ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第二十五話「小さな侯爵」




 月をまたぐと収穫の始まった麦畑もあって領内がまた忙しくなり始め、リシャールも報告を受けて頷くだけというわけにもいかず、視察ついでと領民にはっぱをかけて回ったり、正式な陞爵の発表を受け、その後の打ち合わせと準備も兼ねてアンリエッタやマザリーニとのやり取りを再開した。
 ついでに来月、陞爵式で王都に行くのに併せて、長い夏休みに入るというクロード達をセルフィーユに誘ってみるかと手紙を出しておく。丸三ヶ月という夏休みは、少々羨ましい。それにつき合って自分も三ヶ月休むというわけにはいくまいが、独立までの小さな息抜きにもなるだろう。ルイズとキュルケには、やはりカトレアからの手紙が届くはずだ。
 ……とは言っても、恐らくはその滞在中にセルフィーユ侯爵の出奔と独立の話が公のものとなるはずで、『領地も爵位も返上してきた。最後になるかも知れないから、招待したんだ』という苦しい言い訳は用意している。領地と爵位がリシャールの元に残され侯国として独立するのは、あくまでもアンリエッタの慈悲と温情の結果でなくてはならなかった。
「ふーん……。
 少し落ち着いたのかな?」
 午後の茶で休憩しながら、王都から届いた資料をめくる。
 少し前、王都の別邸や商館には、リシャールやセルフィーユの噂話についても調べておくようにと命じていた。
 正式とするにはこれも『世間の噂』だが、今回の陞爵は見聞役の功績を賞して、アンリエッタが親政を見越してリシャールにつばを付けたという形になっている。陞爵の話は王都でも十分浸透しているようで、これを以て宰相就任は秒読みとする噂もあれば、本人は若さと経験不足を理由に固辞していると、真実に近いものもあった。変わったところでは、ラ・ラメー司令長官の退役した叔父がセルフィーユ領空海軍にあって領主に英才教育を施しており、王政府ではなく空海軍へと入るのだという珍妙なものもある。逆に宰相にするなら侯爵の位をよこせと王政府にごねたとか、爵位を侯爵とする代わりに領地が王領へと戻るのだというような噂も流れていた。
 好き勝手言われてるなあとは思うが、このぐらいで済んでいるのは幸いかも知れない。……真実の裏事情は、もっと酷いのだからして。
 一緒に届いたアンリエッタからの手紙には、独立までの手順が書かれている。あちらでも、大体のところが固まったとのことだった。
 陞爵式のその日、儀式の終了後にアンリエッタとマザリーニに呼ばれた一席で宰相就任を問われたリシャールはこれを正式に拒否、同時に爵位まで頂戴しながらこのような無礼を働いたことと、世間を騒がせたことを詫びて出奔したいという意志を露わにする。数日の後、決断を下したアンリエッタが貴族院に、マザリーニが彼女の意向を汲んで王政府の閣僚にそれぞれ意見を求め、最終的には諸外国の反応に対抗策を打った上で長く開かれていなかった御前会議に似た形で王太女主催の会議を行って、リシャールへと結論を言い渡す予定と書かれていた。会議の日時などに予定の日取りが入っていることから、実際には水面下での調整も多方面に手が伸ばされはじめているのだろう。アンリエッタの権威付けにもつかわれているようで、リシャールとしても将来の安定度に関わるので一石二鳥となって欲しいところであった。
 クレメンテ司教やフロラン工場長なども含め、領内で要職にあるごく少数にはラ・ラメーが知るのと同程度の内容を既に話し、指示も出してある。流石に話の中身を丸々領内へと流すわけにはいかなかったが、上役が動じなければ、下が落ち着くのは案外早いとリシャールは知っていた。

 領内も、また領主様がご出世なさるらしい、これはめでたい……と噂にはなっていたが、それで皆の生活が変わるわけでなし、乾杯の音頭や挨拶の枕に使われる程度の静かな盛り上がりに留まっている。実態を知っている領空海軍士官らは、当たり前だが沈黙を守っていた。
 しかし、侯爵家となる備えも多少手紙のやり取りが増えたぐらいで家臣に必要な指示を出してしまえば結果を待って登城するのみ、侯国とする準備は計画のどこに影響が出るかわかったものではないので手が着けられずと、月の中旬を過ぎると実は平常営業に近い状態となってしまったリシャールである。
 今日は新たに葡萄畑の候補地と決まった、サン・ロワレの村外れまで足を運んでいた。村の大半で刈り入れが終わって余裕の出てきたエミール村長、タルブから味噌と醤油作りを教えに来たはずが、ワインにも多少は理解があることを期待されて呼び出されたポールとエメの夫婦、飲む方専門だが酒とそれにまつわる蘊蓄にはやたら詳しい司法官オリヴィエらがリシャールを囲んでいる。
「領主様、南向きの斜面で開墾の予定がないのは、このあたりになります」
「見たところ、雑草と灌木ばかりですな……。
 いや、痩せている土地でも良い品を誇る産地もありますから、こればかりは手を着けてみないことにはわかりません。
 しかし領主様、これだけの広さの領地に一つも葡萄畑がなかったというのは、むしろ驚きですぞ?」
「僕もまさか、王領七領を併合したセルフィーユの何処にも葡萄畑がないとは思いませんでしたよ」
 きっかけはいつぞや義父から、お主の領地にはワインがないのかと眉をひそめられてしまったことである。未だ余裕は無かろうが小さな男爵家でも自家製のワインを持つものも珍しくないのだ、すぐに作れと言って出来るものでなし、せめてマリーが恥を掻かぬようにしておけと、お小言を貰ってしまったのだ。
 だが領内に農村は僅かに四つ、その内の一つは開村から僅かなラ・クラルテで他は港町と鉱山村が二つ、あとは漁村に山村と、農業は端に追いやられているのがセルフィーユの現状であった。麦の自給率を上げるのが先かとそちらに力を入れていたし、こちらでよく食べられている魚介類に加えて、主菜となる肉類はアーシャの食餌にも関係していたから早々に養豚の奨励は行っていたが、嗜好品にまで手を回せる余裕が出来てきたのはつい最近である。
「はあ、大昔から麦ばかり作っておりましたからなあ。誰も苦労して一からやりたがらんかったというか、飲みたいなら麦を売って買えばいいというか……。
 ああ、ビール麦から作った麦酒ならあるにはありますぞ」
「……ほう?
 その割には、サン・ロワレの麦酒の評判というものは聞きませんな。
 村長、もしかして、売りには出されておられないのか?」
「ええ、オリヴィエ様の仰るとおり。
 自分たちで造って自分たちで飲んで、それでしまいです。
 ひと樽のビールには百リーブルほどのビール麦が要りますから、皆で持ち寄って仕込むのですよ」
 ああどぶろくかと、リシャールは頷いた。
 もちろん、密造酒として取り締まるようなことはない。
 流通に乗らなければ領主の方でも儲けに出来ないし、乗れば乗ったで農家には収入として課税するからだ。その先でも商人や店舗から税を取れるから、特別視はしなかった。名産地か特大の消費地でもなければ、特定の酒類に税を掛けるのは希だ。現代日本のように税務署の管理下で醸造までを禁止しているわけもなく、税を納めた残りものを自家消費するという意味では、同じ麦から粥を作るのと同列に見なされている。村内での融通は、まあ、お目こぼしというあたりだ。
「ふむ……。
 ポール君」
「はい?」
「君はもちろんセルフィーユは初めてだと思うが、タルブと比べてこちらはどうかね?
 暑いかな? それとも寒い?」
「ウルの月の収穫時期でこの気温なら……タルブとそんなに変わらないな、エメ?」
「そうね。
 でもオリヴィエさま、わたしたち、葡萄畑の世話の方はちょっと……」
「ああ、それは大丈夫。
 参考にさせてはもらいますが、経験者を募るか、希望者を集めて近くの産地に習いに行かせようと考えておるのです」
 オリヴィエも葡萄を作れワインを造れと、ポール達に無理強いしているわけではない。土地柄の違いを聞いて、選定の参考にしようとして連れてきたのだ。ちなみに葡萄畑の候補地にサン・ロワレを選んだのはリシャールだが、ワインの産地であるタルブと似通った風景だと思ったからという曖昧な理由だった。
「様々な品種を用意して初収穫までに四、五年、その中から土地にあったものを選び本格的に植え付けてさらに三、四年、品質と収量を安定させてワインの生産までを見込むと合計で十年から二十年というところでしょうかな」
「私としては、蒸留酒にも期待したいところですね」
「蒸留器はアルビオン式と大陸式、出来れば両方試しておきたいところです」
「えっ!?
 それほど違いの出る物なのですか?」
「ええ、もちろん。
 他にも蒸留に使う燃料などでも風味が変わりますし……ああ、こちらはワインでも同じ事ですが、寝かせる樽の材質や酒庫の気温と湿度、土地柄そのものも影響を与えますな」
 ワインの品質はそれこそ国中に評価が知れ渡るほどに世間が注目するものだが、それだけに良いものを目指そうとすれば道のりは長い。千年二千年と続いている醸造所すら大して珍しくはないハルケギニアのこと、当初は眉をひそめるほど酷い出来でなければそれでよいだろうとリシャールは思っている。領主主導でのワイン醸造は、祖父のところの『エルランジェの香味酒』のように商売として奇を衒うのとは、少々意味合いが異なっていた。
 義父の言葉を借りれば、家と共に歴史を歩むことを期待されているのだ。

 香ばしく煎ってから粉にすれば随分とましな味になることが判明したイワシの干物のスープの具に使う乾燥野菜を、製鉄所に廃熱を利用した乾燥室を作って量産する準備を始めたり、新作の堅焼きパンを試しに売り出して様子を見たりと、本業の領政以外も少しづつ充実させていると、翌月はすぐやってきた。
 自分の正装も爵位にあわせて新しく用意したが、カトレアの新しいドレスは急がせたものの王都別邸に直送、いつものように『ドラゴン・デュ・テーレ』に貴賓室を仕立てて前日夜遅くに王都入りすると、少しだけ口数が少なくなったリシャールである。
「大丈夫かなあ……」
「リシャール、あなたは堂々としてなきゃだめよ?」
 少しばかり随員を増やしたが式が終わればすぐに帰るからと、王都では密談を兼ねた義父らとの小さな夕餐以外に予定は立てていない。
 本来ならば必要とされる祝賀の宴席なども、催す予定はなかった。これまでは特殊な陞爵事情という背景とともに社交界からなるべく距離を取るという方針であったし、それを考えれば今回も似たようなものである。第一、これから出奔しようという侯爵が、人を集めてどうするのだ……。
 先に王都入りして何やら行っていただろう義父に予定通りであることを確かめると、リシャールは翌日に備えた。

「いいお天気だねえ……」
「あい!」
「いってらっしゃい。気を付けてね、リシャール」
「しゃーい!」
「……いってきます、カトレア、マリー」
 小憎らしいほどの晴天だが気分は今ひとつ晴れぬまま、リシャールは家族を残して王城へと向かった。彼女たちを連れてきても式の最中は待たせておくだけの話となるし、その後も出奔の表明という大騒動の裏で今後の打ち合わせなどに時間を取られてしまう。二人はリシャールの祖母エルランジェ伯爵夫人やその友人のギーヴァルシュ侯爵夫人に伴われて、実母カリーヌの待つラ・ヴァリエール家別邸へ集まり、貴族夫人としての心得を習うのだ……と言う名目のお茶会に呼ばれている。彼女たちの夫はそこにアルトワ伯爵を加え、揃って王宮に向かっているはずだった。
 
 道中でも城内でも、これと言った騒ぎはなかった。注目はされているのだろうが先日までと違って陞爵式の直前でもあり、更には『何故か』護衛と称してド・ゼッサール隊長がリシャールにぴったりとくっついていて、視線だけで人払いをしていた。
 陞爵式の方は、すこしばかり顔の知らない参列者が増えていたり、アンリエッタが全てを仕切ってマリアンヌ王后が一言も発しなかったりと、僅かな変化は存在したが、リシャールにしてみれば男爵の叙爵式の時と大して代わり映えのしない式典だった。
 終わればどうと言うこともない、これにてハルケギニアでも有数の小さな侯爵家の出来上がりである。
「陞爵誠に『おめでとう』、セルフィーユ侯爵」
「ありがとうございます、皆様方」
 式が終わると、幾らかの目配せと含み笑いを混ぜながら義父らが祝い、リシャールも多少緊張しながらそれを受けた。
 だが、本番はこれからだった。予定通りに呼び出され、城の内奥に向かう。
「リシャール、座って。
 ……それから、本当にごめんなさい」
「セルフィーユ侯爵、いらぬ手間を掛けさせたようで申し訳ありませぬな」
 部屋で待ちかまえていたアンリエッタとマザリーニに、いきなり頭を下げられる。
 宰相就任への煽りが押さえきれなくなったきっかけが、ハガルの月に王宮へと呼ばれた際、彼女らが企図したとおりに王政府の閣僚らと会談を重ねた為というのは聞いていた。だがそれ以前から貴族院主流派などがお飾りの宰相を作ろうと画策して自分を推していたことは知っていたから、ほんとうにささいなきっかけだったのだろうということも理解できる。
 応接室にはアニエスも居たが、彼女は護衛に徹するようで、目を合わせると少し笑顔になっただけで動こうとはしなかった。
「いえ、それ以上のご厚情を頂戴しましたので、申し訳なく思っております。
 それに猶予が与えられたと言う点では非常にありがたく、セルフィーユを離れずに済みましたことも感謝いたします」
「あなたがお飾りにされて困るのは、あなただけじゃないのよ」
「アンリエッタ様のご決断も、その点を見越してのもの。
 ……御即位までの数年、まだまだ国は揉めましょう。
 侯爵、貴殿がトリステインへとお戻りの後には、王国の藩塀としてだけでなく、トリステインの将来そのものを支えていただきたく思っております」
 改めて聞かされると実感も湧くものだ。
 近日中の宰相就任は、ともかくこれで避けられることになるだろう。
 代わりにリシャールは数週間から数ヶ月の後、諸侯領とほぼ等式で結ばれるほど手厚い保護をされた名前だけの属国の国主として、トリステインを離れる。時期を見ていずれ戻ることも、見捨てられることがないことも確認できているが故に慌てもしないが、これはこれで世を騒がす事態にも違いない。
「そういえば、こちらではどうなっていますか?
 ラ・ヴァリエール公爵様にお尋ねしたのですが、概ね予定通りだとしか仰いませんので、今ひとつ自分の事ながら把握し切れていないのです」
「そうですな、概ね予定通りです」
「そうね、予定通りね……」
 二人の語るところでは、未だに王家が間に入っての手打ちに納得せぬ者も多いようで、抱き込んだ数人も含めて揺れている者も多いらしい。独立させてまで守るべき人材かどうか、諸外国につけ込まれてトリステインが大きな損害を出すのではないかと不安もあるようだ。
 貴族院議長で反ラ・ヴァリエールの旗手リュゼ公爵が、頑として反対していることも影響していた。アンリエッタもこちらの手打ちを飲むようにと懐柔を図っているが、なかなかに厳しいそうである。
「デムリ財務卿やリッシュモン高等法院長も頑張ってくれているのだけれど……。
 いっそまた、お母様にお出まし願おうかしらと思うほどよ」
「二度目は悪手となりましょうな。
 アンリエッタ様が主導なさらなければ、親政に影を落としかねませぬ」
「そうなのよね。
 でも、貴族院の賛成派は、必ず五分までは持って行くわ。
 ……リシャール、お城を攻めるときは、城門が堅固ならその周りの塔や砦から落としていくものだそうね?」
 くすりと笑ったアンリエッタは、平議員の取り込みは進んでいると口にした。
「王政府の方も一枚岩とは言えませぬが、セルフィーユからの貢納が滞らぬことと、再併合の確約がアンリエッタ様と侯爵の間で結ばれていることが決め手となりまして、上は概ね賛同の方向で動いております」
 こちらはやはり実務優先の気質か、国の収入がそのままで後々土地も戻ってくるのなら、一時的に名前が変わるだけと割り切っているらしい。
「純粋に侯爵を支持している層には申し訳ないが……独立の承認が貴族勢力の二分を憂いたアンリエッタ様のご決断ということを喧伝すれば、噂が収まるのも時間の問題となりましょう」
 ここは真実そのままだなと、リシャールは頷いた。

 予定の確認や疑問の解消に時間を掛けた後、リシャールも手札を切ることにした。せめてもの抵抗というよりも、実際に王政府へと奉職するならこの形式がよいと考え抜いた結果でもあった。
「独立についてはもちろん話し合いの通りにいたしますが、一つだけ、お願いがございます」
「なにかしら?」
「再併合の後ですが、やはり宰相の椅子は遠慮したいと思いまして……少し提案をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
 リシャールは、アンリエッタらの承認が得られるならば、独立中の数年を使ってトリステインの財政好転を計画し、その後は専任の閣僚か高級官僚として直接采配を振るう方が良いのではないかと思っていることを話した。
「自分に求められているのは、やはり経済面で王国を支えることだと考えました。
 であるならば、全体をまとめる宰相職という強力な立場は、一見有効に見えても外交やその他の内務にも大きく力を割かねばならず、却って障害になるような気がします。
 実務に専念出来る役職に座らせて貰うのが、一番ご期待にお応えしやすいのではないかと思うのですが……いかがでしょうか?」
「そうね。
 リシャールの言うように、一番の期待はその点で間違いないのだけれど……」
「確かに侯爵の言にも一理ありますが、別の問題があります」
「別の問題?」
 アンリエッタとマザリーニは、顔を見合わせてため息をついた。こちらに分かるのに、何故あなたにはわからないのという顔をしている。
「リシャール、あのね。
 あなたの他に誰か、宰相を出来そうな人は居て?」
「……マザリーニ猊下ではいけないのですか?」
 既にその椅子に座っているし、能力にも忠誠にも疑うべきところはない。アンリエッタからの信頼も、リシャールどころではないはずだ。
「私は駄目ですぞ。
 どう頑張っても、アンリエッタ様の治世の最後まではつきあえませぬ。
 ……こればかりは、忠誠や誇りだけでは補えぬものですからな。
 出来得れば、貴殿の宰相就任と共に、顧問として身を引きたいとも思っております」
 そういう事まで考えなくてはならないのかと、リシャールは俯いた。人間には、寿命や老いというものがある。
 まだ四十代のマザリーニだが、アンリエッタと同い年のリシャールと比べれば随分と年輩だった。どれほど頑張りたくとも、常に精神と体力をすり減らす宰相ともなれば、寿命の最後までその職を全うすることは難しいだろう。
 以前頼まれたように、国に推薦出来る人材を本気でこの四、五年以内に探しておいた方がいいかもしれない。
 でなければ、宰相の椅子に座らされることが確定となりそうだった。
 
 夕刻の遅い時間になって、リシャールはようやく城を出た。馬車の前後には、魔法衛士隊の騎士が護衛についている。何とも仰々しいが先のド・ゼッサール隊長とは別で、彼らは『何かあった』と知らしめる旗差しものなのだ。
 馬車はセルフィーユ家の別邸ではなく、ラ・ヴァリエール家のそれに入っていく。
「リシャール、お帰りなさい」
「とうさま!」
「ただいま。
 皆様も、お集まりいただきましてありがとうございます」
 家族の出迎えを受けてから、リシャールは周囲を囲む皆に挨拶をした。義父を始め、粗方の関係者が揃って彼の帰りを待っていたが、祝いと言うよりは励ましという雰囲気での、小さな夕餐が予定されているのだ。
 口々にからかいとも取れる祝辞を投げかけられながら、宴席に連れて行かれる。
「ははは、自慢の孫じゃが、まさか爵位まで抜かれるとは思わなんだわ」
「抜かせた、でございましょうに」
「であるな。
 公爵、そのうち儂のように、貴殿も並ばれるかもしれませぬぞ?」
「それは願ったりですな。
 ……その時は随分楽をさせてくれるのだろう、リシャール?」
「えーっと……」
 一晩中この調子なのだろうかと、リシャールは天を仰いだ。当主衆は既に、揃って顔が赤かった。
「皆ようように羽を伸ばしているところでもあるからな、許せ。
 私は王都に張り付いて鳥の骨と幾度も話す羽目になったし、お主の祖父殿とギーヴァルシュ侯はつい昨日、この騒動の理と益を解いてマルシヤック公爵を口説き落とされたところだ。
 アルトワ伯は若いからな、我らの代わりにあちこちの諸侯のところに飛んで貰っていた」
 領地で遊んでいた訳ではないが、多少申し訳ない気分にもなる。
 皆にやにやとしているが、決して楽しみだけでリシャールを中心とする『王太女殿下の陰謀』に加担したわけではない。自家の安泰や、トリステインの将来といった重大事を賭札にしているのだ。
 数日後には、セルフィーユ独立劇の第二幕が上がるが、自分はまた、呼び出しが掛かるまでは領地に留め置きの予定だった。
 本人がのこのこと出て行ってはせっかくの策謀が台無しになってしまうこともよくわかっていたが、どうにも落ち着かないのだ。小規模な組織で陣頭指揮を執る方が、やはり性に合っているのだろう。先まで読めていれば、どこかで歯止めを掛けていただろうなと思うと同時に、やはり政治や策謀は自分には向かないとも気付いている。
 新しく作るワインの意匠や販路、蒸留酒の製法の決定に頭を悩ませている方が余程自分らしいと、人知れず苦笑したリシャールであった。

 翌日『ドラゴン・デュ・テーレ』は予定通り静かに王都を離れ、セルフィーユへの帰り際、クロード、ルイズ、キュルケと彼らの友人数名を乗せる為、トリステイン魔法学院へと舳先を向けた。




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