ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第六十六話「東屋にて」




 しばらく待たされた後、リシャールはアンリエッタ姫らと挨拶を交わし、ルイズを預けるような形で押しつけた……とまで言うと語弊はあるが、一人になってこっそりと会場を抜け出した。

 歩きながら会場を見渡すが、クロードや祖父らは見つからなかった。本気で探せば見つかるかも知れないが、これだけ広い会場のこと、さぞ骨が折れる仕事になるだろう。一緒に来た義父らも移動したのか、既に先ほどの場所には居なかった。
 本当にこの会場は、たった二週間の為だけに造営されたのかと思えないほどの豪華さである。
 大夜会にも使われた会場は当然にわか作りなのだが、違和感なくダンスが踊れるほど平らに敷き詰められた床石の上に歩き心地の良い絨毯が敷かれており、更にはどこからか移設されたのか、平造りのテラスや散歩の出来る庭園まで備えていた。
 義父は戦が出来るほど国庫や王家に余裕はないと言っていたが、対外的な催し物ともなれば見栄を張らなければいけないのもまた事実だ。それにトリステインを含めた各国上層部同士の交流から得られる利益を考慮すれば、あまり非難めいた感想を抱くのもどうかと思える。
 リシャールは主会場から離れると、目に付いた警備中の衛士を捕まえて話しかけた。
「失礼、近くで休めそうな場所はありませんか?」
「は、あちらの裏手に休憩所がございます」
「ありがとう」
 皆が中休みをとるには、もちろん早すぎる時間だった。向かった先の誰もいない小さな休憩所で夜風にあたりながら、王城の庭が丸ごと引っ越してきたみたいだなと、夜景を楽しむ。大きな双月が照明となり、木々の影を浮かび上がらせていた。 
 リシャールは知らなかったが、この園遊会の会場、そして招待客の中でも特に注意を払うべき各国王侯の宿営地などは、土メイジの増援を受けた王軍の連隊を丸ごと一つ投入し、更には周辺のみならず各所から大勢がかき集められ、約半年をかけて建築されていた。他にも、必要な物資の輸送には徴用された商船だけでなく空海軍からフネが割かれて専従とされていたし、リシャールが知ればその費用対効果について考え込むほどの国力が投入されている。
 中でもラグドリアン湖に棲む水の精霊との交渉などは、ハルケギニアならではと言えるだろう。現代日本でも形骸化しつつあるとは言え、例えば建設作業などで地鎮祭を行うことが普通ではあるが、こちらでは精霊と相対して実際に交渉が行われる。機嫌を損ねようものなら実害が出るので、疎かには出来ない。精霊の相手が専門の外交官とも言うべき、盟約の交渉役などの役職が置かれているほどである。
「ふう……」
 少々行儀が悪いなと内省しつつ、誰もいないのを良いことにリシャールは長椅子に寝転がった。
 これでラグドリアン湖の夜景が見えれば良かったのだが、生憎、この東屋の周囲は木々に囲まれていたのだ。見えるのが影ばかり濃い樹木では、飽きがくるのも早い。
 居眠りはまずいなと思いながらもあくびが出そうになる。
 しかし、静かな中にも近づいてくる足音に気づいて、リシャールは身を起こした。
 相手も気づいたようで、足音が乱れるたのがリシャールにもわかった。
「む、先客か?」
「いえ、どうぞ。
 ……もしお邪魔なら、自分が退出いたしますよ?」
 現れたのは義父と同年輩の、浅黒い肌に立派な体格をした男性だった。薄明かりのおかげで僅か見える服装や装飾品から判断すると、ゲルマニアの、それもかなり上流の貴族のようである。見事な赤毛と相まって堂々としたものだ。
 立ち上がって礼をしようとするリシャールを手で制し、その男性貴族はリシャールの対面にどっかりと腰をかけた。
「それには及ばぬ。
 ……少し夜風にあたろうかと、な」
「はい、失礼をいたしました」
 一般的なトリステイン貴族とゲルマニア貴族ならば、嫌みや皮肉の応酬を挨拶とするところだろうか。それとも、それらをおくびにも出さず、にこやかな礼を互いに交わすのか。
 しかし、リシャールにはゲルマニア人だからと個人的に嫌うところもなければ、悪感情を刺激されるようなことはなかった。いつぞやヴィンドボナのギルドで出会った男爵は竜にかぶれた気のいい人物であったし、ゲルマニア交易で潤っていたアルトワが、当然ながらゲルマニア人への反発が少ない土地柄であったせいもある。
 黙っているのもおかしいか、会話の一つもした方がよいかとリシャールが少しだけ考えた時、ふむ、と目の前の貴族はリシャールに口を開いた。
「君は、踊らないのかね?」
「はい?」
「君ぐらいの年ならば、舞踏会で女性の気を引くことはかなり重要だと思うのだが?」
「ええっと……」
 見透かされるような視線。
 これはまた力のある目をした御仁だなと、リシャールは思った。
 貴族には、昼に会ったうちの幾人かのような、失礼ながら一見で暗愚と断じても異論の少なかろう者も多いが、逆に侮れない者も多い。貴族は割に両極端なのだ。他国の貴族はよく知らないが、トリステインに於いては概ね間違っていまいと、リシャールは見ていた。
 強大な権力を持つことによる慢心が心の柱となれば絵に描いたような馬鹿に育つし、逆に高貴な理想とやらを求めすぎてどこの騎士物語の主人公だと言いたくなるような者もいた。
 かと思えば義父や目の前の人物のように、本能的に付き従ってしまいそうになる強者の風格とも言うべき何かを、自然と持っている人々もいる。
 望んでそうなったわけではないが、場所と立場は違っても、前世で営業職について人を見る目が養われた経験は、こういった部分で役立っていた。もっとも、マザリーニや義父らを正面から丸め込めるほどの自信はないリシャールである。目の前の、見知らぬゲルマニア貴族にそれが通じるかはわからない。
 それでも少しだけ背筋を伸ばし、はぐらかすようなことでもないかと、素直に答えることにした。
「実は、妻が身重でこの園遊会に伴えなかったのです。
 かと言って、新妻に不義理をするのもどうかと思いまして……。
 それに、舞踏会に参加するのは初めてなのですが、叶うなら一番最初に踊る相手は妻でありたい、とも」
「その年でもう結婚しているのか!?
 うちの娘達と同じぐらいか、それよりも下に見えるが?」
「今年、十四になりました」
 未だ成長期で順当に背も伸びているが、中肉中背よりはやや痩せた体つきのリシャールである。母似の女顔とも相まって、気の弱そうな子供に見えることは自覚していた。
「十四か、ふむ……む、うむ……?」
「どうかなさいましたか?」
 顎に手を当てた男性貴族は、遠慮なく上から下までリシャールを見回してから、再び口を開いた。
「いや、その年にしては年輩の者に気後れもせず、礼は守っておるが緊張もなく、自然体だ。
 それにゲルマニア人である私に対し、何か含むような視線も感じないのでな。
 普通はもう少し、嫌な顔をするなり睨み付けるなりするものだぞ?」
 彼はにやりと笑い、問うてきた。腹の探り合いをするのは勘弁して欲しいところである。こちらには、喧嘩をする気などないのだ。
「トリステイン中の人々全てが、ゲルマニアを嫌っているわけでは……。
 個人的に申し上げれば、ゲルマニアに助けて貰っている部分も多いですよ」
「ほう、例えば?」
「そうですね、例えば……うちの領地では、石炭はゲルマニアに頼りきりになっています。
 もちろん、ガリアからでも輸入は出来ますが、うちの場合、遠回りになる船賃を考えますと、とてもそちらから手に入れようという気にはなりません。
 これだけでも十分にありがたいことです」
 トリステインの北東部にあるセルフィーユでは、よほどこちらに有利な条件の取引でもない限り、考慮には値しなかった。もしくは、考えられるとすればゲルマニアから石炭が入ってこない状態、つまりは戦時などの特別な場合になる。
「石炭か、確かに鉄と並んで我が国の主要な輸出品の一つであるな。
 ……ふむ、鉄の方は買ってくれないのか?
 決して他国を見下すわけではないが、我が国の鉄産業はハルケギニア一を自負しておるし、それは紛れもない事実。
 下手に自国産のものにこだわるよりは、良い取引になるぞ?」
 目の前の御仁は、先ほどよりも愉快そうな顔つきになっている。
 さて、どう答えたものか。
 機嫌を損ねたりするような返答はもってのほかだが、ぺらぺらとセルフィーユの事を喋りすぎるのもどうかと思える。
「領内には、小さいながらも鉄の鉱山がありますもので……。
 もちろん、大量に必要な場合は、ゲルマニアから輸入することになると思います」
 嘘ではない、と思う。
 シュレベールの鉱山だけで賄えないほど大量に鉄が必要になることはまずないだろうが、本当に必要であれば、ゲルマニアから鉄を買うことに躊躇いはない。実際、製鉄所が動き始める前は、鉄材を輸入して鍬や包丁を作らせていたのだ。
「ほう、そのように大量の鉄が必要になることがあるのか、君の領地は?」
「あー、えーっと……」
 リシャールは大砲の製造を手がけようとしていることを話すべきか、一瞬躊躇した。
 しかし間髪入れず、更なる追い打ちがかけられる。
「言いたくなければ構わないぞ、セルフィーユ男爵……いや、今は子爵であったか?」
「!!」
 赤毛のゲルマニア貴族は、再び面白そうな顔をリシャールに向けた。

「何故、と顔に書いてあるな」
「は、はあ……」
 ある貴族が他国の貴族に興味を持った場合、本人の素行から実家の名前、果ては雇い入れているメイドの数まで、調べようとすればそう難しいことではない。だがそれは娘の嫁ぐ先であったり、取引や交渉の相手など、何らかの調べたい事由があってのこと、リシャールはそれらには該当しないはずであった。リュドヴィックに騙されかけたことを少し思い出したが、謀略に絡むようなことなら考えるだけ無駄かも知れない。
「簡単なことだ。
 まず君ぐらいの歳でだな、公子ではなく領主のマントを身につけている者はかなり限られる。
 その上で妻が身重なトリステインの諸侯など、そういるものではない。
 更にゲルマニアから石炭を、それも船を使って運ぶほどの量を個人で輸入しているとなれば、それこそ君ぐらいしか思いつかない」
「……」
 その程度には掴まれているようだが、リシャールの知りたいのはその理由であった。もう少し、話を引き出すべきである。
 しかし、大して長くもない会話から自分のことをぴたりと類推されては、落ち着けようはずもない。
 ただ、目の前の男にも、リシャールに対して含むところはないらしい。先ほどよりも更に面白そうな、してやったりという笑顔をこちらに向けているが、不思議と悔しさは感じなかった。格が違いすぎる、いや、呑まれてしまったと言うべきか。
「あ、いえ、感服いたしました。
 ご挨拶が後になりましたが、リシャール・ド・セルフィーユと申します、ゲルマニアのお客様」
 リシャールは立ち上がって一礼した。
「うむ、ヘクトール・アウグストス・フォン・アンハルツ・ツェルプストー だ、セルフィーユ子爵」
 ツェルプストー辺境伯!
 いろんな意味で驚かされた。ラ・ヴァリエールとの確執はさんざん聞かされていたが、なるほど、あの義父らと正面切って喧嘩できそうな人物だと、素直に納得できる。
 ただ、少し首を傾げる部分もあった。
 義父らの口振りから想像していた『粗野で乱雑な人物』とはかけ離れているし、ラ・ヴァリエールの縁戚と知っていながら、敵意を向けられる様子もないのだ。歯牙にもかけられていないと言うだけならいいのだが、どうにも判断がつきかねた。
 だが、これは好機でもある。作っている街道の内の一本は、ツェルプストーへと向かっているのだ。黙認でもいい、協力とまで行かなくとも承諾が得られれば、商人達を焚き付けやすくなる。
 ともかく、沈黙はまずいかとリシャールは口を開いた。自分のことに詳しい理由も知りたい。ラ・ヴァリエールの縁戚というだけではないだろう。
 遠回しな会話は話を面倒にするかと、リシャールはずばり聞いてみた。実利に重きを置くゲルマニアの気風に倣ったのだ。
「それにしても、よくご存じでいらっしゃるのですね」
「君のところに最近工作機械が納入されたと思うが、そのうちの一つに我が家の息のかかった商会が関わっていたのだ。
 国外から武器の製造に関わる機械の注文を受けたとあれば、当然私の耳にも入ることになるが、ふふ、それがラ・ヴァリエールの娘婿とあれば、尚更だな」
「それは……あー、お世話になりました、ありがとうございます」
 確かにフロランらには、機械の注文について偽装の指示などは出していなかった。後ろ暗いところがなかったので、その様な部分にまでは頭を巡らせていなかったが、少しは気を配るべきだったのだろうか。
 だが逆に、そのような小細工をしなかったからこそ、妙な疑いを持たれることなくやり過ごせた可能性もある。
「うむ、我が国自慢の工作機械だからな、大事に使ってくれたまえ。
 ところで……」
「お父様!」
 リシャールが振り向くと、胸の大きくあいた黒いドレスを着た少女が、ゆっくりとこちらへと向かって来るのが見えた。目の前のツェルプストー辺境伯と同じような、少し巻いた赤毛をしている。
「またどこかの青い鳥でもお探しになられているのかと、お母様がお怒りでしたわよ……って、あら?」
 そこではじめて、同席しているリシャールに気が付いたらしい。父と自分ほどの歳の少年という組み合わせに、彼女は不思議そうな顔をしていた。
 間違いないだろうとは思いながらも、一応確認する。
「お嬢様、でいらっしゃいますか?」
「ああ、そうだ。
 ……キュルケ、こちらに来なさい。
 トリステイン北東部の『大』領主、セルフィーユ子爵殿だ」
 確かにトリステイン北東部という狭い地域に限れば、人口も増えた現在ではそう言えなくもないが、実体はアルトワにさえ遙かに届かない田舎町だ。ラ・ヴァリエールと並び立って見劣りしないほどの領地を持つ相手に、『大』領主などと持ち上げられる方はたまったものではなかった。人の調子を崩すのに長けた人だなあと、埒もない感想を抱く。
「あら……。お初にお目にかかります、子爵様。
 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーに御座います」
 キュルケは一通り遠慮のない視線をリシャールに向けてから、スカートの裾を少しだけつまんで挨拶をして見せた。リシャールもそれに合わせ、胸に手を置いて一礼する。
「リシャール・ド・セルフィーユと申します、キュルケ様」
 頭を上げたキュルケ嬢は、リシャールを僅かに見下ろしてにっこりと微笑んだ。ヒ−ルのせいだけではあるまい、彼女はリシャールよりも若干背が高かった。
「キュルケで結構ですわ、子爵様。
 お噂はかねがね。
 何でも私よりも年下なのに、まともな采配をふるって領地を切り盛りしている領主様であられるとか。
 国境を挟んでそう遠くない場所にそのような方がいらしたと聞いて、一度お会いしてみたいと思っていましたのよ」
 面白そうな表情をすると、傍らの父親そっくりだ。
 それにしても本当によく調べてあるようで、恥ずかしいかぎりである。
 もっとも、領地と商会を合算したセルフィーユ家の本当の収支などは、人や物の出入りから推測は出来ても、王政府に上納した税額以上のことはわかるまい。……最近はリシャール本人でも、マルグリットやフロランらに確認を取らないことには、正確な数字は出せなかった。
「では、私のこともリシャール、と。
 家臣達がよくやってくれているもので、私はお飾りですよ」
「あら、ご自身で切り盛りされている方に限って、みなさんそう仰いますわよ?」
「……そんなものですか?」
「ええ、そんなものですわ」
 色っぽいウインクを一つ貰ったリシャールは、やれやれと肩をすくめてみせた。

 結局、ツェルプストー父娘との会話はその後もしばらく続いた。
 どうも言葉遊びの好きな二人であるようで、リシャールは言葉尻を取られては軽い冗句を返され、或いは言い負かされる。これが義父らなら怒り心頭にもなるかと、内心で苦笑せざるを得ない。
 そう言えば、昔は客や担当によくからかわれたなと思い出したりもした。リシャールはある意味、遊ばれ慣れているのだ。相手に試されていると言い換えることも出来るが、そのことを知っていればむやみと怒りにつながるものではない。
 ましてや相手は、正式に招待された隣国からの客人であった。義父からの課題とは重ならずとも、『トリステインは他国との戦争を望まず、他国同士の戦争も望まず』と聞かされてもいる。気分的には、潜在的なライバルである同業他社の重役とそのご令嬢を接待しているに等しい。
「それにしても、お二方ともに博識でいらっしゃるのですね」
「あら、それについてくる貴方も相当なものよ?
 ……と、お父様、私、お父様をお呼びしに来ましたのよ」
 あっと口に手を当てて、キュルケは父親の袖を引いた。
「そうだったな。
 子爵が思いの外、聞き上手話し上手であったので忘れておった」
「そうですわね、お父様。
 リシャール、またお話しさせてもらってもよろしい?」
「ええ、もちろん」
「楽しみにしていますわね」
「また会おうぞ、セルフィーユ子爵」
「はい、ツェルプストー辺境伯様」
 園遊会はまだ十日以上残されているのだ。義父らの手前、途中離脱が難しいリシャールである。普通に過ごしていれば出会う機会は少なくないはずだった。

 何か楽しげに話をしながら会場へと戻っていく父娘を見送り、ようやく肩の力を抜く。
 それにしても、幸運だった。
 ツェルプストー辺境伯は物事がわかっている人物だったからよかったようなものの、これが単にラ・ヴァリエール憎しで凝り固まったような人物であったとしたら、今頃は問題になっていた可能性が高かった。
 向こうは向こうで、ゲルマニアの皇帝閣下から問題を起こすなよと釘を刺されているのかも知れないが、そこまではわからない。結果を以て良しとするしかなかった。
 街道の話こそ出来なかったが、ツェルプストー辺境伯と面識を持てたことは今後の為にもなるはずだ。義父からはまたお小言の一つや二つ貰うかもしれないが、今更である。ツェルプストーまでの街道を整備すると知られた時に散々絞られもしたが、その延長だと受け止めるしかないだろう。
「ほんと、やれやれだ……」
 明日は虚無の曜日だが、アルビオン王家の到着と大晩餐会が予定されている。
 またもや忙しくなりそうだが、これも予定の内だ。
 リシャールはうーんと体を伸ばし、休憩にならなかったなあと、東屋を後ろに会場へと戻っていった。






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