ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第十四話「接点」




 生まれて初めてトリスタニアの王宮へと登城した時には、廊下に飾られた豪華な調度品に圧倒され、将軍に声を掛けられてただただ緊張していたような気がする。
 無論、王宮の奥深くで姫殿下と宰相閣下に挟まれてテーブルに着くことなど、少しも考えてもいなかったことだけは間違いない。ましてや茶杯こそ置かれていても、優雅なお茶会とはほど遠いやり取りを交わすなど思いもしなかった。
「なるほど、即効性は期待できないが将来を見越せば悪い選択ではありませんな」
「はい、猊下。
 既得権の侵害には誰しも敏感な反応を示すもの、その点を如何に回避するかがこの案の成否の鍵かと存じます」
 本日の舞台は城の内奥も内奥、アンリエッタの私室の内の一つで、平素は厳選された教師が学問や魔法を授ける学習室として使われている一部屋であった。魔法衛士隊の騎士が部屋の入り口を守っているのはもちろん、侍従や侍女さえ遠ざけられている。先日のテラスでの奏上に比べ随分と物々しいが、話題の主軸が先日とは違って王政府の内部事情で、時折当事者の実名が挙がったりする生々しい内容であれば致し方ないというものだ。
「私腹を肥やす権利なんて、その様なものがあるのですね……。
 リシャールの説明で現状については理解は出来ましたけれど、納得は出来ませんわ」
「正確には権利などではない役得や不正なものも含まれますが、この場合は一括りにしても問題ありませんでしょう。
 少しの利得でやる気を起こして、王国に、政府に大きな利益を引っ張ってくるようならば、こちらも多少は目も瞑りましょうが……。
 少し……とは最早言えますまい。度を超えた現状こそが間違っておるのです」
 殖産興業を中心に領地の経営指針や制度、果ては不正を働く官吏への対応まで、内容は広範囲に及んでいたが、素案の討論に混じって基礎的な内容の講釈も行われている。
 アンリエッタへの講義にかこつけて、リシャールにも現状を学ぶ場を与えられているのかもしれない。……その裏に隠されていると思しき宰相や義父の意図に素直に乗るべきかどうかは別として、知らないでは済まされない情報も多分に含まれていた。少なくとも午後からの数時間という短い時間で、トリステインには本当に『お金がない』のだとリシャールは真実理解した。
「リシャール、セルフィーユではどうだったのかしら?」
「はい、実は官吏からの逮捕者は未だ出ておりません。
 もちろん、私が気付いていないだけの可能性もありますが、主な理由は……トリステインと正反対であるからではないかと思います」
「正反対?」
「一つには、不正を行えるほど領地と官吏が熟成していないことです。
 当初など役人とは名ばかりで、読み書きと算術を教えるところから始めねばならない者もいたほど規模も内容もお粗末な庁舎でしたから、筆頭家臣を金庫番に仕立てて、官吏には金銭の出入りを全て書類にして現物と照らし合わせるよう命じ、あとは朝夕に確認するだけで事は済んでいました。
 二年目には村々にも役人を置くようにしましたが、金銭のやり取りは徴税と定額が定められている認可料の徴収のみに限っておりますし、村民の方にも書類が残るようにしてありますから、そのまま懐に入れるにはちょっと工夫が必要でしょうね。
 出来ることから始めて必要な部分を後々付け足していきましたから、随分複雑な仕組みになっていると、元は他家で勤めていた家臣から聞かされた覚えがあります」
 ラマディエのまとめ役リュカやシュレベールの村長ゴーチェから聞いたような、役人が台帳に印を入れてそれでおしまいという会議の出欠を取るのと変わらない徴税システムは流石に改めさせたリシャールである。都市部ではそのようなことはないらしいが、そちらはそちらで台帳の改竄や税額評価の上乗せなど、また別の『徴税技術』が発達しているとスカロンから聞いていた。
「二つ目は、官吏に誰一人として貴族がいないからでしょうか」
「まことですか!?
 リシャール、セルフィーユの切り盛りは全て平民が行っていると?」
「はい、庁舎には家名を持つ貴族はおりません。
 杖を持つ者は僅かながらにおりますが、貴族籍を持っている者はこれ全て、領空海軍の士官とその家族です」
 アンリエッタは相当に驚いていたようだが、マザリーニは意味ありげにふむと頷いた。彼はクレメンテ司教との親交故に、新教徒がセルフィーユへと移り住んだことを知っている。
「筆頭家臣から下働きに至るまで全員が平民ですから、職位の範囲を飛び越えて、身分差を権力として振りかざすようなことは出来ません。
 逆に職位が上であるからと無茶な要求を部下に呑ませることもまた、同じ理由で不可能です。
 他には……仕事を求めて余所から流れてきた者も多く、お互いがお互いを知らなかったことも影響しているかもしれませんね。
 それに実状に合わせて書式を変化させていった書類仕事も多いですから、慣れないうちは説明の書かれた冊子を見ながら仕事をするように申しつけています。
 距離感が取れないうちは人も書類もなかなかに扱いにくいものですから、そのような余力は生まれません」

 リシャールは気付いていなかったが、本当はそれらに加え、移り住んできた新教徒の民族性とも呼ぶべきものがセルフィーユの庁舎だけでなく領地全体の空気を支配していたことが大きい。彼らの掲げる実践教義とは余りにもかけ離れた、聖なる放蕩貴族とも揶揄されるほどの奢侈な暮らしぶりを誇るロマリア上層部への批判が彼らの弾圧に繋がったことを考えれば、不正や腐敗には人一倍敏感で嫌悪感を抱いていることは疑いない。
 領主は何も言わぬまま彼らを領民として迎え入れたが、見えざる契約は確かに結ばれ、間違いなく履行されていた。自らと家族と同胞が常に命の危険と晒され続けてきた彼らのこと、それがどれほどの意味を持つのかは身をもって知っている。先代教皇の死によって弾圧が緩んだことも後押しして、彼らはセルフィーユに根を下ろし、二の次にしていた生活を再建する方向に動き始めた。
 では煽りを受けた側である旧来の住人たちがどうであったかと言えば、こちらも代官が去って領主を受け入れたことで、環境が大きく変化している最中であった。搾取されていたか弾圧されていたかの違いはあれど、生活からの再建という点では新教徒と何等変わりない。セルフィーユと地名が変わって以来、夜逃げの相談をする必要は無くなった。
 そして領主であるリシャール、これはもっと簡単で切実な理由から領地の発展と領民の生活力向上を後押ししていた。それらは彼の持つ単なる税の徴収で返しきれる金額ではなかった借財の返済に、基礎となる税収の増加という形で大きく寄与するのである。
 三者の目指す先は、一致していたのだ。
 
「それに、アンリエッタ様は驚かれていたご様子ですが、平民が領政の一部を取り仕切ることについては、それほど珍しいことではありません。
 ゲルマニアに於ける平民への受爵や封領とは異なりますが、トリステインでもごく普通に見かけます」
「……そうなの?」
「はい。
 例えば……セルフィーユの近くには領主一家と村一つで領民数十人というごく小さな領地もありますが、村長が徴税の代行やちょっとした陳情の処理を行うことは、普通に行われているものと存じます。もちろん、村人が村長の手伝いをすることもあるでしょう。
 うちは少し大所帯かもしれませんが、仕事の内容そのものに大して違いはありません」
 領道はともかく、他領や王領を跨ぐ街道工事は王政府のお墨付きを拠り所に初期の交渉を行ったが、領主の許可が得られた後は、主に現地のまとめ役たる村長を通して事を進めることも多かった。
「当家は貴族層の家臣が居なかったので、このような経営を行っております。
 只今申し上げた内容と矛盾するようですが、もちろん居れば居たで資質に合わせて仕事を割り振り、私の代行者として仕事を任せていたと思います。
 対処法と致しましては頻繁な配置換えを行って仕事に慣れさせないようにすることで、先ほど申し上げた内容と同じ様な効果が得られます」
 不思議そうな顔のアンリエッタに、言葉足らずだったかと付け加える。
「配置換えは最初から任期の区切りを伝えておけば、納得されるものです。
 それに仕事……特に記録の残る書類を引き継がせることによって相互の監視が成り立ちますから、不正の発覚にも役立ちます。内規で勝手な書類の廃棄は禁じておりますし、出納に関しては相手方にも記録が残りますのでそう悪いことは出来ません。……その分紙代も手間も嵩みますが、そこは目を瞑ることになるでしょうか」
 それでも抜け穴はあるもので、代々不正ごと引き継がれる可能性もある。それこそ監査役の目を盗むのはおろか、ともすれば抱き込むほどの悪党がいても不思議はない。今のセルフィーユではあり得ないと笑っていられるだろうが、将来必ず問題になるだろうなとの予感はあった。
「実際、家名を持った貴族の役人が欲しいところです。
 余所との交渉事などでも必ず私が出なくてはならない場面は限られているのですが、ではと平民の家臣をそのまま差し向けるのも躊躇われる場合が多く、時には領空海軍から借りてくるほどです」
 遠方の場合はフネごと差し向けることもありますと付け加える。
 大人数はいらないが、最近は貴族身分の文官が欲しいことも多い。ついでならば、陸の方にも家名を持つ士官が欲しいところであった。
 全ての案件をリシャールが直接対応出来るのならば良いが、時間的に無理な場合もあれば出張で領地に不在のことも多く、調整に四苦八苦することもしばしばである。
 もちろん、領主に次ぐ立場で本人に協力の意志はあっても、雑談に近い相談事はともかく、カトレアに庁舎での公務代行を頼むことは出来ない。彼女には城の切り盛りという女主人としての大事な仕事もあるし、子育ても半ば任せきりなのだ。
 もっともこれらは、庁舎はともかく村々にさえ役人が常駐しているほど、領主の支配力が領内隅々にまで及んでいることの裏返しでもあった。
「そう言えば伯爵、貴家の筆頭家臣殿は平民の、しかも若い女性と聞き及んでおりましたな」
「一度お会いしたかしら?
 今度はきちんとお話ししてみたいわね」
「はい、領内の一般業務は彼女とその配下に一任しています。
 苦労のかけ通しですよ」
「あら、気が合いそうだわ」
 くすくすと笑うアンリエッタに、リシャールとマザリーニは顔を見合わせて苦笑する。陰鬱な題材の議論を重ねるのも、彼女の笑顔と王国の未来があってこそなのだ。

 内容から見て軽く済むとは思っていなかったが、話は半ばで無理矢理切り上げ、翌日再度の登城を約束してリシャールは奥向きを後にした。気付けば夕刻、それもかなり遅い時間となっていたのである。
 自分に続いて伺候するのか、控えの間から出てきた高等法院長と軽い会釈を交わし、女官を先導に明日はどの話題から片付けようかなどと考えながら歩いていると、見知った顔を見つけた。
「こんばんは、お二方。
 引継ですか?」
「おお、『鉄剣』殿」
「お久しぶりですな、伯爵」
 振り返った二人はそれぞれ魔法衛士隊の隊長、マンティコア隊のド・ゼッサール卿とグリフォン隊のワルド子爵である。
 各々が数名の部下を引き連れているから、当直の交代というあたりだろうか。余人の目があるので、こちらも言葉を気を付けることにする。
「ええ、ご覧の通り。
 『鉄剣』殿も相変わらずお忙しいようですな?」
「本日の登城は、確か宰相閣下もご同席でしたか?」
「はい、皆様のお世話になっております」
 噂になるほど王宮へは頻繁に出入りしていない筈だけどなあと、内心で小首を傾げながら曖昧に頷く。もっとも参内は年始の園遊会のみという諸侯も多いから、全くの的外れとも言い切れない。
「セルフィーユ伯爵は仕事熱心だと、噂になっておりましたぞ」
「うちの若い連中にも見習わせたいものですな」
「ありがとうございます。
 皆様の精励振りを手本に精進を重ねているところです」
 ワルドとは時に気楽な会話もするが、他の騎士の立ち位置は正直言ってわからない。自らも貶めず周囲も腐すことなく上手くやり過ごすというのは、なかなかに大変なのである。
「噂と言えば、アルビオンが荒れていることはご存じでしょうが、そちらの方の影響は如何です?
 こちらは緊張が続くばかりでしてな……」
「平素の警備はともかく、両立の難しい問題を幾つも並べられているようで、アルビオンの客人がご逗留ともなれば色々と気を遣ってしまいます」
「はやく安定してくれるといいのですが、難しいところだと聞いております。
 うちもフネの行き来があるので気を揉んでいますよ」
 王家と城の守り手としては、隣国の擾乱など迷惑千万であろう。
 三人揃ってやれやれとため息をつく。
「伯爵、この後時間はおありかな?」
「ええ、今日のところは大丈夫ですが……?」
 ワルドは、では一献如何かなと、グラスを傾ける仕草で戯けて見せた。

「明日は一日非番でね、いつぞやの約束を果たしたいところだったんだ」
 リシャールはワルドも乗せて一度馬車にて別邸へと戻り、お忍び姿に着替えると夜の街に繰り出した。念のためと二人ほどが私服に着替えてつかず離れずでついてきているが、トリスタニア中に顔を知られた魔法衛士隊長との同道では、おかしなことも起こるまい。
「ああ、こちらだ」
 トリスタニア随一の不夜城街であるチクトンネ街でも外れの方、リシャールがいつも使う『魅惑の妖精』亭とは少し離れた場所に向かう。
「安酒場で恐縮だが、ここは昔から女将に顔が利くのでね。
 密談に宴会、仕出しまでなんでもござれ。魔法衛士隊御用達の酒場なんだ」
 ワルドに案内された先は『銀の酒樽』亭という、確かに余り上等とは言えない酒場であった。無論、王都一の夜の花咲き乱れる酒場通りという基準から見ての話であり、少し前までセルフィーユ唯一の酒場兼宿屋であった『海鳴りの響き』亭と店構えは大差ない。
「おや、総大将。随分と久しぶりじゃないの」
「これでも何かと多忙の身でね」
 羽扉をくぐると、でっぷりとした女将が相好を崩して迎えてくれた。店内を見回せば、見るからに職人の一団と商人風の男達がほとんどで、客層はそれほど悪くない様子である。
「そっちの若いのは見ない顔だけど、あんたんとこの新人かい?」
「いいや。未来の宰相閣下だ」
「へえ、そりゃ大きく出たもんだ。
 もっとも今より税が下がるなら誰だって大歓迎さね」
「違いない」
 ワルドと女将の流れるような会話に、リシャールは口の挟む間もない。
「悪いが聞き耳は立てないでくれよ?
 何かの拍子に仕事の話になるかもしれん」
「あいよ。
 ……いつものでいいかい?」
「ああ」
「若いの、あんたは?」
「では、同じもので」
「……安酒だよ?」
 胡乱な目を向けられるが、そのまま頷く。初めての酒場で奇を衒う注文をするような勇気は、蛮勇に分類されるものだとリシャールは知っていた。

 軽く乾杯を交わして一口含む。
 女将は安酒だと言っていたが、そこまで悪いワインではなかった。強いて言えば、もう少し渋みが押さえられている方がリシャールの好みに近いのだが、口に出すほどではない。
「ここはそれこそ『烈風』カリンが現役の頃から、ずっと魔法衛士隊のたまり場だったそうでね。
 トリスタニア広しと言えども、魔法衛士隊の隊長にあんな口を叩く女将はここにしかいないはずだよ」
「少し驚きましたよ」
「顔が利くというよりツケが利くということの方がうちの隊員には重要かも知れないが、長年つきあいのある相手として、まあ、お互い持ちつ持たれつというところかな」
 ぐっと一息に酒杯を飲み干したワルドは、手酌でワインを注いだ。
「こういう酒場は初めてかい?」
「いえ、たまに。
 王都では『魅惑の妖精』亭を常宿にしていましたし、領地の方には少し前まで丁度ここと同じ様な酒場しかありませんでしたので……。
 領地を拝領してしばらくは、その酒場の二階が寝室兼執務室兼会議室でしたから、その日の女将のお勧めを夕食にしていたものですよ」
「家臣は誰もついていかなかったのかい?
 君のところは確か、五十人からの大家臣団が……」
「当初は家臣も四人きりで、その上王都から国内各地を巡っての移動中とあって間に合わなかったんです。
 ちょっと段取りが悪かったというか、無理を重ねて勢いに任せていたというか……」
 しばらくは洗濯も自分でしていたと付け加えればワルドは驚いてくれるだろうかと余計なことを考えながら、リシャールは酒肴をつまんだ。戻した干し肉を根菜と煮込んだ肴は、濃い目の塩味と相まってついついワインが進みそうになる。
「そう言えば……」
「はい?」
「先ほどは部下の手前軽く流したけれど、アルビオンの内乱、君にとっては結構深刻じゃないのかい?」
「……ええ。
 早々に鎮圧されて欲しいところです。
 色々手を尽くしてはいますが、影響が出始めていることも間違いありません」

 航路と物価の安定が見込めなければ、都市や市場の発展計画に博打のようなあやふやな予測しか成り立たなくなり、それさえも二転三転してしまうので正直困っていた。
 例えばアルビオンへと売れていくマスケット銃だが、万が一の場合には『タモシャンター』号の船主である西ダータルネス貿易組合航路が補償する契約にはなっていても、航路が安定せねば無論納品に支障が出る。
 また、その生産を下支えする鉄を作る為の石炭もゲルマニアからの輸入品であり、こちらも戦時需要に釣られて価格上昇する気配が濃厚だった。鉄材の卸売り価格の上昇も含めて利幅が上下すれば利益予想が崩れるから、それらを元手にした活動である街道工事や領内への投資は縮小傾向に推移してしまうのだ。
 余剰金を緩衝材として運用するにも限度はあるし、借財の返済も滞らせるわけにはいかない。元より資金が豊富とは言えないセルフィーユのこと、限界どころか余力さえ見極めにくい現在の状況は、とても歓迎できるものではなかった。

「王城での警備の強化を除けば、今のところ僕はアルビオン産の酒が少し高くなったぐらいしか影響を感じないが、流石に君はそうもいかないようだね」
「見えない敵と戦っているようで、常に緊張を強いられる上に手応えが無くて苦痛です」
「レコン・キスタ、か……。
 王権の奪取と聖地の奪還、君は成功すると思うかい?」
「……」
「どうかしたのかい?」
 ワルドにしてみれば軽い疑問だったかも知れない。
 だがリシャールとしてはかなり深刻な問題であり、返答に窮したのだ。

「なるほどね、進化する『叛乱』か」
 リシャールはわずかに躊躇した後、先日義父に話した内容そのままに、ワルドには口外無用を念押ししてレコン・キスタについて考えていたことを述べ立てた。義妹ルイズの婚約者という身内の気安さと、魔法衛士隊隊長としての信頼が彼にはある。
「しかし、君はずいぶんと遠いところまで気を回すのだな。
 現宰相マザリーニ閣下が不人気というのは横に置いても、次期宰相と名が挙がるのも頷ける」
「出来ればその様な立場にはなりたくないのですが……」
 天井を仰いだリシャールに、ワルドは追い打ちをかけた。
「だが、君が頭一つ飛び抜けているのも事実だろう?
 同世代の少年達は魔法学院で馬鹿をやっている頃合いだろうに、君は既に確固たる実績を上げている。
 一昨年に男爵となって、去年は子爵、今年の春には伯爵だ。
 ふふ、ラ・ヴァリエール公爵家を継ぐ可能性さえある君だ、来年侯爵に登っても今更誰も驚きはしないさ」
 それを歴史ある子爵家の当主に言われても、反応に困る。リシャールは照れ隠し半分にワインをあおった。
「ふむ、未来の話はその頃まで取っておくとして……。
 叛乱への見解については十二分に理解できたが、では、レコン・キスタが掲げるもう一つの目標、聖地奪還について君はどう思う?」
 少しばかり真面目な話に戻ったせいか、ワルドの態度も普段の鋭利な雰囲気を帯びたものに戻っていた。リシャールも居住まいを正して向き直る。
「正直言って、よくわかりません。
 ただ……」
「うん?」
「エルフと人間が六千年間場所取り合戦をしていて、今は人間が負けているというようなものだと解釈しています」
「……身も蓋もないね」
 リシャールが聖地と言われて思い出すのは、地球は中東にあるエルサレムだ。歴史的経緯に詳しくはなくとも、宗教戦争の火種としてニュース番組で紹介される頻度は高かった。同じ一つの場所を争って互いが譲れないという状況は、こちらハルケギニアの聖地と似通っている。
「そもそもレコン・キスタは、何故アルビオンでの叛乱で最初からそれを看板に掲げたのか……。
 本気で聖地奪還を掲げるなら、ロマリアの方がずっと賛同者も多いでしょうに」
「確かにそうだね」
「不敬ながら……教皇聖下かロマリア宗教庁あたりを抱き込んで聖戦の宣言に至れば、面倒な内戦なしにそれこそハルケギニア各国が戦力を出さざるを得ない状況になると思うんです」
 これでも聖堂騎士隊長の端くれである。自ら望んだ立場ではないがいい加減に扱うことも出来ず、ブリミル教の内情に詳しくなっていくのも仕方ないことだった。無論、クレメンテ司教の影響も大きい。
「それにもう一つの方……アルビオン王家を潰したいだけなら、それこそ不用な一言だと思います」
「ほう、何故だい?」
「……王権の打倒なんてものに波及されて困るトリステインとガリア、ついでに帝政ですがやはり皇帝を頂点に戴くゲルマニアは、敵に回らざるを得ないはずなんです。
 宗教的な妥協点があるならロマリアだけは賛同するかも知れませんが、アルビオン王家と真っ正面から対立するレコン・キスタが主導では、トリステインは少なくともついていけるはずがありません」
 トリステインの王太女アンリエッタ姫が現アルビオン国王ジェームズ一世の姪にあたるだけでなく、先王アンリはその実弟であった。この血縁一つ取っても、トリステインがそのままレコン・キスタに組みすることはあり得ない。
「その後の外交や国内の安堵を考えればそれこそ事態を内乱のみで済ませ、始祖の血を継ぐ適当な誰かを担ぎ上げて、新しい王家を立てた方が幾らかましな気がします。
 これだけ準備周到なのに、どこかちぐはぐな印象が拭えません」
 少しだけ考え込んだワルドは、一息に酒をあおってから付け足すように口を開いた。
「……レコン・キスタのオリバー・クロムウェル議長は虚無の使い手らしいが、それでもだめかね?」
「虚無?」
 その言葉は初耳……ではなかったが、少々思い出すのに時間の掛かる言葉であった。
 魔法の授業の一番最初に教えられて、ほぼそのまま忘れ去られる類の知識である。
「君もペンタゴンと呼ばれる魔法の五つの要素は、もちろん知っているだろう?
 普段は思い出さないかも知れないが、本来、魔法の要素は火地風水にくわえて虚無で五つだ」
「はい……」
 使い魔召喚の儀式に用いられる呪文には、確かにペンタゴンという語句が入っている。リシャールもアーシャを召喚するとき、間違いなく憶え、そして唱えていた。
「市井にまでこの情報は流れていないようだが、クロムウェル議長は始祖の御業である虚無魔法を使えるそうだよ。
 つまりは始祖ブリミルの血を継ぐということで……現アルビオン王家のご落胤か、それとももっと古いところで枝分かれしたのか、そこまではわからないがね。
 だからこそ、一介の司教でしかない彼でも貴族達をまとめ上げることが出来たと、僕は思っていたのだが……」
「ワルド子爵、少し待って下さい。
 虚無の魔法とは、どのようなものなのですか?」
 火地風水の四大要素については、使える使えないに関わらず苦手な系統についても幾らかは知識を詰め込まれていたリシャールだが、虚無については名前ぐらいしかしらないというのが正直なところだった。少なくとも知り合いに使い手はいないし、書物で読んだ憶えもない。
「なんでもクロムウェル議長は……」
 ワルドは一度言葉を切り、再び酒杯で喉を潤すとこちらに向き直った。
「死者を蘇らせることが出来るそうだよ」
「!!」
 リシャールの目は、大きく見開かれた。




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