ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第六十八話「偽名(前)」




 ユニコーン仕立ての馬車に揺られることしばらく、リシャールは王家の宿営地へと到着していた。
「ルイズは……姫殿下が僕をお召しになった理由は知っているの?」
「知らないわ。
 さっきまでは、姫様と一緒にお昼寝してたんだけど……。
 起きたときには、馬車の用意も出来てたもの」
 使者に立たされたルイズの方も、聞かされてはいないようだ。
 リシャールは、明らかに乗り心地の良かった王家の馬車を振り返り、軽く深呼吸をする。魔法仕掛けなのか、アスファルトの舗装道路をエンジンで走る乗用車を知っている身からしても遜色ないほどで、リシャールを驚かせていた。
「ド・ゼッサール殿は何かご存じですか?」
「いえ、私も存じませぬが……」
 露払いよろしく、二人を先導する魔法衛士隊長に聞いてみるも、こちらも同じらしい。少々不安ではある。
 先日、眼鏡の美人を連れて夜会に出た折に怒られはしたが、その場で誤解は解けたし、失点も特になかったように思う。
「でも、リシャール」
「なあに?」
「悪い話じゃないと思うわ」
 ルイズはにっこりと笑って言い切った。
「だって姫様、すごく嬉しそうだったもの」
「そうでしたな。
 姫殿下は確かに楽しげであられましたぞ、『鉄剣』殿」
 ド・ゼッサールにまで太鼓判を押されては、何を言えようはずもない。
 リシャールは、悪いことでないならば少々忙しくなっても構わないかと、気持ちを切り替えることにした。

「姫殿下、セルフィーユ子爵をお連れしました」
 連れて行かれた先の部屋では、アンリエッタ姫に加えてマリアンヌ王后までがリシャールを待ちかまえていた。
「ありがとう、ルイズ。ド・ゼッサール隊長もご苦労でした」
「は、ありがたき幸せ」
 確かに二人の言うように、アンリエッタだけでなく、マリアンヌまでもが笑顔である。
 ともかく、無事に乗り切らねばならない。リシャールは王家の二人の前に跪いた。
「リシャール・ド・セルフィーユ、参上いたしました」
「ああリシャール、畏まらなくてもいいの。
 お立ちになって」
「失礼します」
 視線を合わせたアンリエッタは、再びにっこりと微笑んだ。
「リシャール、あなたに少々尋ねたいことがあります。
 ……『恋人の出来る魔法の眼鏡』ってご存じよね?」
「は!?」
 思わず素面に戻りルイズの方を振り返ると、驚きの中にも微妙に気まずげな表情が見え隠れしていた。
 エレオノールに贈った眼鏡のことで十中八九間違いないのだろうが、どのような尾ひれが付いてそうなったのか、リシャールとしても是非知りたいところである。
「なんでもその眼鏡をかけた女性には、必ず恋人が出来るとか。
 ラ・ヴァリエール家に代々伝わる秘宝中の秘宝で、あまりにも強力な魔力故に、普段は封印されているとも聞きしましたわ」
「そうね、昨日の晩餐会でも噂になっていたわね」
 マリアンヌまでもが相槌を打つことに、噂の規模を想像したリシャールは背中に冷や汗が流れ出すのを感じた。
 無論リシャールは、そのような噂話をただの一度も聞いたことがない。
 もっとも、舞踏会では東屋に逃げ込み、晩餐会では男性中心の盛り上がりに欠ける席についていたから、噂が耳に入らなくとも当然ではあった。
「でも、本当は違うのよね?
 わたくし、ルイズから教えて貰いましたもの」
「ラ・ヴァリエールの名に遠慮して直接問うことは躊躇われていたのでしょうね、皆さん詳しいことはご存じないようでしたが……」
「エレオノール殿がかけていた魔法の眼鏡、あれはリシャールが作ったのよね?」
 アンリエッタにじっと見つめられ、リシャールは渋々ながら首肯した。
 ただ、夢を砕いては申し訳ないとは思いつつも、間違いだけは訂正させて貰うことにする。
「はい、姫殿下。
 義姉エレオノールの身につけていた眼鏡は、確かに私の手による品です」
「まあ、やはり!」
 嬉しそうな声を上げるアンリエッタに内心でげんなりとしながらも、先を続ける。
「ただ、その……申し上げにくいのですが、あの眼鏡には特別な魔法は一つもかけておりません。
 材料を作って形を整える時にかけた錬金と硬化、材質強化、そして仕上げた後にかけた固定化。
 これだけでございます」
「あら、そうですの?」
「はい、姫殿下。……始祖に誓いまして」
 そもそも複雑な仕掛けを持つマジックアイテムの制作は、今のリシャールには無理であった。高値で取り引きされてセルフィーユ家の屋台骨になっている『亜人斬り』でさえ、突き詰めれば話題に上っている眼鏡と大差のない魔法しか使っていない。
 少々残念そうなアンリエッタであったが、制作者であるリシャールの言に納得はしたようだ。
 ただ、そのまま突き放すのも姫君のご機嫌を損ねるかと、一言付け加えておく。
「ですが姫殿下、全く同じものならば、作ることはそう難しくはありません。
 お命じ戴ければ、すぐにでも」
 アンリエッタは少し考えていたが、何かを思いついたのか、再び笑顔になってリシャールへと向き直った。
「では、お願いしてもよろしくて?」
「はい、承りました」
 リシャールも一礼し、眼鏡を作る算段を思い浮かべた。アンリエッタは視力が悪いわけではないようだから、一番時間と手間のかかるレンズ製作が随分と楽に済みそうだ。
 もしも、リシャールが本当に魔法の掛かった『恋人の出来る魔法の眼鏡』が作れるとして、それをアンリエッタに渡したことが原因で彼女に恋人が出来たりすれば、スキャンダルの原因を作った人物として目も当てられないことになりもしようが、その点だけは全く心配がない。
 誰がどう調べたところで、伊達眼鏡以外の何物でもないのだ。
「これがまず一つね。
 その……ルイズ、ド・ゼッサール隊長。
 申し訳ないのだけれど、お二人は退室をお願いします」
 アンリエッタには、リシャールにまだ何か用があるらしかった。こちらが本題であろうかと、態度には出さず気を引き締める。
「……はい、わかりました」
「は、失礼いたします」
 ルイズは何か言いたげな目でリシャールとアンリエッタを見ていたが、姫殿下の命には逆らえない。大人しく一礼をすると、ド・ゼッサールに伴われて彼女も退出した。
 扉が閉まったのを確認したアンリエッタは、母マリアンヌに一つ頷いてから杖を振るい、サイレントの呪文を部屋に行き渡らせた。重要な話かも知れないと、身構える。
「早速だけどリシャール、先ほどの眼鏡の件とは別に、あなたにお願いがあります。
 いいこと、これはルイズにも内緒ね?」
「はい、姫殿下」
「今夜わたくしを伴って、夜会に出席していただきたいの」
 これはまた、どういう風の吹き回しであろうか。
 しかもルイズらを退席させての密命とあっては、身構えざるを得ない。義姉らと違い、夜会のエスコート役ぐらいならと、気楽に引き受けられる相手ではないのだ。
 だが、拒否を出来ようわけもない。相手は王家の姫君だった。
「……何か、特別なことでもありましたのでしょうか?」
「リシャールは普通で構わないわ。
 先日、エレオノール殿やルイズをエスコートしていたように、わたくしにも接して下さればよろしいの。
 特別なのは、そう、わたくしの方ね」
 ふふふと、アンリエッタは楽しそうに微笑んだ。
「リシャール、今夜はクルデンホルフ大公主催の夜会があるのだけれど、わたくし、それには出席しないことになっていますの。
 代わりに、『アン』という名の小貴族の娘が、あなたに伴われて出席するのよ。
 ……リシャール、おわかり?」
 なるほど、人払いも頷けた。いわゆるお忍びというものであろう。
 挨拶を受けるだけでも、人々が列を作るアンリエッタである。年相応の少女として彼女を見るならば、さぞや退屈に違いない。多少は理解を示すリシャールだった。
 だが考えてみれば、正規のエスコートではないだけましかもしれない。そんなことになれば、政治的にも社交的にも目だち過ぎる。下手を打てば、やれ王配だなんだとまでは騒がれずとも、少々以上に困ったことにもなるだろう。
 その心配だけはなさそうなのが救いだが、リシャール自身の気持ちとしては、都合の悪くなった子供のごとく、おなかが痛いので今日はお休みしますと言いたいところでもあった。立候補者を募れば、トリステインの花と謳われる姫君のこといくらでも手が挙がるだろうに、何故に自分がと首を傾げざるを得ない。
「リシャール、申し訳ないけれど、娘のわがままを許してあげてね。
 ……王家主催の公式行事を休ませるわけにはいかないわ。
 でも、この娘にもたまには羽を伸ばさせてあげたいのよ」
「もう、お母様ったら……」
「それに、リシャールなら安心だわ。
 結婚もなさっているし、その愛妻家振りも公爵ご一家からたっぷりと聞かされていますもの。
 その上貴方は、あの『烈風』カリンの弟子なのでしょう?
 娘の護衛としても、頼りにしていますね」
「まあ、それは本当ですの!?
 『烈風』カリン! かつてトリステイン最強を謳われた、伝説の騎士ではありませんか!」
「えっと、まあ……」
 リシャールは、その『烈風』カリンと一緒のフネで、姫殿下もこちらにおいでになったでしょうに、とは口に出来なかった。大喜びで勢いづく娘に対し、リシャールと目を合わせたマリアンヌが柔らかい笑顔で指を一本口元にあて、しーっと沈黙を促したからだ。
 どうやらマリアンヌは『烈風』の正体を知っているようだが、アンリエッタには教えたくないらしい。リシャールも僅かに頷き返した。
「おほん。
 ……ともかくも眼鏡とエスコートの件、お願いしますわね」
「はい、姫殿下」
 もとより断れる相手ではない。
 それに、どちらも今日中には済ませられる内容とあって、リシャールは幾分緊張を解いた。

 小部屋を借りて眼鏡の部品を作りながら、知り合いと夜会でばったり会ったときの言い訳などを考えていると、作業を終える頃には、既に夕闇も深くなっていた。
 後はアンリエッタの目の幅などに合わせて調整し、仕上げる必要があるのだが、これは先に話を通していたので問題ない。ぺたぺたと姫君のご尊顔を撫で回すわけにもいかないので、服飾を担当する侍女を借りる算段もつけてある。
 それにしても、予定のない日で幸いだった。リシャールと同じく、王家の方でも、アルビオン親善艦隊の到着延期がアンリエッタに休暇を与える余裕を持たせたのだろうか。
「セルフィーユ子爵様、姫殿下がお召しでございます」
「すぐに伺います」
 お忍び故にと渡された無紋のマントを身につけ、作ったばかりの部品をひとまとめにすると、侍女に先導されてアンリエッタの私室へと向かった。






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