ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第二十七話「つかの間の夏休み」




 魔法学院に通うクロードの同級生達は、セルフィーユ滞在の初日こそ皆で揃って領内を見学に回っていたが、数日もするとてんでばらばらに行動を開始するようになった。それでも騒ぎが最小限で済んだのはクロードの一言のおかげで、リシャールも流石親友と一息ついている。

『リシャールに接する分には、学院の同級生と同じでいいと思う。
 でもその他は、自領に遊びに来た息子の友達の態度や行動が、貴族家当主である君たちの父親や、家族、家臣、領民の目にどう見えるのか、それをよく考えて行動した方がいい』

 いつのまにかクロードも随分大人になって、これは自分も負けていられないなとリシャールは少し感動を覚えていたが……何のことはない。
 以前に一度、彼は週末を利用してギーシュたちをアルトワに招待していて、さんざんに引っかき回されたあげく、父クリストフの小言のみならず母には眉をひそめられ、妹たちからも大層な突き上げにあったのだと、後ほど本人より聞かされた。まあ、あれでは仕方ないかと、リシャールも船中での彼らを思い出す。
 クロードはまた、せっかくだから学院で出来ないこと、家で出来ないことに挑戦してみたいと言いだし、リシャールに頼み込んだ。丸投げされた方はしばらく考えてから、社会見学や社会体験なら将来のトリステインを背負って立つ彼らの役に立つかもしれないと思いついた。
 ついでに自分を押さえて宰相にでもなってくれるか、それは無理でもアンリエッタに推薦できそうな気配なら上々である。……皮算用もここに極まれりだった。
 結局はそれらを胸の内に納め、少しぐらい領内に混乱があっても、ともかく皆が楽しんでくれればいいかと各人の自重を祈りつつ、リシャールはそれぞれを送り出すことにした。

「僕は今日、砦の方かな。小隊規模の演習だけど楽しみだ」
 ギーシュは見習士官を自称して、領軍の訓練への参加を希望した。もう三度目だ。領内には聖堂騎士隊もあるから訓練に混ぜて貰えるよう頼もうかと聞いてみたが、彼は真っ青になって遠慮していた。
「ぼくは日帰りの訓練航海だよ」
 マリコルヌはどうしても大砲が撃ちたいようで、再び『ドラゴン・デュ・テーレ』に乗る予定を立てていた。彼は既に一度、『カドー・ジェネルー』で王都も往復している。大砲だけでなくフネも気に入ったのだろう。
「リシャール、僕は昨日漁村の方に行ったから、今日は市場と製鉄所の見学がしたいな」
 クロードは、前よりも規模が大きくなった露天市場と製鉄所が気になるらしい。実家アルトワの様子と見比べて、色々考えているようだった。
「わたしはすぐそこの村が薬草の産地だってきいたから、水メイジとして朝はそちらで話し合いね。
 午後はのんびりさせて貰うわ」
 モンモランシーの話では、商人を通して王都で買うより安い品が手に入るかどうかは、とても重要な問題とのことだった。村長のゴーチェにも城のメイドを通じて話を通しており、若いながら家名に恥じぬ魔法薬職人振りである。
「あたしはカトレアとマリーと一緒でいつもの通りね」
「ちょっと、わたしは!?」
 ……キュルケとルイズは、やはりカトレアとマリーに任せよう。うちの娘は何と言っても、あのカリーヌ夫人とキュルケを止めるほどの『実力者』なのだからして。
 そしてリシャールはと言えば残りの二人、レイナールとタバサを預かっていた。
「父からは、せっかくの機会だから、セルフィーユの庁舎を見せて戴けと言われてるんだ。
 もしよかったら、一日お供させて貰えるかな?」
「……伯父から調べてこいと言われた」
 数日前に告げられていたその言葉に、見所があればいいなあと、リシャールは表に出さず微笑んだ。
 こちらのレイナールは領軍にも一度顔を出していたから、諸侯の世継ぎとして領地の経営に興味を持っているのかも知れないが、大して違いはない。学院の生徒ではなかなか現場に出して貰えることはないし、彼らにもその自覚はあるのだろう。目を向ける方向は、それぞれの興味の対象の違いのようである。
 彼の実家ノアイユ家は同じ諸侯でも武門であるマリコルヌの実家グランドプレ家やギーシュの実家グラモン家とは違い、宮中の文官を多く輩出してきた家柄だった。皆と話すうちにわかったが、魔法学院と言えども多少は政治や出身家の影響もあるようで、キュルケとタバサはともかく彼らの実家は中立かこちらに近いらしい。クロードも『友達は選んでいるよ』と肩をすくめていた。少々複雑な心境にもなるが、やはり、昔に比べれば彼も成長しているのだ。
 タバサは家名を名乗っていないが……というよりも、しばらくして偽名のようだと気付いたリシャールである。彼女のくすみのない青い髪がガリアでは高貴な血筋の象徴であるというぐらいは、いくら他国の貴族社会には疎くとも流石に知っていた。もちろん、国内ならばともかく、藪をつついて蛇が出ても困るので、彼女の家庭事情を調べる様な愚は犯せない。たぶんキュルケと同じように、どこかの名家のお嬢様なのだろうと推測するしかなかった。話好きでもないようで、伯父からも一言あったそうだし庁舎の見学の方がお茶会よりは幾らかましと、彼女自身も思っているのかも知れない。
 リシャールも宰相就任云々も含め、自分が国外からも注目を受けていることは知っている。ウェールズ皇太子からの私信にも書いてあったし、ツェルプストー辺境伯からも手紙越しにからかわれていた。……それにしても『調べてこい』とは随分直裁だが、彼女の伯父上もセルフィーユを気にしているのだろうか。  口数の少ないタバサがなんとも正直に答えてくれたのは、キュルケとの友情故かもしれないと、リシャールは目を細めた。
 取り敢えず二人には、今日も庁舎で一日つき合って貰うことにしよう。退屈なら街に出てもいいし、荷馬車で構わないならいつでも城に帰ることができる。昼寝がしたいなら応接室を仮眠室にしてもよかったから、それほど気を使う必要はないのだ。

 アーシャには鞍をつけて貰い、食後のお茶もそこそこに出発の挨拶を交わして三人で庁舎に出発する。ギーシュとマリコルヌはそれぞれ領軍と領空海軍から迎えが来て、朝食も慌ただしく貸し出された軍服を着ていた。
「きゅいー」
「うおっと!?」
「……ん」
「はい到着っと。アーシャ、ありがとう。
 今日の予定は、朝は村から届いた書類の決裁と、小さな会議が一つかな。見学でも構わないし、暇なら街に出てもいいよ。
 昼からは視察が二件と、時間があれば庁舎に戻って仕事の続きだ」
 執務室まで連れ立って歩きながら、今日の予定を確認する。
 陞爵の影響は既にないし、王都行きで溜まった書類はこの数日で消化できていた。根ほり葉ほり聞かれて内実が完全に掴まれてはちょっと困るかなと気遣いながらも、二人には個別の課題を与えたり、簡単な実務に携わって貰っている。
 リシャールの執務室には官吏が使う机と同型の物が運び込まれ、領主の執務机の左右に向かい合って置かれていた。リシャールから見て右手がレイナールの席、左手がタバサの席である。
「じゃあ今日は……そうだな、何かやってみたいことはあるかい?」
「ぼくは昨日と同じく、税に関わる題材がいいかな。
 手間さえ考えなければ、実に公正な制度だと思ったよ」
「昨日と違う内容なら、なんでもいい」
 レイナールは徹底的にセルフィーユの税の仕組みを学び、物にする気でいるらしい。タバサは万遍なくこなすことで、全体を把握しようとしているのだろう。こういう部分にも性格は出るものだなと、リシャールは苦笑した。
「それじゃあレイナールには、昨日商税と共に提出されたプランション商会の書類の確認を頼もうか。不審や疑問があれば聞いてくれ。
 下書きや検算に使う古紙は書類棚の一番下にあるから、それを使ってくれていい。繰り返すことで、仕組みが覚えられると思う」
「了解」
 プランション商会はシュレベールにある会頭の実家を本拠とした、行商の若者が一人で切り盛りする小さな商会である。月々の売り上げも数十エキュー程度で、頑張っているがまだまだ店どころか驢馬車を持つにも足りなかった。領内だけでも十数人、本拠が他領の者も含めれば百人以上いる行商人の一人だ。ちなみに昨日はラ・クラルテ商会も書類を提出し納税を済ませていたが、流石に彼へと見せる勇気はない。
「タバサには……次週出す触書の草稿を作って貰おうかな。
 内容はこちらの紙にまとめてある。文面は任せるけど、以前の触書はそちらの冊子に束ねてあるから参考にして欲しい。
 高圧的でなく、かと言って腰が低すぎないあたりで調えて貰えると、とても助かる」
「わかった」
 触書とは言っても週の頭に出されるものは官報的な性格が強く、王都往復便の出発日や、庁舎、城、軍などの新人募集、セルフィーユの概況などを伝える内容が大半を占めていた。時にはリシャールが領主として指針や見解、講評を乗せることもあるが、こちらは極希だ。
 二人は早速机に向かい、リシャールも自分の席に座った。こちらの仕事は昨日のうちに領内各村から集まってきた書類である。馬車便で返却されるものもあるので、早めに片付けるようにしていた。それが終われば庁舎に直接集まってきた同様の書類も処理していく。
 子供が生まれたという届け出、新しい商会の設立申請などは既に支所の官吏と庁舎の責任者のサインもあるので、リシャールもさっと目を通すだけでサインを入れていった。事務的には庁舎が把握できていればいいものも多く含まれているが、『領主様が直接お認めになられた』方が何となくありがたそうなものは、まだリシャールの手元に届くことになっている。集合住宅の家賃領収書や狩猟権更新の申請がこちらに回ってくることはないが、このまま人口が増えたときには見直すことになるだろう。
 同じように届く嘆願書要望書には、マルグリットやフレンツヒェンの但し書きが添えられていることも多かった。全てに応じるには予算も労働力も足りないが、無視するわけにもいかないので、但し書きを参考に承認、却下、要検討と仕分けていく。
 昨日届いた、人口が徐々に増えているラ・クラルテ村から出された新たな井戸の建設の要望書は、要検討にまわした。台地にある他の農村と違いラ・クラルテは平地にあったから、今後の開墾計画を考えれば面倒でも水路を引いた方がよいのではないかと、大部屋の方で意見が出されたらしい。
 午前の茶が配られてしばらくすると、マルグリットが入室してきた。
「リシャール様、会議室に皆が揃いました」
「ありがとう。
 ……二人も来るかい?
 今日の会議は秘密にするような内容じゃないから、参加しても大丈夫だよ」
「ああ、見てみたい」
「いく」
 実は二人が加わっても問題のない会議内容をリシャールがひねり出したのだが、それは誰にも告げる必要のないことだった。

 庁舎の会議室は元食堂で必要以上に大きく、これまで席が全て埋まることはなかった。訓辞や連絡を行うときに庁舎の官吏全員を呼びつけてもまだ余るが、中を片付ければ避難所にもなるかと、壁で仕切らずそのまま使っている。
 リシャールが二人を連れて入室すると、全員が起立して一礼した。
「皆さん、ご苦労様。席について下さい。
 ここ数日で見慣れたかも知れませんが、改めて紹介しておくとこちらのお二方はトリステイン魔法学院の生徒さんで、男性がノアイユ家の公子レイナール殿、女性がタバサ嬢です。
 発言も許可してありますから、そのつもりで」
 本日の会議は領内の畜産業について、次年度の指針を立てる内容となっていた。
 参加者はリシャールら三人に筆頭家臣マルグリット、行政のまとめ役フレンツヒェン、同じく庁舎務めで農林水産関連の責任者アベル、ラ・クラルテ村の村長カルヴィン、そしてラマディエ周辺の農家の顔役イジドールである。
 そのうちのアベルが書類を手に立ち上がった。
「領主様、まずは現状を報告いたします」
「頼みます」

 セルフィーユでは畜産の主軸である養豚は、農家が自宅で行える副業としては飼育の規模が小さく済む鶏、家鴨と共に歓迎されている。当初はどこも余裕がなく、セルフィーユ家が後押しして種豚を預け餌代も出し、手間賃を払うという形式が主流であったが、今では自前の豚を持っている農家の方が多い。既にラマディエには肉屋があり流通にも乗っているから、領民の食卓には『加工品ではない豚肉』が日常的に上っているとも聞いている。
 次に多いのが山羊と緬羊だ。特に上から奨励してはいないものの、初期投資が少なく済むことから、豚に次いで人気のある家畜だった。サン・ロワレでは併合以前から、村の放牧地と休閑地を利用して協同で飼育されている。
 だが牛肉となると、これがなかなかに難しかった。感謝祭でもないと領民どころか、リシャールも領地では滅多に食べられない。領内ではラ・クラルテの御料牧場で繁殖と乳用を兼ねて十数頭の牛が飼育されているが、肉となるとまだまだ遠い話だ。飼養効率も悪いので、いざ飼うとなれば豚などに比べて大きな放牧地と沢山の餌が必要になるから、相当に大きな農家でないと無理だった。
 馬の方はやはり御用牧場で飼われていたが、こちらは軍と荷役と農用に不可欠であったから、余所から買うよりは幾らかましと採算度外視で繁殖と飼育、調教が行われていた。

「養豚はもう、農家の自主養豚が大半を占めるようになっています。
 先月末の概算では領内全体を合わせますと四百頭近い数字で、代わりに餌を周辺の他領から買い込むようになりつつありますが、概ね好調と言って間違いありません」
 豚は年一産で六から八頭の子を産むが、種豚を残して全てが領民の口に入るわけではない。当初領内で養豚を奨励したのは、アーシャのことを考えたからだ。彼女は時に魚も食べるが、豚だけで年間に三百頭近くを消費する。これはもう、金額だけなら領地拝領当時の税収の一割にも匹敵する額で、経済活動と言い切ってもいい規模であった。以前は食事時に、ラ・ヴァリエールの手前ぐらいまで飛んでいったこともあるほどだ。
「山羊は肉と乳、緬羊はもちろん肉と毛で、こちらも農家の副業という域を出ませんが、以前よりも飼う者は増えている様子です。
 質は良く言って並品ですが、エライユからは自家消費に留まらず、毛糸が売りに出されています」
 セルフィーユ産の乳製品もあるにはあるが、領内消費にも追いつかない零細産業である。
 綿羊は毛糸とその先にある毛織物なら、やはりアルビオン産の品が質、量ともに有名であった。リシャールの冬用の正装も、生地はアルビオン産だっただろうか。ちなみに縫製はガリアとトリステインが二巨頭とされていた。
「牛の方は、御用牧場が馬主体の方針ですので、もしも増産を計画するなら牧場の規模も同時に見直す必要があります」
 リシャールとしては乳用が目的で、それもマリーに必要かなと考えて導入したので、後は余録と割り切っていた。余ればチーズや菓子にすればよし、売れば誰かが飲むだろうと言う程度のものである。子を産まなくなれば、そこではじめて肉にすればいい。
「以上が領内畜産の現状であります」
 アベルが締めくくり、次に問題点が幾つか指摘された。
 やはり就労者の確保が問題のようで、街道工事や製鉄業に人を取られている現状では少々困難がつきまとう。領外への輸出まではとても無理があると、彼は述べた。

「リシャール、セルフィーユに牛肉はないの?」
 タバサがリシャールの袖を引いて見上げている。彼女がマリコルヌを上回る健啖家だとは、実際に見るまでリシャールも思っていなかった。立食会形式の夕餐は皆にも好評だったが、彼女とマリコルヌの全力運転もあって余らせるつもりで用意した料理に残り物が殆どなく、人気不人気の検証がリシャールやメイドの記憶頼りとなってしまったほどである。
「うん、ちょっと厳しいかなあ。
 一頭を解体したときに得られる肉が、全て腐る前に売れるかというと、トリスタニアやリュティスなら問題ないけど……ラマディエの街どころかセルフィーユの人口でもかなり足りないんだ。
 魚の方が安いし、全員が腹一杯牛肉を食べるとは限らないからね。
 もちろん、肉屋は腐る前に燻製や干し肉を作るけど、精肉として売り切ってしまえるかどうかが、やっぱり分かれ目になる」
「じゃあ、加工品を余所に売ると最初から決めて解体すればどうかな?
 定期船に乗せて、王都にでも持っていけばいいと思うんだ」
 こちらはレイナールである。目の付け所は悪くないと頷いてみせる。
「うん……将来はそうできたらいいけど、残念ながらもう一つ問題がある。
 まだセルフィーユの牧場の牛舎は、そこまでの規模じゃないんだよ。
 実は、以前にも検討したことがあってね」
「そうなんだ?」
「ああ。
 定期的に売り出すなら、仮に月一頭出荷するとして一頭の雌牛が二年に一頭子牛を産むとすれば、これだけで二十四頭必要だ。
 種牛の他にも代替わりや予備に宛う雌牛を確保して、その上で産まれた子も出荷するまで数年は餌を食うから……大体百頭は飼育可能な牧場が必要になるね」
 もちろん継続して商売が成り立ちそうな週に一頭の出荷ならその四倍で、皆で頭を抱えた覚えがある。馬を全部押しのけても、まだ牧場が足りなくなる計算であった。
「ちょっと無理か。
 さっき、人も足りないって聞いたっけ」
「それもあるね。
 ついでに……同じ農業なら麦の方が深刻でね、うちは余所から買ってるんだよ。
 牛を売って麦を買うのも間違いじゃないし、今は正に鉄を売って麦を買ってる状態なんだけど、せめて麦だけは買わずに済むようにしたいかな」
 今年の冬は麦が高くなって、随分肝を冷やしたんだと付け加える。飢饉は税収の大敵で、リシャールの首を絞めるのは造作もない。
「だから今日は、先ほどアベル行政官の報告した内容を踏まえて、来年は畜産の奨励策を行うのか、また行うのならば具体的にどのような方法をとるのか、それとも現行の施策を維持して余力を他に回すのか、それを話し合うんだよ」
 これがなかなかねえと、リシャールは肩をすくめて見せた。

 会議では結局、牧場の拡張や新設は後回しにして次年度は現状維持と決まった。その一つ前の会議で麦畑の開墾が決定されていたこと、やはり領内に余力がないことが決め手になって、リシャールも含めて否定的意見が相次いだのである。
 畜産を輸出産業にまで発展させるか否か、それともある程度で妥協するのか。こちらはまだ結論を出すには至っていないが、牛肉が日常的に消費されるような『大都市』は視野に入れておきたいところである。しかしながら、目指すその先は遠いようだった。
 昼食は城に戻らず二人には詫びてから、庁舎前の『海鳴りの響き』亭から看板メニューである白身魚のシチュー、セルフィーユを散らしたサラダ、そして高い方の白パンを取り寄せ、応接室を食堂にする。
「悪いね、これでもいつもよりは豪華なんだ」
「ギーシュなんて今日は野戦だろう?
 あっちは堅焼きパンに汁物がせいぜいなんだから、十分だよ」
「夜が楽しみ」
 タバサは意外に良く喋ると、レイナールとこっそり視線を見交わしつつ、リシャールも休憩を楽しむ。いつの間にか、誰も相手をミスタ・誰々、ミス・誰其などと呼ぶことはなくなっていた。
「そう言えば、レイナールの実家はどんなところなんだい?」
「うちかい?
 うちの家は西南部の方で、ギーシュの家のすぐ近くだよ。ちょっと向こうにはモンモランシーの家もある」
 家とは言っても、もちろん領地のことである。モンモランシ家の領地はラグドリアン湖に接していたはずで、西南部と言えば湖よりも西のことを指す。
「西南部?
 エルランジェとか?」
「エルランジェも割と近いね。
 知り合いでもいるのかい?」
「母の実家があってね、遊びに行ったこともあるよ」
「へえ。じゃあ……」
「ご歓談中失礼します、皆様。
 ……領主様」
 食事時を中断したのは、先ほども会議を共にしていたフレンツヒェンである。生真面目な彼が、礼儀をわきまえていないわけがない。本当に急ぎの報告なのだろうと、リシャールも頷き返して続きを待った。
「王都の商館より急報です。
 例の件、王宮より正式に発表があったとのことです」
 彼はちらりとレイナールらに視線をやってから、無言でリシャールに問うた。
「……構いません、フレンツヒェン殿。
 王宮より正式な発表があったと言うことは、世間が知っている、ということですから。
 セルフィーユに届くのも、時間の問題でしょう」
「は、では……」
 レイナールは興味津々で、タバサはいつもと変わらぬ様子で、それぞれリシャールらを眺めている。
 フレンツヒェンは、大きな手に小さな紙片を広げた。あちらで動揺があって周囲に気取られては拙いかと、王都の別邸と商館には何も伝えていなかったから、これ一大事と伝書フクロウを使ったのだろう。
「『発、王都商館。宛、本庁舎。四一、零七、零八。
 王宮はセルフィーユ侯の出奔を認め、領邦独立を発表。
 世論沸騰にて問い合わせ殺到、指示を請う』
 ……以上です」
 発信人と宛先の後ろは、ブリミル歴六二『四一』年、第『七』の月であるアンスールの月、第一週フレイヤの週八番目の曜日であるダエグの曜日は月頭から数えて『八』日目、と言った略号である。文章を短くできるので、軍の一部でも使われていた。
「商館には……そうですね、情報の収集を継続、平常通りに業務続行、詳細は後ほど連絡すると伝えて下さい。もちろん、伝書フクロウで。
 それから、領内の方は以前出した指示通りに頼みます」
「はい、畏まりました」
 独立の日取りや正式な登城予定などが届いたらまた慌ただしくなるかなと、リシャールは背もたれに身を預けて天井を見上げた。どうやら自分の夏休みは、これにて終了のようである。
 フレンツヒェンが退出してから少し、静かだなと横を見れば、普段から物静かなタバサはともかく、レイナールがぽかんと口を開けて見事に固まっていた。




←PREV INDEX NEXT→