ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第十二話「急報」




 見聞役という役目に対して事前に聞かされていた様子とは随分かけ離れて話を広げたような気もするが、皆真面目な面持ちであったし、これはこれで主役のアンリエッタは見聞を広げていると信じたいリシャールであった。
 セルフィーユを題材とした初歩的な経済学の講義……というほど高尚な内容ではなかったはずだ。話し終えてみれば、市場から小麦粉を買い付けてパンを焼き、その売り上げで日々の生活と税を贖う街角のパン屋に置き換えてもよかったと思えるほどで、規模はともかく、リシャールにとっては大して変わらない話である。
 もっともこの時、聞き手であった三人がその話にどのような感慨を抱き、その後の行動にどれほどの影響を与えることになったのかまでは、彼には想像がつかなかったかも知れない。

「うふふ、お疲れさま、リシャール。
 わたくしからも、少しよいかしら?」
「はい、アンリエッタ様?」
 改めての名指しに、軽く額の汗を拭って姿勢を正す。
 リシャールに向けられた笑顔は、いつになく乾いていた。軽い笑みのまま目だけが笑っていない彼女の顔には、僅かな陰りが垣間見えたかもしれない。
「実はね……トリステインもお金がないの」
「……」
 アンリエッタは笑顔を張り付けたまま肩を落とし、はあっと息を吐いた。
 両脇の二人も『お金がない』というアンリエッタの言葉を肯定するように、やはり大きく息を吐いてうむと頷く。
 一諸侯の前で国の指導層が揃ってそれを認めることなど、本来あってはならないことであった。そのような国家の重要事をうち明けられるほど信頼されていると喜んでいいのか、その事実に同じく息を吐いてアンリエッタらと共に苦しみを分かち合えと言うのか。表情の選択に困るが、深刻な事態であることもまた確かだ。
「王太女になったからと何が変わったわけではないけれど、わたくしね、時折宰相のお部屋で政務の手ほどきを受けていますのよ。
 最初はわからないことばかりだったわ。……いいえ、今もよくわかっていないかも知れない。
 でも、一つだけわかったことがありますの。
 トリステインが随分貧乏な国だということだけは、よくよく理解できましたわ。
 ……リシャールは、知っていて?」
 同意を求められたが、内容が内容なだけにおいそれと頷くわけにもいかず、リシャールはアンリエッタの両脇に座る政府要人に助けを乞う視線を送った。
「はじめのうちは、宰相が意地悪をしてお金の出ていく書類ばかり私に預けるのかしらと思っていたけれど……」
「……そのような情けない行為はこのマザリーニ、断じて致しておりませんぞ」
「ええ、ええ。今はわかっていますわ。
 ちらりと見えた宰相のお手元も、お金の出ていく書類でしたもの。
 他の書類を宛おうにも、それ以外のものがなければ無理ですわよね」
「姫様が私の部屋にお出でになった頃は、丁度立太子式関連の報告が出揃った時期でありましたな。
 年初に組まれた予算には立太子式の分は含まれておりませんでしたから、急ぎ処理せねばしわ寄せが各所に押し寄せることになり……更にはそれらを先に解決せねば、次年度の予算案の話し合いにも手が着けられませぬ故に、少々立て込んでおりました」
 マザリーニはアンリエッタの言葉を淡々と補い、小さく聖印を切った。
「そう言えば、財務卿にも随分な勢いで質問を重ねさせて戴いたわね?」
「はい。
 ……姫殿下のご質問は鋭く尖った誤魔化しようのないものが多うございましたので、財務卿拝命以来、最も緊張を強いられた二ヶ月余りでありましたかな」
「あら、それはごめんなさい。
 気になりだすと止まらなくて……宰相も随分困らせたかしら?
 わたくしそれまでは、財務卿と言えば国の金庫番だと思っておりましたけれど、どうやら違うということも解ってきましたわ」
「無い袖は振れぬと書類を突き返すのが、私の主な仕事でございます。
 中身を配分した後の金庫には何も入っておりませぬから、何を何から守ってよいやら番のしようもありませぬ」
 既に開き直っているのか、デムリの笑顔はいっそ清々しい。
 それらを前置きに、アンリエッタは再びリシャールを見据えた。
「わたくしからのお願い、聞いていただけるかしら?
 ……リシャールが来る前にもね、三人で少しお話をしていたのよ。
 あなたなら、きっといい知恵を貸してくれるんじゃないかって」
「その手腕、是非とも国の為に活かしていただきたい」
「こちらの出す素案に可否を下し、あるいは注釈や修正を書き加えて下さればそれで結構。
 何も責任までとれとは申しませぬ」
 本日初対面のデムリはともかく、アンリエッタやマザリーニまでもが随分とらしくない持ち上げようであるが、はてさて、これは誰の入れ知恵であろうか。

 王室の見聞役セルフィーユ伯爵は職務に従い時折王太女殿下の元を訪れるが、たまたま同席を許されていた宰相らと雑談をするわけだ。その時に交わされる内容は、奏上に直接関係する話題だけではないかも知れない。王太女殿下はそれらを聞き、また時には奏上の寸評や討論に加わることで見聞を広め、政務の参考とする……。

 どうりで過日の騒動にて、義父や祖父が地位官位についてごり押しをせず、大人しく引き下がったわけである。実権はほぼ封殺されているが、直接的な影響力を考えれば、一諸侯の立ち位置としては上等だ。
 無論、『わたくしからのお願い』とやらを拒否出来ようわけもなく、王国の安定はセルフィーユの安定と内心で呟いてから、リシャールは一礼と共に了承の旨を口にした。
 表には出ないとは言え、責任の所在も曖昧に国政に対して口を出せる立場を手に入れたわけだが、当該する人物が自分でなければ大したものだと感心したいところである。
 実務を伴う大きな仕事を役職と共に言い渡されるよりは幾分ましだが、規模を考えれば気楽とは言えない。書類のやり取りだけなら領地にいても問題ないだろうが、数ヶ月に一度の登城は密度の濃いものとなりそうだった。
「宰相、財務卿、リシャール。
 今日のお話をトリステインに置き換えたとして、何か具体的に出来ることはあるかしら?
 次回までに考えておいて貰えると嬉しいわ」
 リシャールには王政府の内部資料を閲覧する許可が出され、同時に登城を最低限三ヶ月に一度とするように求められた。
 なるほど、次回の題材はトリステインに決まったかと内心で頷く。
 国内の産業分布や各王領についての情報を、予め下調べしておいた方がよいだろうか。……いや、そう言った統計資料がない可能性こそを、考慮した方がよいのかもしれない。かと言って実地に足を運ぶ手間までかけていては、幾つ身があっても足りないだろう。王政府より官吏を借りることができればよいが、その余裕は果たしてあるのだろうか……。
 ふと見やればアンリエッタは宰相の言葉にふんふんと頷きながら、再び羽根ペンを忙しく動かしていた。少し聞き耳を立てると、王領の切り売りは極力控えたいなどと聞こえてくる。
「伯爵、少しよろしいかな」
「はい、財務卿閣下?」
 アンリエッタの小さな頷きにて許可を得たデムリが、軽く挙手をした。
「本年末、貴家が王政府に納める予定の貢納金はどのぐらいになるだろうか?」
 リシャールが税収を曝け出したあたりから、財務卿も口を飾らなくなっていた。その後アンリエッタが国の懐事情を飾らずぶちまけてしまった時点で、皆の遠慮はどこかへ飛んでしまっている。
「概算ですが、春の事件で発生した私掠税三万数千エキューは別として、五万エキューを少し越えたあたりかと。
 昨年度生産されたマスケット銃の取引が今年になって成立したこと、それから陞爵に伴って領地と人口がほぼ倍増したことが主な理由ですので、来年はもう少し落ち着くかと予想しています」
 年末には知れること、今更気にしても無意味かとリシャールは口を開いた。
 その金額にデムリのみならず、マザリーニもほうっと息を吐く。年額五万エキューも貢納するような諸侯は、トリステインでも十数家しかない。
「ふむ、それでも昨年の倍以上ですな。
 ではもう一つ……セルフィーユが他家と比べ物にならぬ伸長を遂げた理由は何処にあるのだろうか?」
 これこそ、彼がずっと聞きたかったことに違いない。
 だがその根幹は他家、あるいはトリステインには決して応用出来ない内容だった。
「任期の短い代官によって統治されていることが多い王領と、領主がほぼ終身で領地を経営する諸侯領では、統治者の税や領地、領民に対する姿勢が大きく異なると思いますので、セルフィーユについて、と前置きをさせていただきます」
「ふむ、当然ですな」
「ありがとうございます。
 ……どこのご領地でも、当家と同じように産業を保護し、育成されていると思いますが、セルフィーユに一つだけ他領と違う点があるとすれば……領主が本来の意味で、領地に対して好き勝手を強いることが出来たからでしょうか」
 前世の経験を生かしていますなどと言えるはずもなく、リシャールは注意深く言葉を選び、先ほどの話と齟齬のないように気を配りつつ口を開いた。少しどころではなく内容を歪めてしまうことになるが、それらの葛藤は心の内にしまっておく。元より話せることではない。
「私は初代の当主で、引き継ぐべき家法や、あるいは領内で守るべき慣習も既得権も何もありませんでしたから、全てを自らの思うがままに定めることが出来ました。
 そして、言葉は悪いかもしれませんが……領主は領地と領民に対し、絶対者として振る舞うことが可能です。
 私はその点を最大限に活用し、人倫に外れた行いでなければ大丈夫だろうと、税収を借財の返済に充ててもなお十分に利益が出るよう領地を育てることにしました」
 同じく、その借財はカトレアを娶るために必要でしたとも言えないが、そちらはまあ良いだろう。
「製鉄所や武器工場は現在に於いて当家の税収の根幹であり、現状を維持、そして伸長すべく外貨を稼がせておりますが、本来一商人に預けるには少々重すぎるものです。
 それに一つのものに寄り掛かると、それが倒れた場合に全てが倒れかねません。
 これは非常に危ういことですから、将来は領地領民から得られる税収を、多方面からのものにしたいと考えております」
 現在のセルフィーユでは、領内の資源や人材が鉄鋼業を基盤とする重工業に一点に集中されている。効率が良いことは間違いないのだが、局所的な波に弱いという欠点も同時に併せ持つ。
 リシャールは人口の増加やラマディエの都市化の状況などから、セルフィーユは少し早い転換期を迎えていると考えていた。そろそろ製鉄所と武器工場という柱に多角化による肉付けを行い、領地と税収の安定化を計るべきかと見ている。後は商業都市化を推し進め、少々のことでは揺らがない確固とした体勢を築き上げられれば言うことなしだが、こちらは人の流れが漸く出来始めたところであった。
「……そう聞くと、特別なこととは思えない様子だが?」
「ふむ、税収を伸ばすか……」
「例えば……年に十エキューの税を支払っている麦農家の領民がいるとします。実際には大人一人に対して十エキューの税は少なすぎるのですが、話を分かり易くするためにご勘弁下さい。
 話を戻しますが、この彼から年に二十エキューの税を取りたてようとすれば、これまでの倍に税率を引き上げればいいわけですが、一見簡単そうに見えて実に多くの面倒を長期間に渡って引き起こします」
 安易な増税か、十分な検討を重ねた上での増税か。
 その意味合いや国の状況は、税を絞られる方にはあまり関係がない。だからこそ問題になるのである。
「増税することで、一時的には多くの税収を得られます。
 これ自体は間違いないのですが、代わりに領民は不平や反抗心を抱くでしょうし、不満を押さえつけるために兵士を雇えば、その維持費で増収分など簡単に吹き飛びます。逆に民心を慰撫して不平不満を逸らそうとすれば、結局多くの出費を必要としてしまいましょう。
 更に追い打ちをかけるようですが、翌年は倍に引き上げた税率でも同じ金額を得ることは不可能です」
「リシャール、税率が同じで他が変わらないなら、同じ金額になるのではないの?
 税を増やすと逆に出費が増えることはわかったけれど、そちらはどういう理屈なのかしら?」
 動かしていた手を止め、アンリエッタがこちらに顔を向けた。その様子を見て意味ありげに微笑んだマザリーニと、重々しく頷いたデムリには、理由が思い当たるようだ。
 おそらくは王政府での実務から経験的にそのことを知っている二人は、アンリエッタが疑問を抱いたことをこそ、良しとしているのだろう。
「はいアンリエッタ様、これは倍の税を取り立てたことで、領民に余力が無くなってしまうからです。
 余力があれば、例えば夕食のおかずに魚の煮物が一品増えたり、新しく草刈り鎌を買ったりすることが出来ますが、これは即ち、漁師が魚一匹分余計に儲かり、鍛冶屋で鎌が売れたことになるわけです。
 ところが税が高いと、余力がそちらに吸い取られてしまいます。夕食は寂しくなってしまいますし、漁師も鍛冶屋も儲かりません。彼らが儲からないと言うことは、私の得る税収は全体として減ってしまうわけです。
 同じ理由で苦役への動員も本業が疎かになりますので、結果的に税の減収となってしまいます」
「……理解できたわ。続けて頂戴」
「はい。
 ですが私は二十エキューの税が欲しいわけで……ではどうするかと言えば、倍の稼ぎを得られるように手助けをしてやることが近道になります。
 彼もおそらくは夕食のおかずが一品多ければ、あるいは晩酌の一杯が二杯になれば嬉しいはずで……失礼、それはともかく、具体的には農閑期に道路工事の募集をかけたり、種豚を用意して世話人を募ったり、時には教会大聖堂の新築工事なども斡旋したでしょうか。他にも、農具の貸し出しや無料の巡回馬車なども世話しております。
 こうして作られた余裕は夕食の品数を増やすだけでなく、やがて畑の拡張に繋がって、更には下働きの若者を雇えるほどになるかもしれません。
 収入に比例して納める税額は伸びて行きますから、つまりは、彼が裕福になればなるほど、私が得る税も多くなるわけです」
 実は十エキューの税を納める領民を二人に増やしても同じく二十エキューの税を得られるのだが、新教徒のこともあわせ、この場で話すには少し問題があるのでリシャールは黙っていた。
「無論、領民が就いている仕事は農業だけではありません。漁業や商業、狩りで生計を立てている者もおりますし、城館や庁舎で働く者も大勢おります。
 そちらも少しづつ手を入れて、後は一年後、あるいは十年後に、結果がどうなっているのか考えて物事を選ぶように心がけておりました。
 先に述べました例におきましては……例えば庁舎の予算から村単位で共用の農具を百エキュー分買い与えたとしても、その結果毎年十エキュー納税額が上乗せされるならば、十年で元が取れて十一年目からは純粋な増収となります。
 少し時間はかかりますが、セルフィーユ領もセルフィーユ家も十年二十年で消えてしまう予定はありませんので、大筋で問題はないものと考えております」
 増税した時に必要な出費とは逆に、こちらは投資と言い換えても良いかも知れない。領民へ働き口を供給する製鉄所のように大きなものから、小は種豚や農具の貸し出し、商人の独立支援まで、これ全て領民の生活を慮って……いないわけではないが、やはりセルフィーユ家の利益と天秤にかけての投資である。
「なるほど、領民が富めば領主も富む……当たり前にして難しい真理ですな。
 宰相、如何かな?」
「しかし……今の王政府では、貸し与える農具を手当する費用を捻出するだけでも一苦労ですぞ」
「今まで以上に財政の緊縮を徹底するか、無理を承知で一時的に増税を決断するか……」
「リシャール、セルフィーユでは元になるお金をどうやって用意したのかしら?」
「はいっ!?
 ……えーっと、失礼、私は祖父らに借財を致しました。
 その後の資金については『鉄剣』の名に賭けて、まあ、何と言いましょうか……」
 口振りから窮状を察して貰えたのか、後半部は無かったことにされて話は続いた。
「ふむ、借りるという選択肢もございますな」
「しかし、借財は慎重に扱わねばなりませぬ。
 どこかより借りるにしても、頭の痛い問題ですな……」
「できれば避けて通りたいところですわね」
「それよりも、セルフィーユ伯のご奏上を参考に、小さな投資で出来るものから実現していく方がよろしいかと存じます」
「これまでと少し方向を変え、王政府主導ではなく各領地にて独自の路線を歩ませてみても良いかもしれませんな」
「ついでに不正な蓄財を働く悪い虫どもめも、何とか押さえたいところですかな……」
「無論協力は惜しみませぬが、相当に根が深いでしょうな」
 アンリエッタの御前だがこれでいいのかと首を傾げつつも、流れを止められるはずもない。リシャールは要人達のやや危険なやりとりに、しばらく耳を傾けていた。
「代わりの虫が送り込まれては、元も子もありませぬ」
「ふむ……」
「すぐには無理なのね……」
 ふとリシャールは、手を止めて会話に加わるアンリエッタへと視線を向けてみた。

 ……もしかして彼女は、立太子以来この様なやり取りを日々聞かされ続けて来たのだろうか?

 年頃の少女に何という不毛な日々を送らせているのかと思うと同時に、王族として為政者の片鱗を時に垣間見せる彼女のこと、リシャールは複雑な心境とならざるを得ない。
 他人事ではないのだ。
 今は小さなマリーも、何れは年頃の娘になる。そして彼女は幸か不幸か……生まれは伯爵家だった。
 今のアンリエッタぐらいの年までには政務について一通りの教えを与えておくべきなのだろうかと、リシャールは真剣に悩み始めた。嫁ぐにしても婿を取るにしても、何も知らぬままというわけにはいくまい。
 だが。
 テラスを辞去する頃になって届いた、『アルビオン艦隊、叛乱軍に敗退』の急報が、それらを全て吹き飛ばしてしまった。

 ふむと頷きあって執務に戻りますと言葉少なに退出した宰相と財務卿に対し、リシャールはアンリエッタに引き留められていた。
「負けるとは思っていなかったのですが……困りました」
「ウェールズ様は大丈夫かしら……」
 アルビオン王国が続く叛乱に揺さぶられ、軍が疲弊していたことは間違いない。苦戦する可能性は、確かにあった。だが叛乱軍と王国軍では、最終的に勝つのは王国軍であろうとリシャールは見ていた。一地方と国全体では、やはり母体となる基盤が違いすぎるのだ。
 昨今数を減らしたとは言え、一度や二度の手痛い敗北はあろうとも、アルビオン空軍はそれを補うだけの戦力は十分に備えている。でなければハルケギニア最強の空海軍を謳われる筈もなく、また、ロサイスの様子やラ・ラメーらの意見からしても張り子の虎には思えない。
「詳しい情報が解らねば断じることは出来ませんが……彼のお方は出撃を禁じられているそうですから、おそらくはロンディニウムで指揮を執られているかと思います」
「そう……」
「次はより規模の大きな艦隊が差し向けられて、叛乱が鎮圧される筈です。いかな叛乱軍でも、トリステインの何倍もの軍艦を擁するアルビオン王立空軍を上回る戦力を用意できるとは思えません。
 ただ、今でも問題になっているのですが、乱が長引くと鉄や麦などの価格が上がって、トリステインのみならずハルケギニア全体が少々困ったことになるかもしれません」
「……?
 鉄の値段が上がると、リシャールは嬉しいのではなくて!?」
「一概にそうとも言い切れないのです」
 アンリエッタから投げかけられた質問に、先ほど鉄の価格を引き合いに出したかと頷く。
「確かに需要が伸びますから、作れば作るだけ売り上げも上がります。
 しかしその為には、新たに鉄炉や働き手を確保せねばなりません。
 売り上げが伸びている間は良いでしょう。
 ですが、世間が落ち着いた後、残された設備や働き手はどうしましょうか?」
「あ……!」
「単なる一商人であれば、『仕事はお終い、さあ帰った帰った』と使わない鉄炉を閉鎖して働き手を解雇するだけで済みますが、領主では解雇した働き手の行き先がかなり問題となります。
 先ほど引き合いに出した増税の話と同じく、一時の利益のみで是とするわけには行きません。
 流民化されても困りますし、職を失ったことによる貧困は治安の悪化に繋がってしまいます」
 後々の影響まで考えれば、一時の需要に乗って無計画に製鉄所を拡張することは出来なかった。公共事業的な位置づけになっている街道工事も、数年以内には完遂されるからこちらも考慮しておかねばならない。
 それに昨年、大勢の新教徒が予想を上回る勢いで次々と移住してきた時、同じ様な問題に直面して慌てる羽目になったリシャールである。
 幸いにして開発の波に乗っていたセルフィーユでは、受け皿となる働き口を用意することは難しくなかった。田舎だけに農用地として使えそうな未開墾の土地も有り余っていたし、街道工事や製鉄所などに割り振ることも出来た。仕事そのものよりも、住居の方が先に問題化したほどだ。
「しかし……一番の問題は、こちらもやはり、トリステインにお金がないことかもしれません」
「……リシャール?」
「もしも……いえ、失礼を。
 あれこれ考えすぎるのも、行動が鈍っていけませんね
 アルビオンの平穏を祈りつつ、出来ることから手を着けるとしましょう」
 リシャールは平静を装い、麦価鉄価の安定に動いていることや他国の内乱が国内に及ぼす影響について、アンリエッタに小さな講義を行ってから王城を辞した。
 ……アルビオンで本当に何かあった場合に、トリステインは援軍を出す予算を組めるのか否か、答えはすぐに浮かんだがその場では口には出せなかったのだ。




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