ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第十九話「居候」




 王都から戻っても、年始の休暇中は忙しい。
 アニエスの出立準備に後任の人選、恒例となっている領内の要職にある人々を集めての施政方針会議と年始食事会、それに関連して年々長くなっていく年明けの触書の用意、領政にはまったく無関係ながら醤油と味噌を作れる者をタルブから職人として呼び寄せる準備など、徴税が始まる休暇明けの方が実は余裕ができそうな状況である。それが悪いとは言わないし言えないが、もう少し忙しさを分散しても良いような気はしていた。
 それでも徴税月間が始まって庁舎と各村々の支所が全力で走る馬車の如く忙しくなり、無事にアニエスを王都へと送り出した頃……。

「お父様と喧嘩しちゃって家出してきたの。しばらく泊めて貰えないかしら?
 ……ってあら?
 まあ! マリーったらいつの間にこんなに大きくなったの!?」

 カトレアの親友であるゲルマニアはツェルプストー辺境伯家の息女キュルケが、笑顔一杯にセルフィーユを訪ねてきたのである。

「お父上と喧嘩したって、いったいどうしたの?」
「聞いてカトレア! 酷いのよ、お父様ったら……」
 女性特有のある種勢いのままに進む会話に口を挟むのもどうかと、リシャールはマリーを膝の上に抱いて絵本を開き、聞き役に徹していた。
「こっちはうさぎさん、こっちはきつねさん」
「うさぎー!」
「うんうん」
 脱線を挟みつつも聞き取れた内容を要約してリシャールの言葉に翻訳してみると、自由気ままに振る舞っていたらヴィンドボナの魔法学院を退学処分になり、実家でぶらぶらしていると今度は父親と喧嘩になり、勢いで家出してきた……と言うことらしい。
 それにしても、退学処分になるほどの気ままさとは随分すごいのだろうなと、リシャールは絵本をめくりながらこっそりとため息をついた。

 辺境伯家と言えば、ロマリアの大王ジュリオ・チェザーレの『大征服』時にその版図の周辺部、つまりは国境付近に置かれた地方長官職に端を発する。首都のあった中央から見て辺境、と言うわけだ。単なる司政官ではなく軍権を持ち、地域の諸侯を束ねる一地方の王のような職であったらしい。大王の死後にその領土は四分五裂し、各辺境伯領もそのまま領国として小国を形成したり力押しで征服されて滅びたり、あるいは辺境伯の地位を約束されたまま大国に組み入れられたりと様々な運命を辿ったので、現存する辺境伯家は少ない。
 トリステインにはないが概ね侯爵級、一部は公爵位にほど近い家格を広く認められているように、生き残っているのは相応の歴史を誇る名家が殆どで、中でもツェルプストー家は頭一つ抜きんでた家だった。広い領地とゲルマニアでも有数の財力を誇るだけでなく、それこそ格式の面からでもラ・ヴァリエール家と真っ正面から対抗できる家の筈で、その家の力でもみ消せないほどの無茶をやらかしたキュルケはある意味大物だと言うべきか。
 実際の退学理由については本人が口を噤んでいるので何とも言えないが、その内容が少々気にはなっているリシャールであった。

「それでね、家でしばらくもやもやしていたのよ。あちこち遊びに行く気分でもなかったし……。
 そうしたらお父様が、結婚しなさいって見合いの話を持ってきたの」
「あらあら」
「でもね、その相手ときたら四十も年の離れた老侯爵!
 あたし、頭に来て『そんなよぼよぼの老人と結婚するぐらいなら、リシャールの妾になった方がましですわ!』って、家出してきたのよ」
「まあ!」
「ちょ……キュルケ!?」
「とーさま、だーめ!」
「……ごめん、マリー」
 突然自分の名が出てむせ、びくんとなったリシャールの手をマリーがぺちぺちと叩く。驚いた拍子に、絵本が閉じてしまったのだ。
「キュルケ、変なところで僕の名前を出さないように……」
「あら、カトレア以外の女性が全く見えてないっていう重大な欠点があるけど、あなた、割にいい男だと思うわよ?
 ヴィンドボナの魔法学院にいた男ども程度じゃ、リシャールの対抗馬にはちょっと厳しいかしら。
 でもカトレアと張り合うのはなしだから、お妾さんのお話もな・し・ね?」
 ふふんと大きな胸を張ったキュルケは、やれやれと嘆息を飲み込んだリシャールの視線の先に気付いて、にやにやと笑った。
「……惜しかった?」
「惜しくない!」
「もう、そこは嘘でも惜しいって言わないとモテないわよ?」
 最初から冗談だと見抜いていたのか、カトレアは楽しげな様子でそのやり取りを見守っていたが、リシャールからマリーを受け取って頬に小さくキスをした。
「お父様、モテないんですって。
 残念ねえ?」
「ざんねーん」
 しっかりと両の手を挙げ、リシャールは早々に勝負を下りて降参することにした。女三人寄れば姦しいとも言うが、それはともかく口で勝てるなどとは思えなかったのだ。

 遊びに来てくれる分にはまったく構わないしカトレアたちも喜ぶので大歓迎なのだが、他国の名家の子女の扱いを妾にしか見えない居候とするわけにもいかず、リシャールは仕事の合間にツェルプストー辺境伯へ手紙を書いて現状を知らせた。家紋付きの馬車ごとお付きの侍女と御者も預かったままでは、流石に放置というわけにもいかない。
 だが、しばらくの後に戻ってきた返事には、春まではセルフィーユで娘を預かって欲しいことと、その後はトリステインの魔法学院へと入学させるつもりなので説得して欲しいこと、そして、娘が嫌がらないなら本当に妾にしてもよいことが書かれていた。
「最後の一節は彼のお人らしいと言えばらしいけど、ほんとに余計なことを書くなあ……」
 その一節がなければキュルケに手紙を渡し、親子で直接手紙のやり取りをするよう仕向けて喧嘩を止めて貰うのが一番楽なのだが、仲裁はリシャールの仕事になるらしい。
 しばらくは時間もあるし、彼女が落ち着くまではこの返事も内緒にしておこうかと、ツェルプストー辺境伯からの返書は鍵のかかる引き出しにしまい込み、リシャールは横に避けていた税務に関連する書類束へと手を伸ばした。

 この徴税という行為もまた、リシャールの頭を常に悩ませている問題の一つであった。
 領主の権利でもあるし、セルフィーユ家には主要な収入源の一つである。封建制度いう統治手法の根幹を為す要素として非常に重要で、商人が商品を売って客から代価を受け取るように、領主は税を受け取って公益として領民に還元することで、領地の発展を促す……とは掲げつつ、リシャールも金勘定に関してはどうしても人が悪く成らざるを得なかった。徴税の歴史とは裏を返せば脱税の歴史でもあると言われるほどに、両者の関係は密接だ。
 現在のセルフィーユでは、幾らか手法に手を加えたものの、王国で従来より行われていたリシャールから見ると中世的な古い徴税方法からは極端に逸脱していない。……と、手を加えるよう指示を出した本人だけは思っている。
 王都など店舗の多い都市部では、徴税官吏による類推で課税額を決定すると言う恐ろしくいい加減な制度が主流であったが、これも注意深く考察してみれば真っ向から否定できるものではなかった。徴税に関わる官吏の数が大きく減らせること、増減税の手続きが容易であること。徴税額の予想が立てやすいこと、その計算が他の手法と比べて恐ろしく簡便に済むこと……。統治する側からしてみれば、非常に『洗練された』徴税方法なのだ。その代わり、徴税額の評価を盾に官吏が私利を貪りやすいし正確で公平なものとは言えなかったから、市民からの評判は最悪に近い。
 情報化社会で高度かつ緻密な税制が施行され、それこそ分単位秒単位での金銭の動きさえ追跡調査出来る現代でも、脱税は手を変え品を変え後がたたないのだ。また現状、脱税の意図はなく真面目に応じている者たちがほとんどでも、計算どころか文字の読み書きすら怪しい農民や、書式さえ半ば知らず確かめようもない帳簿を庁舎に持ち込む商人たちから正確な金額を納めさせるなど、神の御技の領域だろうと半ば投げているリシャールである。
『如何致しましょうか、領主様?』
『まあ、少しぐらいは大目に見ましょう。公正であれと言いながら、無理をさせているのはこちらです。
 ……でも、目に余る不正を行うようなら、本当に兵士を差し向けることも考慮します』
 領主の権力を盾に厳密な徴収を追求しすぎるのも領民に負担と不満が溜まってよくないし、だからと自分まで堂々と丼を掲げ判明している不正まで見逃すのは流石に無責任である。
 浅知恵で結った泥縄の如き方法でも、理想に近い分多少はましと割り切ることも必要だった。世の中の緩さと上手くつき合っていくことが求められているのである。
 ちなみにしばらくの後、納税者に代わって必要な書類を整え税の計算まで行うという、代書屋ならぬ代算屋が領内に開業していることを知らされてリシャールは頭を抱えた。年末の領内各村のみならず、余所からセルフィーユへと商売に来ている者には既に必要不可欠な存在らしい。後の世に言う会計士や税理士のご先祖様を、望まずして誕生させてしまったようである。

「またしばらくで無理が出てくるんだろうけど、いまはこれが精一杯、かな?
 いや、どうだろう……」
 リシャールは各村に役人を配置し、庁舎で処理される業務の一部のみならず徴税にも当たらせていたが、他の諸侯領では徴税やその他布告も村長に委託することが一般的だった。家臣に紙を一枚持たせて走らせれば、向こうから結果がやってくる。
 だがリシャールには、未来予測というほど大げさなものではないが、殺伐とした数字の列からの逃避の合間に見えてしまったものもあった。それこそ杞憂の極致かも知れないが、気付いてしまったものは仕方がない。
「ほんとこの時期は人の悪い考えしか出てこないな……」
 いらぬ想像力というものは、止めようとすればするほど働いてしまうものらしい。

 リシャールが暮らすトリステイン王国の人口は公称百五十万、面積は二万二千アルパン弱と言われている。大国ガリアなどは両方の数値がこの十倍以上になるが、それは横に置いて、セルフィーユの人口は三千五百、面積は三百二十アルパンとかなり正確な数値がリシャールの手元にはあった。東京都の半分ほどの面積にたった三千五百人しか住んでいないわけで、現代日本の尺に換算すればラマディエまで入れても一平方キロメートルに三人少しの人口密度となる。トリステインの平均から比べても、鄙びた田舎としか言い様がない数字だった。
 セルフィーユの領都とも言うべきラマディエの商業都市化は既定の路線だが、現在のところ周辺部も人口は微増傾向にあるし、庁舎でもそれを後押ししている。当初は生活再建が主目的で、庁舎主導で用意する仕事も現地に近い場所の領道工事や耕作放棄地の再生など、日払いの短期仕事に比重を置いていた。現在も新領ではその傾向が強いものの、当座の生活費の心配がない移住者には農地を貸与して自営農への一歩を踏み出させ、あるいは着の身着のままに近い者ならば伯爵家直轄の御料農地や御料牧場に給与労働者として雇用する形で定住を支援している。
 無論、領民の生活向上と領地の発展、その結果得られる税収の増大が主目的なのだが、ではこれを推し進めると将来はどうなるだろうか?
 領民が増えて行くのは間違いない。数十年数百年先を考えれば、ラマディエは今以上に都市化が進み、現在ある村はそれぞれ街に発展し、その周辺部には新たな村が誕生する。
 そこで鍵となるのが、村に置かれた支所と役人たちだ。
 自治に委ねればリシャールも、そして恐らくは領民側も楽だろうし、直接支配による利点など現時点ではほぼなかった。支所の存在は触書や布告の発布には便利であったし、定期的な報告が届くことで移住者の割り振りや施策の変更など微妙な調整に融通が利くのだが、普段、村には役人の給与と支所の維持費に見合うほど書類仕事がないのである。おかげで新人官吏の教育にはうってつけでもあったが、これはあくまで余録だった。
 だが捕らぬ狸の皮算用とは言え、将来、農村部も人口が増えて巨大化が進めば話が変わってくる。自治に任せていた場合、村長ら有力者を中心とした自治組織が大きな権力を持ったまま村が街になってしまうのだ。自治権の拡大は、極論すれば領主の権利の否定に繋がる。自治都市と言えば聞こえはいいが、それは即ち、そこに根付いた人々が自らを統治する、領主の言うことを聞かない都市のことでもあった。
 支所と役人は、そこで仕事をする当人達も知らぬ間に、自治の芽を摘み取るのだ。フランス革命ならぬセルフィーユ革命など起こされては、たまったものではなかった。トリステイン革命は……運が良ければ国の中枢に働きかけて、あるいはもしかすると自らの手で止められるかもしれない。
 何れにせよ革命が起きたその時、断頭台に登るのは支配層にある王や領主や、その家族であった。

「まあ、そんなことになるはずもなく、ぼーっとしている間に仕事が終わるわけでなし、と」
 きっかけとなりそうな悪法の発布も圧政と言うほど酷いこともしていないはずだよなあと、冷えてしまった香茶で喉を潤して眠気と共に陰鬱な気分をほんの少しだけ吹き飛ばしたリシャールは、新たな書類束に手を伸ばした。
 よくもまあ我知らず早期に支所を設置し、先手を打っていたなと自画自賛したかは、本人のみが知るところである。

 もちろん、仕事を終えて城に帰ればのんびりは出来るのだが、一人増えただけで賑やかなことこの上ない。
「ねえ、リシャール」
「なにかな、キュルケ?」
 リシャールも忙しいながら朝夕は共にするし、意外と面倒見の良いところを見せるキュルケにはマリーもよく懐き、城でも家族同然に過ごしていた。でっかい妹……などと口にすれば怒られるだろうが、気分としてはその様なものである。
「離れ小島に廃城があるんですって?」
「ああ、あるけど?」
「退屈しのぎに探検に行ってもいいかしら?」
「探検かあ……」
 居候のお嬢様は随分暇を持て余しているらしい。だが広大なツェルプストー辺境伯領と違い、丸一日あればセルフィーユ領内の主な場所は巡れてしまうから、彼女の退屈の虫が騒いでも不思議はないかと頷く。
 アリアンス島の廃城は、時折軍が演習に使う以外は燈台の守備隊もあまり近づかず、普段はリシャールもああ、あったなあと思い出す程度だ。
 それに離島の廃城とあって亜人が住み着いているような話もないし、残念ながら幽霊が手ぐすね引いて待ちかまえていたり、隠された秘宝が眠っているとも聞かない。以前の調査にはリシャールも立ち会っていたが、それほど危険はないはずだった。
 廃城にまつわる昔話で唯一面白かったのは、往事には駐留していた艦船が空中から漁網を繰り出し、細かな操船の腕を競い合っていたという話ぐらいだろうか。両用船舶でないフネで、空中の風に船体を煽られつつも海流に流される漁網を巧みに捌くなど並の技量では不可能と、ラ・ラメーなどは自分なら出来ると言わんばかりに笑っていた。
「まあ、構わないけど……流石に一人は駄目。演習がてらに衛兵の一隊をつけるからね。
 それから、今は廃城だけど不用意に壊さないように」
「もしかして綺麗にしてから引っ越すの?」
「まさか!
 あの廃城、単純な面積だけでもこの城の十倍近いんだ。
 たぶん、維持に必要な家人の数も十倍で、うちの家が破産するよ」
「お父様は引っ越しを勧めていらっしゃったけど、わたしも躊躇うわね」
「うん、カトレアの言うとおり。……あれはちょっとなあ」
 トリステイン王立空海軍東方艦隊の根拠地であった当時は千数百人が起居していたという話で、城に空中埠頭があったことも含めて規模も相応のものを誇るのだ。それにアーシャで移動できるリシャールはともかく、一々フネでの行き来を考慮しなくてはならないあの城は、そこで生活する者には恐らく不評となるだろう。
「でも、僕が住むのはともかく、今ある空港が常に商船で満杯になるぐらい忙しくなるようだったら、領空海軍をそちらに引っ越そうかという話は出てるんだよ。
 ……そのぐらい交易が盛んなら、領空海軍もフネの数を増やさなきゃならないだろうしね」
「ふーん……」
 その不便な城に領空海軍が喜んで引っ越すかと言えば微妙なのだが、石造りの埠頭は僅かな整備で元の姿を取り戻せるし、建物は大きく手を入れるにしても新築よりは余程楽が出来る。
「何もないとは思うけど、退屈しのぎにはなると思うよ」
「あい!」
「……マリーはお留守番だよ?」
「ぶー!」
「マリー、お母さんといっしょにキュルケお姉さんを待っていましょうね」
「……かーさまー」
 意味がわかっているのかいないのかはともかく、不満げな愛娘には微笑みを投げて誤魔化しておく。大人が散歩するならともかく、流石に一歳児には危険すぎるだろう。せめて不安なく階段の上り下りが出来るようになってから、挑戦して貰いたいところである。
「ともかく、厨房に新作の堅焼きパンを用意させておくよ。気分ぐらいは出せると思うからね。
 ……以前の調査で作った地図はどこにあったかなあ」
「あら、リシャールも来てくれるの?」
「……半年後まで出発を待ってくれるならね」
 この忙しい時に、探検に行くからと領主が庁舎を抜け出るのは流石に問題だ。
 報告を楽しみにしているよと、リシャールは片手を挙げた。

 一日開けて翌々日、『ドラゴン・デュ・テーレ』には訓練の前後にアリアンス島へと寄港するように指示をして、ジャン・マルクを通じて衛兵隊と領軍より希望者を募って組織した探検隊とともにキュルケを送り出したのだが……。
「リシャール、新発見があったわ」
「えっ!?」
 廃城から帰ってきたキュルケは言葉の割に余り嬉しそうではなく、彼女と並んで報告に来たジャン・マルクは割と真面目な顔だった。
「リシャール様、地下室が新たに見つかりました」
「地下室?
 まだあったんだ……」
 以前の調査ではリシャールや領軍のメイジも探査魔法を使ったし、厨房跡の地下食料庫や地下を通って海岸に続く通用階段、沢山の小部屋が並んでいる規模の大きな地下兵舎など、幾らかの地下構造は発見されていた。
「でもね、銅貨一枚見つからなかったのよ……」
 がっくりと肩を落とすキュルケに、ジャン・マルクが付け加える。
「以前発見した兵舎地下通路の奥の壁が、綺麗に塗り込められておりました。
 中の小部屋は階段の踊り場でありまして、結果から申し上げますともう二層、地下構造が発見されました」
「二層も!?」
「はい。
 ただ、その二層は上層に当たる兵舎跡とほぼ同様の構造でありまして……。
 おそらくは廃城になる遥か以前、やはり兵舎として使用されていたのでしょうな」
「入り江に続く階段もあったけど、ただそれだけよ。
 朽ちた漁船と朽ちた桟橋と朽ちた小屋と……ああ、もう!」
「集落に人を遣って聞きましたが、艦隊が駐留していた頃は通用口のように使っていたようです。
 表口の海港とは別に軍専用の『漁港』のようなものがあり、そちらを当て込んだ漁師が集まるおかげで、集落も昔はル・テリエの漁港並に人が集まっていたそうで……」
「城の規模が小さくなり、ついには廃城になって集落も廃れていった、と?」
「そのようです」
 見逃していたのは間違いないようだが、地下室の方は何らかの事情で艦隊の規模が小さくなった時、完全に閉じてしまったのだろう。リシャールの住むこのシュレベールの城にも、未だに閉めっぱなしの部屋が幾つもあるぐらいだ。元が軍施設であれだけ大きい城ならば、不要部分は閉めきって経費を浮かせるのは当然だった。
「絶対に何かあるって、あたしの直感が告げていたのに!
 打ち捨てられたお城には、財宝が埋もれてなきゃダメよ!」
「まあまあ、落ち着いて。
 あの城は戦闘がきっかけで廃城になったわけじゃないから、中身を運び出す時間はたっぷりあっただろうしなあ……」
 往事には水兵たちの給与や補給物資の購入資金ぐらいは常時保管されていただろうが、司令部が艦隊予算の管理を疎かにしているわけがない。兵士達も課業の一部である兵舎の掃除に手抜きがあれば規定の罰則を受けるはずで、引っ越しの時にはこちらも綺麗さっぱり片付けられていたはずだった。
 元が個人所有の城であればもう少し楽しみもあったのだろうが、危険なものでなかっただけよかったかもしれない。
「ともかく、ごくろうさま。……暇つぶしにはなったかい?」
「くやしいけどね。
 誰も入ったことがない地下を歩いてるときはわくわくしたわよっ!
 ねえ、他には何かないの?」
 廃城とは言わずとも、他にもなにか面白そうな名勝旧跡があればいいのだが、セルフィーユではもう引き出しを逆さにしても出てこない。
 彼女には、冒険を諦めて入学の準備でもして貰うしかないようであった。




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