ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第六十九話「協約」




 二週間に及ぶ園遊会も半分を過ぎた頃、リシャールが心待ちにしていたセルフィーユからの資金が届いた。もちろん、馬車の護衛もそのまま随員に加える。
 割り振られたお役目もないからと身一つで来たことは、その後与えられた仕事の量から考えると失態に近かったのだ。半分は自業自得でもあったが、途中で投げ出すわけにもいかない。
「なかなかにお忙しいご様子ですな」
「ちょっと見積もりが甘かったんですよ」
 護衛についてきたジャン・マルクも、妻との再会もほどほどにリシャールに引っ張られ、アルビオンの宿営地にて薄パンの挟みものを作らされていた。領主自らが腕を振るっているので、文句も言えないというあたりだろうか。
 アルビオン側はようやく本隊たる親善艦隊が到着し、随行の人員も三千名余りに膨れ上がっていた。彼らにもイワシを使った食事を振る舞う予定は立てていたし、こちらも半分は経験者だったが、用意せねばならない食事の量は前回の倍以上にもなる。今回は昼間から夕刻にかけてと時間を長めに取り、更にはアルビオン側にも人数を調整して貰うよう連絡をしてあったが、それでも多少の混乱は起きていた。やはり、振る舞う相手が多すぎたのだ。
 調理場へと引っ張ってきたセルフィーユ家関係者の九割以上が兵士だったが、難しいことをさせるわけではないので問題はない。
 長期の野戦時には兵士にも当番で煮炊きをさせるので、その延長ということにしておく。リシャールには自ら他家や他国と戦争をするつもりも兵士を戦地へと送るつもりも全くなかったが、巻きこまれないと言う保証はどこにもないのだ。
 もっとも、王都往復便の護衛には行軍の訓練も含まれているので、同行の商人や領民はともかく、兵士達は全行程で宿泊地が宿屋というわけではない。慣れてはいなくとも、調理に全く縁のない兵士はいなかった。
「しかし、警備隊長自らがこちらにとは、思いませんでした」
「私の仕事の半分は城をお守りすることですが、残りの半分はリシャール様をお守りすることですぞ」
「確かに。でも助かりましたよ。
 そうだ、向こうの様子はどうでした?
 問題は起きていませんか?」
 カトレアからの手紙は渡されていたが、じっくり読む暇がなかったのだ。手を動かしながら、ジャン・マルクに聞いてみる。
「リシャール様よりの手紙が届いて準備に一日、私が出立したのが五日前ですからな。
 生け簀の準備や油漬けの増産については、マルグリット嬢より指示が出ていましたが、他はそう変わったことはありませんでした」
 リシャールはトリステイン国内ならばほぼアーシャで一足飛びだが、馬車ではそうもいかないのだ。先日、ラマディエにもめでたく伝書フクロウ屋が開店したので、遠方との緊急時の連絡は以前よりも格段に楽になったが、竜とまではいかなくとも、ヒポグリフか何か、子爵家私有の高速連絡手段が欲しいところであった。とは言え、訓練された空飛ぶ幻獣は軍馬などよりも数段価格が高いから、躊躇いどころではある。
 あれこれと考えながらも手だけはてきぱきと動かしながら、鉄鍋で野菜に使うソースを作っていく。隣で同じように手を動かす兵士らも、ようやく慣れてきたようで危なげはない。
「旦那様!」
 名前を呼ばれて振り返ると、ヴァレリーの助手に残しておいたメイドが走って来るのが見えた。慌て振りからすると急ぎらしい。
「旦那様、王政府から使者の方が!」
「!?
 すぐに戻ります!
 ジャン・マルク殿、あとは……」
「お任せ下さい!」
 リシャールはジャン・マルクらに見送られ、全力で走った。色々考えてみるが、王家絡みではないとすれば考えるだけ無駄だった。
 慌てて公爵家の宿営地に戻り、身だしなみと息を整えて使者を迎える。
 恭しく差し出された書類に目を通し、リシャールは使者を労った。気楽な内容ではないが、勅命でもなく単なる連絡だったので跪いたりはしない。同じ王政府からの使者でも、爵位持ちの勅使や特使、先日のルイズの様に王族の代理人が差し向けられてきた場合は受け取る側の方が下座になるが、今回の場合はそうではなかった。走らなくても良かったかと、内心でため息をつく。
「マザリーニ猊下には、『承知いたしました』とお伝え下さい」
「はい、子爵閣下」
 差出人はマザリーニ枢機卿。内容は、明日行われる予定のゲルマニア政府高官との会談にセルフィーユ子爵の出席を要請する、というものだった。
 書面に記されていた出席者はトリステイン側が宰相マザリーニ枢機卿に王政府の高官アントルモン伯爵、リシャール。ゲルマニア側は外務卿補ノルドハイム伯爵、皇帝直轄領ハーフェンの代官ブライテンバッハ子爵、そして先日談笑したツェルプストー辺境伯である。
 添えられた走り書きには、急なことで申し訳ないが出席を請う、とだけ書かれてあった。
 予定外だが、明日は夕刻からのアルビオン王家主催の夜会があるだけで、昼間は時間が確保できるから、特に問題とはならないだろう。
 とりあえずはとリシャールはラ・ヴァリエール公爵に内容を報告し、アントルモン伯爵宛に挨拶状を一通したためた。後はヴァレリーに任せ、アルビオンの宿営地へと戻る。
 行きに比べ、リシャールは落ち着きを取り戻していた。出席者の顔ぶれから、両政府の重職が居並びながらも、会談の大凡の内容に想像がついたからだ。
 アルビオンの兵士で溢れかえる宿営地で鍋を振るいながら、また無茶を言われなければいいがと嘆息する。
 親会社から命令を受けたフランチャイズのオーナー店長とどちらがましだろうかと、半ば真剣に考えたりもするが、答えの出るようなものではなかった。

 翌日、野菜や調味料などの買い付けに兵士の乗ってきた荷馬車を送り出すと、少しは早めの方がいいかと王政府の天幕にアントルモン伯爵を尋ね、挨拶を交わす。マザリーニとは既に面識もあるので、伯爵の人柄を知っておきたいという希望もあった。
「君が噂の『子供子爵』か。なかなかの敏腕と聞いているぞ」
 ……『子供子爵』。
 いきなり酷い挨拶だなとは思ったが、外見に甘えていられるうちは、それを利用しない手はないかと涼しい顔で受け流す。面と向かって言われるだけましだった。
 だが、挨拶の枕以上の意味は込められていなかったようで、それ以上にリシャールを揶揄するような言葉は、伯爵の口からは出てこなかった。嫌われてまではいないようだが、一人前とは認められていない、というあたりか。
 アントルモン伯爵は四十代前半の法衣貴族で、外交関係の役職について長いのだそうだ。会談について軽く説明を受けるが、やはり街道の事で間違いなかった。また、今回の話はゲルマニア側から申し出があったのだと言う。
「セルフィーユ子爵、事は大きいが大凡の話はもうついているのだ」
「そうなのですか?」
「うむ。
 子爵が王命により行っておる街道整備について、ゲルマニア側からも今は細く交通量も少ない街道を、トリステイン国境まで整備するとの話があってな。
 国境付近の関所の拡大や、街道の治安確保についての話し合いはすでに済んでおる」
 リシャールがアルビオンの歓待や姫殿下の密命で駆け回っているうちに、両政府の間でやりとりがあったらしい。こうなると、下手に動く前でよかったとの考えが浮かび上がってくる。
「それよりもだな、子爵」
「はい?」
「率直に聞くが、街道整備は計画通りに進んでおるのか否か、どうなのだ?
 爵位に釣られて引き受けたわけでもあるまい。
 ……とは思うが、トリステインの面目にも関わる重大事ゆえな、少々心配でもある」
 アントルモン伯爵は難しい顔をリシャールに向けた。
 マザリーニには街道整備計画の概要とその進捗状況は定期的に報告してあったから、アントルモン伯爵にも内容が知らされているはずであった。
 ただ、具体的な内容や総予算を決めたのはリシャール自身であったから、そこまで無茶ではないと自分では思っているのだが、やはり一諸侯への負担としては破格すぎるのか、祖父や義父のみならずその点は皆が皆疑問に思うようだ。
「はい、当初よりも計画を前倒しするほど、順調に工事が進んでおります。
 余力があるわけではないですし、半分は私の都合ですが、今のところは上手く回っているかと思います」
 急速に増えすぎた人口が工事を加速させたとも言えるが、工事そのものもそれを支える製鉄にも、今のところ特段問題は見あたらない。王命という錦の御旗もあるから、工事そのものにも横槍が入ったりするようなことはなかった。
「ならば良いが……。
 ともかくも今日の席、余計なことはせぬようにな」
 マザリーニはさておき、『子供子爵』相手では皆こんなものだろうかと、リシャールはアントルモン伯爵に頷いた。

 会談の方は、トリステイン王政府の用意した天幕で行われることになっていた。アントルモン伯爵に付き従い、そちらへと向かう。
 相応の準備期間まで設けて建築された各国王侯の宿営地や、大きな権勢を誇る大貴族を除けば、こうした園遊会では天幕を用意するのが通例であった。中小の貴族でも土メイジならば自前で家格に見合った建物を用意できる者もいるが、建築家や芸術指向の強い一部の者を除けば、周囲の目を気にして天幕で済ませることも多い。
「セルフィーユ子爵、先日以来ですな」
「お久しぶりです、猊下」
 いつもと変わらず淡々とした様子のマザリーニに、内心で苦笑する。
「本日の会談……と申しましても、実質は顔合わせのようなもの。
 ご安心召されよ」
「ありがとうございます、猊下」
 マザリーニの方でも、リシャールに取り立てて注意を喚起するようなことはないようで、少しは肩の荷が下りる。
 アントルモン伯爵の方は、マザリーニには特に用はないらしく、会釈をしたきり黙り込んでいた。なるほど、大した嫌われぶりのようだ。
 表が少し騒がしくなった後、小者が相手方の到来を告げた。
「ゲルマニアの皆様がお見えになられました」
「うむ」
 ほどなく、三人のゲルマニア貴族が天幕へと入ってきた。一人はもちろんツェルプストー辺境伯である。
「先日は楽しませて貰ったな、セルフィーユ子爵」
「いえ、こちらも良い勉強をさせていただきました」
 挨拶が交わされ、リシャールでさえ感じる微妙な緊張感が漂う中、用意された円卓につく。なんのかんの言いつつも、両国の仲は宜しくない部分も多いのだ。特に、アントルモン伯爵とノルドハイム伯爵は相性も良くなさそうだ。気楽に構えているツェルプストー辺境伯の方が、この場では異質かも知れない。
 リシャールは真面目な顔で両政府高官のやりとりを耳に入れつつ、新しく紹介された帝政ゲルマニアの要人を見る。
 外務卿補のノルドハイム伯爵は三十代の若手で、怜悧かつ理知的な、いかにもゲルマニア人然とした容貌が印象的だ。手元の書類には目を殆ど通さず、アントルモン伯爵と内容について、器用にも互いに牽制しながら確認しあっている。
 ハーフェンの代官ブライテンバッハ子爵の方は年輩の貴族で、軍人上がりのようであった。右手の甲にある傷が目立つ。ハーフェンは軍港もある上、ラマディエやシュレベールのような人口数百人の田舎の領地とは比較にならない大都市だった。代官といえども、爵位のついた相応の人物がその地位に就くのだろう。彼はノルドハイム伯爵らのやりとりを、つまらなさそうに見ていた。
 しばらくして確認が終わったのか、アントルモン伯爵とノルドハイム伯爵が正式な文書を記した書類を出席者に回し、立会人としてリシャールも含めた全員が二度署名した。これを再び外務高官の二人が確認し、頷きあった。
 これで互いの主君の裁可が下り次第、この協約が発効することになった。実質的にはこの会談はこれで終了である。
 この雰囲気では雑談もないだろうなと、円卓に並んだ顔ぶれを見回すと、ツェルプストー辺境伯と眼が合わさった。
「セルフィーユ子爵」
「はい」
 なんだろうか。
 からかわれるのは構わないが、出来れば余人の居ない場所に限って欲しいものであった。それでもこの、アントルモン伯爵とノルドハイム伯爵が主要因である重苦しさを多少でも吹き飛ばせるならば、道化に徹しても良いかという気分にもなる。
「街道が完成したとして、セルフィーユからこちらへと輸出される主要な品目は、何になるのであろう?」
「はい、ツェルプストー辺境伯様のご領地に向けては、海産物が主体となるかと思います」
 油漬けに干物。いまのところはこのあたりが限度だろうか。特に珍しいものを扱っているわけではないので、こちらからは大して出せるものはなかった。
「うちは魚を送られても困るのだが……。
 第一、こちらも同じ港町だ。買う者もおらぬだろう」
 からかい半分か、ブライテンバッハ子爵が口を挟む。彼もこの雰囲気には飽いていたようで、苦笑気味だった。
「ええ、もちろん港町に魚を送る愚はいたしません。
 ハーフェン港には……困りました、特に送るものがありません」
「ふむ」
「でも、それでいいと思います」
「ほう……?」
 ブライテンバッハ子爵も流石におや、という顔になる。
「もちろん、何か送り出せる荷があればいいなと私も思いますが、無理に産物を作ると色々問題が起きることが予想されます。
 それにハーフェンはゲルマニアでも有数の大きな港町のこと、セルフィーユのからの荷が無くともお困りにならないのでは?」
「まあ、確かにな」
「逆にうちは、ハーフェンがないと非常に困ります。
 セルフィーユに届く石炭の主な積出港はハーフェンですからね。故に一方通行ですが、損はないものと考えます」
 ハーフェンはゲルマニア北西部でも大きな港であり、陸路や河川、運河等を通って周辺から集められた輸出産品が一旦集積される、市場と倉庫を備えた一大拠点だった。
 セルフィーユではセルジュに委託して石炭を輸入しているが、やはりその大半がハーフェンから送られてきていた。良質の石炭が極端に大きな船賃なしにセルフィーユへと届くことは、トリステイン国内では最もゲルマニア北部に近い場所に港を持つセルフィーユの、大きな強みでもあった。
「それに、今でも僅かながらですが商人が行き来しております。
 街道が出来れば、それを加速することになりましょう」
 細々とした荷を扱う商人は、馬車や驢馬車で荷を扱う者が多かったから、街道はそれを後押しすることになる。徒歩よりも大きな輸送力がありながら価格も手ごろで、自由度が比較的大きいからだ。そのかわり、水は鬼門に近かった。海路では船に馬車まで乗せると余計な船賃がかかるし、河川などは橋がなければ大回りするか、高い渡し賃を覚悟しなければならなかった。
 ちなみに海路は、事務所と倉庫、あるいはもっと直接的に船舶を仕立てることの可能な大商人の独壇場である。また、それとは対照的に、駆け出しの商人にとっても有効な交通手段で、彼らは馬車を持たぬ故の気軽さで、定期便へと便乗して方々を巡った。
「ゲルマニアのお二方には、セルフィーユ単体ではなく、トリステインの北東部全体を新たな市場として見ていただけると幸いです。
 ハーフェンは石炭だけでなく、他にもゲルマニア北部中の様々なものが集まる大きな港町ですし、同じくツェルプストー辺境伯様のご領地は、ご領地で生産される機械製品もさることながら、その先にはゲルマニア最大の都市でもある帝都ヴィンドボナさえあります。
 これまでは遠回りでしか入ってこなかったもの、もしくはこちらの人々が遠方から取り寄せていたものがセルフィーユで簡単に手に入るならば、周辺から買い物に来る人々が集まりましょうし、それがセルフィーユの利益になります。
 もちろんお二方の街には、輸出に伴う利益としてそれらが還元されることになりましょう。
 トリステインはセルフィーユを牽引役に、北東部全体が底上げされますから、これまた損はありません。
 セルフィーユは玄関口のようなもの、とお考えいただければ幸いです」

 帝政ゲルマニアにとっては、セルフィーユという新しい消費地が一つ得られる。トリステイン王国には、北東部全体の活性化による税収増。ツェルプストーとハーフェンは新たな市場を獲得し、セルフィーユは貿易の中継地として利益を上げる。
 協約を結ぶ両政府と関係する領主達に、損はない。
 但し、リシャールも故意に口に出していない部分はあった。
 まず、トリステイン北東部へと商品を流していた者の内、主要な交易路が遠回りになることで利ざやを稼いでいた者は確実に損をする。当然、この流れを受けて王都からセルフィーユにかけて動いていた商人達の使う交易路も変わり、彼らを当て込んでいた宿屋や酒場などは寂れるはずだった。
 前者も後者も、セルフィーユに拠点を移させれば救済は可能だが、住み慣れた土地を離れることを拒む者もいようし、そこまでは面倒を見切れるものではない。
 そして、彼らから税収を得ていた諸侯達もまた、収入が落ち込むはずであった。トリステイン王国全体で見れば微増からやや増加、というあたりだろうか。
 いずれにせよ、街道の整備は協約が結ばれたことで、両国政府の認めるところとなっているのだ。後々問題になる可能性はあるが、諸侯には王命を盾にとって反論を封じることになるだろう。

「なるほどな。
 そう言えば子爵、武器の方はどうなのだ?
 売らぬのか?」
 銃砲を作るための機械類の一部は、ツェルプストー辺境伯の息がかかった商会から納入されている。
「大口の注文を捌けるほどはまだ作れませんが、小売りははじめております。
 ただ、ゲルマニアへの輸出は厳しいかと、先ほどは話題には致しませんでした。
 『鉄の国』の方々が、わざわざうちの鉄製品をお買いあげになられるとは思えませんので、こちらは国内向けのみを考えております」
 こちらの目指す品質や性能にはあえて触れず、相手を立てておく。もちろん口先で勝つ必要もないし、この場でリシャールの求めるものはそこではない。銃砲の製造ではトリステインの一歩も二歩も先を行くゲルマニアへと、無理にセルフィーユ製の品を売り込む必要はない。
 それに実際、生産の始まった短銃とマスケット銃にしても、大口の取引に耐えるような生産力は未だ整っていなかった。日産数丁では話にならないのである。
 それに。
 ゲルマニアが製造業者、セルフィーユが市場、トリステイン北東部全体が商圏。
 この構図をセルフィーユ中心に描き出すことこそが、街道整備についてのリシャールの理想であった。銃砲の製造はセルフィーユにとっては重要だが、より大きな視点で見れば、今回の会談とは余り関係がないとも言える。
「……ふむ、冷静に捉えているようだな」
 まだ何か言いたげなツェルプストー辺境伯に少しばかり構えるが、この場ではそれ以上の追求はなかった。

 会談終了後、アントルモン伯爵からは、あれぐらいならばと及第点を貰い、マザリーニからは労いの言葉をかけられて、ようやくリシャールは解放された。
 今回の会談では、国家間をまたぐような大きな仕事を任される立場にもなく、言われるままに書類へと自分の名を書き入れるだけのことであったが、今後は否応なく機会が増えるだろう。本当の意味での責任や判断力を求められるのはまだ先になりそうだが、領地にこもって領主の仕事と錬金だけをしていれば良い立場ではないと自覚させられた。
 宿営地へと戻ったリシャールは、ヴァレリーに遅い昼食を頼んだ。公爵へと報告しようとしたが、生憎留守であったのだ。
 食事を済ませると、今度は自分の留守中の報告を聞く。
 残りの期間に届くイワシの量についてのギーヴァルシュの加工場からの見積書や、アルビオンからの礼状など、細々としたものが多いが、ラマディエの庁舎で書類束に埋もれることを思えばほんの軽いものである。
 それにセルフィーユに戻れば、リシャールを待つ書類が山を為しているはずだ。せめて園遊会場にいる間は、執務のことは考えたくない気分だった。
「そうだ、そろそろアルビオンのフネを回して貰う用意をしておかないと……」
 お土産にしてもらえばいいかとセルフィーユでは油漬けや鮮魚の用意をさせていたが、こちらへの輸送手段が確保出来なかったので、少し困っていたのだ。
 最初に手配しようとした竜篭などは、園遊会の影響が大きく満員御礼で休む間もないほどと聞かされ、諦めざるを得なかった。更に方々へと人をやってなんとか手配出来ないかと画策したが、フネも忙しいらしい。義父にも無理のない範囲でと聞いて貰ったが、こちらも急には用意できぬとのことだった。
 そのせいもあって、取りに来て貰うのが一番かと結論するのに数日を要していたのだ。
 リシャールは、必要な手続きを通すために数通の手紙を用意し、小者に託した。
「アルビオン宿営地のブレッティンガム男爵にお会いしてきます。
 何かあったら呼びに来て下さい」
「かしこまりましたわ。
 行ってらっしゃいませ、リシャール様」
 名目は、トリステイン国内の視察か親善航海あたりが無難だろうか。回航にかかる運行費用はこちらが全部負担すると条件を付ければ、リシャールの希望も通りやすくなるだろう。
 それにブレッティンガム男爵エルバートならば、『新鮮な魚がありますよ』と一言告げれば、万難を排してフネをセルフィーユへと回航する為に尽力してくれるはずだと、リシャールは確信していた。






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