来ぬ大きな戦場では、出てくる答えも違ってくるからな。
 アルビオンでの開戦を命じれば、多少は表を埋められるのだろうが……。
 これは余自身の思惑で後回しにしてしまったからな、文句も言えぬよ」
 本当に困っているのかどうかわからない表情ながら、ジョゼフは困った様子を示そうとでもするように頭を掻いて見せた。
「それにしてもだ」
「はい?」
「そのトリステインの次期宰相とやら、昨年ミューズの手からアンリエッタ姫を守りきった小さな騎士だと聞いてから調べさせていたのだが、世間ではこのような事象を指して『不思議な巡り合わせだ』と口にして微笑むらしいな」
「はい。
 ……やはり、彼の者にご興味を持たれておいでですか?」
 多少の妬心を含みながら、シェフィールドは主人を見上げた。
「さあ、どうであろうか?
 己の才覚一つで地位を駆け上がる絵物語の主人公のようにも、周囲に流され続けて裏切り者にさえいいように扱われる小者にも見えるな」
 大して面白くもなさそうに微笑んでみせる主人は、とても愛おしく見えた。
「……絵物語と言えば、モリエール夫人が不思議なことを口にしていた」
「はい?」
 モリエール夫人は数人居るジョゼフの寵姫の中では、一番長続きしている人間である。シェフィールドにとってはどうでもよい扱いの一人だが、宮廷内では何かと重視されていた。僅かながらにでもジョゼフの機嫌をとることが出来る彼女は、グラン・トロワ内では貴重な存在なのだ。
「絵物語の登場人物というものは、他の状況は何ひとつ変わらぬのに、完全に追いつめられたとき、後顧の憂いを断ったとき、愛する者が傍らにあるときには、思いも因らぬ力を発揮するのだそうだ」
「……」
「この者にはいい面の皮であろうが、せいぜいこの遊技盤の上で絵物語の主人公たちのように足掻いて貰おうではないか。
 無論、余は決してけちん坊ではないからな、埋め合わせぐらいは用意しよう」
 その場には居らぬ登場人物『たち』に向かって、ジョゼフは無表情に褒賞の約束をしてみせた。

 


←PREV INDEX NEXT→