ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第八十話「我が子」




「リシャール様!
 奥方様が、産気を訴えられております!」
「ええええええー!?」
 ジャン・マルクの言葉を聞くなり城館にリシャールは駆け込み、カトレアの元へと走り出した。
 居間へと向かう途中、すれ違ったメイドに奥方様はあちらですと言われ、駆け上がりかけた階段を半ばで引き返し、病室代わりに用意していた一階奥の客間へと向かう。
「カトレア!」
「あ、リシャール、お帰りなさい」
 しつらえられたベッドの上で、産衣代わりの寝間着のままではあったが、意外にも落ち着いた様子のカトレアに安堵して全身から力を抜く。
 まだ子供が産まれた様子はなかった。どうやら間に合ったらしい。
「大丈夫? 苦しくない?」
「ええ、今は大丈夫よ」
「そ、そうかい……?」
 自分の方が余裕を無くしてどうするのかと焦る心を押さえ込み、ヴァレリーらに向き直る。
「リシャール様、産婆は既に別室にて待機していますし、念のため、お医者様も呼んであります。
 それに産婆の見立てでは今のところは順調で、陣痛の間隔からすると、夕方から夜のご誕生になるだろうとのことですわ」
「わ、わかりました」
「リシャール、もうしばらくは時間があるから……あら?」
 急に部屋が暗くなったので振り向くと、窓越しにアーシャの顔が見えた。じっと中の様子を窺っている。この部屋は人や物の出入りがしやすいようにと一階にしていたから、アーシャでは随分と首を下げる格好になっていた。
「きゅー……」
「心配してきてくれたのかしら?」
「そうみたいだね」
「アーシャ、まだもう少し時間がかかるの。
 心配してくれてありがとう」
 リシャールが窓を開けるとアーシャは少しだけ首を中に入れ、カトレアの様子をじっと見てから、きゅーっと一声を残して出ていった。翼の羽音が聞こえたので、どこかへ飛んでいったようだ。
「どうしたのかしら?」
「さあ……?」
 アーシャには用事のない限りは自由にさせているし、カトレアやその子供に水の精霊の関わる異常があるならば、彼女がリシャールらに教えないはずはない。
 心配することではないかと、カトレアに向き直る。
「それにしても、間に合って良かったよ。
 聞いていた予定日はもう少し先だったからね」
「わたしも少し、心配したかしら」
 もっとも、リシャールの知る科学的な知識に基づいて計算される出産予定日でさえ、数週間の開きがある上に妊婦の体調などにも左右されるから、おおよそこのあたりと日を示すことは出来ても、確定は出来ないのである。占いの方が良く当たるとまでは言わないが、大きな余裕をもって出産の準備すること自体は理に適ってもいるのだ。親馬鹿と、一概に切り捨てるわけにはいかない。
「産婆さんに追い出されるまでは、ここにいるからね」
 リシャールはカトレアの手を握って宣言した。

「くぅ……」
「カトレア……」
 幾度かの陣痛は見ていて痛ましいものであったが、代わってやることも出来ず、ただ傍らにいて励ますことしか出来ない自分が不甲斐ないものに思えてくる。
 しかし、その間隔が徐々に狭まってくると、当然ながらリシャールは追い出されてしまうことになった。
「扉の前で待ってるから、何かあったらすぐに……」
「え、ええ……お願いね」
 廊下には既に数脚の椅子が用意されていた。予め、そのような手はずまでは調えてあるのだ。
 屋敷内は、もちろん慌ただしかった。普段は奥向きに入ってこない従者達も、誰がしかの指示で湯桶や家具を運んでいる姿が見られる。また、赤ん坊の世話と同時に、やってくるであろう客人の滞在などにも人手を割く必要があり、ヴァレリーは八面六臂の活躍振りを見せていた。
 既に両親や祖父母、ラ・ヴァリエール公爵家などには、ラマディエの伝書フクロウ屋に駆け込んだ家臣によって知らせが飛ばされている。このあたりは、リシャールの帰城前にジャン・マルクらによって手配が済まされていた。
 主人であるリシャールは、ただ扉の前で唸っているだけである。もう全てが予定の内に動いていくよう、準備が整えられているのだ。
 子供の誕生に絡んで、リシャールが主人として領主として数日使いものにならなくなる事は、ヴァレリーやマルグリットも折り込み済みであった。庁舎の方でも今頃は、二週間余りの外遊に伴って留保されていた書類の山のうち、本当に緊急を要するものだけを厳選する作業が行われている筈だ。……まことに優秀な家臣団である。

 この待ち時間というものが厄介で、リシャールは唸りながら椅子に座っていた。いや、時々立ち上がっては、扉の前でうろうろしていたりもするだろうか。
 陣痛に破水、出産があって産湯が後産が初乳がと、大昔に学校の保健体育で習ったようなことを思い出しながら、ずっと中の様子を気にかけていた。
「なーう」
「……プチ、お前も追い出されたのかい?」
 寄ってきたカトレアの飼い猫を抱えあげ、リシャールは再び椅子に座り込んだ。
 何かをしなくてはならないような気がして心ばかりが焦るが、今はカトレアにしてやれることがないのだ。可能な限りの手配りは、もう何ヶ月も前から行われていたし、今もそれらは順調に回っている。
 大部屋一つ土間一つの農家ならば、旦那衆も妻の手を握ったまま励ましたり、湯沸かしの手伝いなどをしたりもするが、リシャールは残念なことに領主だった。気の紛れないこと甚だしい。
「なー」
「……にゃー」
 ここが造りのよい城で、扉の中からは僅かにくぐもった声しか聞こえてこないことも、リシャールの焦りを誘っている。無論、出産に関わる人手も多く、衛生上も恵まれたハルケギニアでは望みうる限り良い出産環境であることは理解しているし、それを調えるための努力もしたが、そのような問題ではないのだ。
 帰城より数刻、外はもう日も暮れていて、廊下は魔法の明かりで照らされていた。
 城の料理長が気を利かせ小さなテーブルに軽食を用意してくれたが、それにも手は着けていない。
 幾度かヴァレリーやメイド達が扉の内と外を往復していたが、当然ながら中の様子はわからない。聞いてはみても、落ち着いて下さいませと、返事が返ってくるばかりである。
 急ぎの書類だけは、先ほどマルグリットが持参してきたので機械的にやっつけた。苦笑気味に、三日後は覚悟して下さいと言われたような気もするが、上の空だった。
「……はあ」
 そのようにしてどれほど過ごしただろうか。
 やがて、扉の中が急に騒がしくなった。
 開けてみたいが、再三注意されていたので我慢をする。
 とても焦れったい。
「……!」
 しばらくして。
 静かになった扉の向こうから、赤ん坊の泣く声がリシャールの耳にも届いた。

「お待たせしました、もう大丈夫ですわ」
 かなりの時間が経ってから、ようやく扉が開かれてヴァレリーが顔を見せた。にっこりと微笑まれ、リシャールはいよいよ対面かと唾を飲み込んだ。
 もっとも、泣き声が聞こえてからはぐっと拳を握りしめて、時間が止まったかのように扉の前で立ちつくしていたリシャールである。先ほどまでの焦った様子はどこへやら、嬉しいのか楽しいのか何なのか、今は自分でもよく分からない状態であった。
 中に入ると内部は既に片づけられており、産着を着せられた上から掛布でくるまれた赤ん坊が、カトレアと一緒に寝かされている。
「リシャール……」
「うん……」
 カトレアのことが目に入らなかったわけではないが、リシャールの視線は我が子に釘付けであった。産まれたばかりだというのに、顔立ちがしっかりしているのにも驚かされる。まだ目も開いていないが、赤ん坊はごそごそと元気に身体を動かそうとしていた。
 カトレアと赤ん坊、二人顔を見てようやく実感が沸いてきた。自分は父親になったのだと、安堵と高ぶりが入り交じった心持ちで大きく息をはく。
 座り込んで顔を近付けたリシャールはそっと手を伸ばし、頬を指で触れてみた。あたたかく、そして、やわらかい。肌触りもいい。ようやく実感が湧く。
 しかし。
 ……赤ん坊に嫌がられた上に泣き出され、リシャールは慌てた。
「あらあら」
 カトレアのくすくすと笑う声がすぐそばで聞こえる。
「小さくても、やっぱり女の子ね。
 男の人にお顔を触られるのは、『お父様』でもいやなのかしら?」
「……ごめん」
 そうか、この子は女の子かと、改めて赤ん坊の泣き顔をじっと見てみる。
 よく見れば、顔の作りと鼻の形がカトレアそっくりで、髪の色も同じく、薄桃色がかったブロンドだ。将来は絶対美人になるだろう。
「大丈夫よ、お父様よ」
 あー、わー、あーと大きな声で泣く赤ん坊をあやすカトレアが、急に母親の顔になったような気がする。彼女からは、心配していたような急な憔悴や体調不良なども感じられない。医者はそばに立っていたが、こちらに何を言上するでもなく、産婆と共ににこやかな笑顔で控えていた。たぶん、問題ないのだろう。
「ねえ、リシャール」
「……ああ、ごめん。
 何かな?」
 ぼーっと二人を見つめていたリシャールは、カトレアの呼びかけに我に返った。
「名前」
「えっ!?」
「この娘の名前よ。
 もう決めてくれた?」
「ああ、うん」
 もちろんリシャールは、アルビオンに行く前から子供の名前を考えて続けていた。カトレアからは、これは『お父様』の大事なお仕事だから頑張ってと言い渡され、懸命に考えていたがなかなかに難しい。これだと決めてからも二転三転していたし、息子か娘かもわからないから最終的には子供の顔を見てから決めようと、候補だけは数多く用意していた。
 リシャールは、再び赤ん坊の顔をじっと見つめた。
 白い肌、桜色の頬。今はもう泣きやんで、眠っているのか起きているのかわからないほどに、小さく口元を動かしたりしている。
 この娘の一生が、幸せでありますように。
 リシャールは心の中でそう呟いてから、最終的に決めた名前のうち、娘が産まれた時のために用意した名前を口にした。
「……マリー。
 マリー・ブランシュ・ド・セルフィーユ」
 マリーはリシャールの亡くなった父方の祖母の名前、ブランシュはラ・ヴァリエール家から氏族の名を借りて女性形としたものだ。両家からそれぞれ名前を頂戴したのである。
「マリー・ブランシュ。
 ……大昔のお姫様の名前ね?」
「え、そうなのかい!?」
「あら、知らずにその名前を?」
 驚くリシャールに、カトレアはその姫君の逸話を幾つか語ってみせた。冒険心と愛に満ちた古い古い昔話で、女の子には人気の物語らしい。リシャールはそれほど神話伝承や昔話に詳しいわけではなかったから、もちろん初めて聞く話であった。
「うちは男ばかりの三人兄弟だったから、その本は読んだ記憶がないなあ。
 ふふ、でも、とても周りから愛されたお姫様だったんだね」
「ええ、そうよ。
 とってもいいお名前を選んで貰ったわね、マリー?」
 くすくすと笑いながらマリーの髪を撫でるカトレアを見て、自分も手を伸ばしたい衝動に駆られるが、先ほどのように泣かれては困るかと我慢する。
「それにしても……」
「どうかしたの?」
「ほんと、カトレアによく似てるなと思ってね」
 二人の顔が並んでいると、よくわかる。いや、父親としての贔屓目も多分に入っているかも知れないが、産まれたばかりでもわかるものはわかるのだ。
「あら、そうかしら?
 うふふ、わたしにはリシャールそっくりに見えるわ。
 ね、マリー?」
 両親は子供を見て、お互いにそう思うのだろうか?
 マリーがリシャールとカトレアのどちらに似て育つか、こればかりは楽しみに未来を待つしかなかった。

 その日リシャールはカトレアの手を握り、ベッドの横に置いた椅子に座って寝た。
 泣き声に起こされることもしばしばだったが、十分幸せだ。
「奥方様、まだお子様は首が座っておりませんから、ここに手をあてがってくださいまし」
「ええ、ありがとう」
 よいしょと身を起こしたカトレアが、乳母役の女性から丁寧な説明を聞きながら、マリーをそっと抱きかかえる。
 授乳の最中に夫とは言え男性が居てはよくないかと、リシャールは腰を上げ部屋を出ようとした。
「リシャールも、飲む?」
「は!? ……あ、いや、僕は遠慮しておくよ」
「あら、そう?」
 乳母が驚いた顔をしている。からかいが半分以上入ってはいるのだろうが、少し残念そうな振りをして唇を尖らせているカトレアに苦笑を向けた。
 上流の貴族なら、子供には乳母をつけて授乳から何からそちらに任せることも多いが、カトレアは自分で育てることを希望していた。
 それでも念のために乳母役の女性は領内から数人を召し上げて、カトレアが体調を崩した時に備え、今のように交代で乳母が側に控えることになっている。教育までを任せる家庭教師兼業の乳母ではないから、子育てについて十分な経験があればと、子供が二人以上いて授乳可能との条件こそ付けたが、身分は問わなかった。
 複数人を雇うことで乳母役ら自身の子供たちの面倒も互いに見させているが、それ以外にも、特に主婦を雇われた家庭は困ることも多かろうと、旦那衆も含めた他の家族も城の賄いを利用できるように取り計らわれていた。人気取りの一環でもあるが、領民の人口増加は将来の税収にも直結するから、多少は色を付けても損をしないはずだ。
 それにリシャールも、カトレアの希望を認めていた。こちらでは知られていない知識がそれを後押ししている。動物を特集したTV番組からの知識だが、出産からしばらくは母乳に含まれる成分がそれ以降のものと異なること、特に免疫に関わる点から、初乳と呼ばれるそれは無視の出来ない要素であることを知っていた。
「赤ん坊は寝て、飲んで、育つのが仕事だからね。
 僕がマリーの分まで飲んだら、後で怒られそうだ」
 リシャールはそっと扉を閉じ、部屋を出た。
 廊下の窓から見える二つの月がいつもより綺麗に見えるのは、気のせいだろうか。
 出されたままになっている椅子に腰を掛け、リシャールは授乳が終わるまでぼんやりと月を眺めていた。

 翌朝、太陽もまだ低いうちに、まずは祖父母のエルランジェ伯爵夫妻が竜篭で到着し、リシャールらは大いに祝われた。知らせがセルフィーユを出たのが昨日の昼前であるから、老体には辛い強行軍のはずだろうにと少し申し訳ない気分にもなるが、これだけ喜んで貰えれば帳消しには出来そうだ。
「うむ、うむ!
 なんともかわいいではないか!」
「あなた、声が大きいですわよ?」
「う、すまん……」
 しわの寄った顔をさらにくしゃくしゃにして喜ぶ祖父らに、リシャールも嬉しさがこみ上げてきた。
「しかし、なんじゃな。
 ……長生きはしておくもんじゃな」
「ええ、本当に」
 そのようにして、マリーを中心に談笑することしばらく、メイドが来客を告げた。
「旦那様、司教猊下がお見えになられました」
「うん、僕が行きます。
 ……お爺さま、お婆さま、少しだけ失礼します」
 注進に来たメイドに頷き、リシャールはクレメンテを迎えに出た。
 無論、領内にも昨日のうちに知らせが走っているが、クレメンテは特別だ。マリーに祝福を授けて貰うという、大事な役目を頼んでいたのである。
「おめでとうございます、領主様」
「ありがとうございます、クレメンテ殿」
 にこやかなクレメンテに、今日は気兼ねをするような話はなかったかと、素直に礼を言う。……いや、一つあったか。
「クレメンテ殿、祝福を授けていただく前に、少しよろしいですか?」
「はい、領主様?」
 リシャールは客間の一室にクレメンテを誘い、小声で話しかけた。
「昨日、王都で聞いた話ですが、教皇聖下が御逝去なされたと……」
「なんですと!?」
 クレメンテは目を見開き、歯を剥き出しにして驚きの表情を作っていた。こちらの予想を遙かに上回る驚きように、むしろリシャールが驚いたほどだ。あまつさえ、手まで振るえている。このような、感情をむき出しにしたクレメンテを見るのは初めてのことだ。
「そのことを耳にしたときにはもう、マザリーニ猊下も既に王都を立たれていて、詳しいお話を伺うことは出来なかったのです。
 ……ごめんなさい、後からお話しすべきだったかも知れませんね」
「いえ、領主様。
 今お聞きしてよかったと、心より思いますぞ」
 クレメンテは上がった息を整えてから小声で聖句を口にし、リシャールへと向き直った。
「少なくとも、『我々』には、大いに歓迎すべき事柄でありますからな。
 断言が出来るほどではありませんが、今ほど酷いことにはならない筈です。
 私の知る限りですが、枢機卿団も宗教庁も、勢力図が大きく変化したという話は今のところ……いや失礼、このようなめでたき場で云々する話題ではありませんでしたな」
「いえ……」
「詳しいことはまた、状況が落ち着いてからでもお話しさせていただきたいと思います。
 いまはお子さまのことを優先いたしましょう」
「はい」
 リシャールはカトレアらの待つ部屋への道すがら、顔つきも心なしか普段よりも晴れやかなものになっているクレメンテの横顔に、今後は多少でも新教徒に対する圧力が弱まればよいがと考えた。こちらの負担や心配事が、多少は減るのだ。
 いくら各派閥の力が強くとも、トップの交代が組織全体の方針や行動に与える影響は大きい。
 だが、『連合皇国』の名がどうかと思うほどに各派は離合集散を繰り返しているので、大まかには見当がついても絞り込めるほどは予測がつかぬらしい。同時に、傀儡を頂点に据えられるほどには特別大きな派閥というものがないと、クレメンテには聞いていた。
 それ故に、実績はあれどもロマリアに大きな基盤を持たぬマザリーニが、次期教皇の筆頭に名が挙げられたりするのだ。教皇に据えてから取り込む方が、何かと都合がよいらしい。
 だが、ロマリアはそれでいいかもしれないが、マザリーニがトリステインを去ることだけは、やはり勘弁して欲しいとも思う。
 どうなるかは、正に始祖のみぞ知るというあたりだろうか。
 マリーのついでに自分にも祝福を授けて貰おうかと、リシャールは半ば本気で考えた。

 クレメンテが祝福を終え城を辞してしばらく、今度はラ・ヴァリエール家の一同が到着した。実家に帰っていたらしいエレオノールまでが、こちらへと顔を出してくれたようである。
 玄関前に迎えに出たリシャールは、早く会いたいのだと言わんばかりの公爵夫妻の勢いに飲まれながら、カトレアらの待つ部屋へと案内することになった。ルイズのみならず、エレオノールまでもが引きつった笑いを浮かべている。後で聞いたが、知らせが届いてからの公爵夫妻はずっとこの状態だったらしい。
「おお、ご到着なされたか、公爵殿!
 マリー・ブランシュお嬢様は、こちらにいらしゃいますぞ!」
 祖父はいつになく楽しげな様子で、公爵らを迎えた。
 だが勢いよく部屋へと押し通った割に、マリーと対面した直後の公爵夫妻は様子が妙だった。嬉しさが顔に現れていないわけではないが、何故か笑いを堪えるような顔つきだ。ふと横を見れば、ルイズが素直に目を輝かせているのに対し、エレオノールも少しばかり様子が変である。
「これはまた……ふ、ふははは!
 なあ、カリーヌ?」
「え、ええ。……うふ」
「……あの、どうかなさったのですか?」
「お父様? 母様?」
 驚いてきょとんとする周囲に我に返ったらしい公爵は、咳払い一つで場を収めた。
「あー……いや、失礼。
 その……だな」
 感情のままに表情をころころと変える義父という、世にも珍しいものをリシャールは見た。ある意味、マリーは既に大物の片鱗を見せているのかもしれない。
「実はだな、マリーと同じ顔の赤子を見るのは、これで三度目なのだ。
 ふふ、もしかすると、似ているのではないかとは思っておったのだが……」
「ここまで似ていると言葉を失いますわ。
 カトレアにルイズ、そしてマリー。
 ……ほんとうに、よく似ていますこと」
 ああ、やっぱり公爵夫妻が認めるほどに似てるんじゃないかと、リシャールはカトレアとマリーに目を向けた。
「私も少し……。
 カトレアが産まれたときのことは流石にうろ覚えだけれど、おちび、ほんとあなたにそっくりよ」
「エレオノール姉様!?」
 長姉とマリーを見比べながら、ルイズが目を白黒させる。
「ほう、では将来は美人になることを約束された、と言うわけですな」
 と、こちらは全力全開で機嫌のいい祖父。
「あら、マリーがリシャールにそっくりだと思うのは、わたしだけなのかしら?」
「僕もカトレアの意見は尊重してあげたいとは思うけど、うーん、流石になあ……」
 髪の色、鼻の形、輪郭。
 目はまだ開いていないが、カトレアの子供の頃を知らないリシャールにも、それを連想させるほどのだ。
 それとも耳や爪の形、仕草や他の何か似ているのだろうか。
 自分のことだから、余計にわからないのかも知れないが……。
「それにしても、カトレアも、あー……マリーも、元気そうで安心したぞ。
 道中はそのことが一番気になっておったからな。
 それが来てみれば、自分と同じ顔をした赤ん坊を抱えてにこにことしておる。……気が抜けたと同時に、なんだか可笑しく思えてな」
 一通り笑い終えたのか、マリーを見つめる公爵らの顔は優しい笑顔に満ちていた。
 場が収まったのを見て、祖父がリシャールの肩に手を置く。
「しかしのう、マリーは可愛いし、無事に産まれたし、奥方も元気であるし、まったく問題はないのだが……」
「はい、お爺様?」
「名付け親になれなかったのが、少々心残りじゃな。
 わしもいくつか考えてはおったのじゃが……」 
「伯爵、それは私も同感ですぞ。
 いや、一言相談があればだな、こう、もっと……」
 あれやこれやと言い始めた祖父と義父に、奥方たちから合いの手のように、きつい一言が入った。
「あなたに任せると、名前が決まるより先に、マリーがつかまり立ちしそうな気がするのは気のせいかしら?」
「私もそう思いますわ、伯爵夫人。
 エレオノールの名前を決める時でしたか、丸一日潰してもまだ決まらなくて、お呼びした司祭様を一晩お泊めすることになりましたもの」
 懸命過ぎるのも考え物らしい。
 リシャールは、少しばかり気まずい顔の二人と同じように首をすくめた。
 ふと、部屋が暗くなったのに気付いて、窓に目をやる。
「アーシャ!?」
「まあ!」
「ふむ、リシャールの使い魔か?」
「ええ、そうです。……どうかしたのかな?」
 昨日と同じく唐突に現れたアーシャに、カトレアと寝ているマリーを除く皆は驚いている。リシャールは、窓を開けて彼女を迎え入れた。
「きゅー」
「アーシャ!?」
 アーシャは器用に首を伸ばして部屋の中に頭だけを入れると、カトレアとマリーを一瞥して、くわえていた何かをごとりと床に置いた。
「……岩?」
「きゅー」
 直径は五十サントほどであろうか。日本庭園の庭石に使えそうな岩塊である。
 続いてアーシャはそっとマリーに顔を寄せた。何やら匂いを嗅いで、目を細めている。
「あら、アーシャ。
 これはマリーへのお祝いなのかしら?」
「きゅー」
「そう、ありがとう」
「きゅ」
 カトレアだけが、正しく意味を受け取ったようである。
 もしかすると、地韻竜一族の伝統に基づいた何らかの意味を持つ祝いの品なのかもしれないとはリシャールも思うが、今はまだ、アーシャが何を考えてこの岩塊を持ってきたのかはわからなかった。






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