ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
挿話その九「夏休み前」




 クロード・モリス・ド・アルトワはトリステイン魔法学院の一年生となってひと月と半分あまり、寮生活を楽しみながらのんびりと過ごしていた。
 その短い期間で親しい友人もたくさん出来たが、特に仲がよい同級生は冷静沈着で真面目なレイナール・アロワ・ド・ノアイユで、他にも土のメイジでお調子者のギーシュ・ド・グラモンや大食漢のマリコルヌ・ド・グランドプレら悪友と共に、勉学に遊びにと思うがまま青春を謳歌している。残念なことに虚無の曜日が巡ってきてもデートに誘う相手がいなかったり、羽目を外しすぎて軽い罰当番を命じられたこともあるが、それは彼にとって些細なことだった。
 今日もクロードは授業後に、レイナールとテラスの隅っこで他愛のない話に興じていた。中央のいい席は上級生が独占するので、必然的に下級生は日当たりも景色もよくない場所となる。ちなみにギーシュとマリコルヌは時間中に課題が解けなかったため、居残り授業を受けていてここにはいない。
「レイナールも座学は成績いいよね」
「実技は少し苦手だけどね、クロードと同じく」
 クロードもドットの中ぐらいかと自分では思うが、ギーシュとマリコルヌは、実技に関しては自分たちよりも確実に上位に位置している。レイナールも努力家な方で、クロードも時には彼らから魔法技の手ほどきを受けたり、またはレイナールと二人して座学の苦手なギーシュたちに暗記問題を詰め込んだりと、それぞれに補う関係が出来上がっていた。
「あら、あなたたちもお茶?」
「やあ、ルイズ、ミス・モンモランシ」
「どうぞ、席は空いてるよ。
 居残り組がいつまでたっても帰ってこないんだ……」
「じゃあ、おじゃましようかしら、ミスタ・アルトワ、ミスタ・ノアイユ」
 摘むことは出来なくても花は花、野郎二人で野郎を待つという、むさ苦しい虚しさを噛みしめるよりはずっといい。素早く目を交わしたクロードとレイナールは、ギーシュとマリコルヌのための席を彼女たちに譲った。

 やってきた二人は、クロードには今のところ学内で唯一名前を呼べる女生徒だが間違っても恋人候補ではないルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと、親しい友人ギーシュの友達以上恋人未満であるモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。二人とも多少の縁があって、入学前からの知り合いである。
「そうだルイズ、聞きたいことがあったんだ」
「なにかしら?」
「昨日リシャールから手紙が届いたんだけど、ルイズにも届いてるかな?」
 ルイズにも思い当たる節があったのか、彼女はぱんと手を叩いて笑顔を見せた。
「リシャールからは来てないけれど、代わりにちいねえさまからお手紙をいただいたわ。
 同じ内容だと思うけれど……夏休みが楽しみね!」
「うん、マリーも大きくなってるだろうなあ」
 当然、レイナールとモンモランシーは不思議そうな顔をした。二人が以前からの知り合いでお互いを名前で呼び合っていることは知っていたが、それほど仲がいいとは知らなかったのだ。
「ルイズ、クロード、あなたたちって、家同士の仲が良かったの?」
「さあ、最近は仲がいいのかしら?
 あ、そういえば去年は何度か、クロードのお父様がうちにいらしたわよね?
 年始の祝賀会でもずっとお話をされてたし……」
「うん、父上は僕には話してくれないけど、ルイズのお父上と一緒に何かやってるのかもしれない。
 しばらく前に川伝いで領地同士を結ぶ航路も通ったから、そっちの話かな?
 祝賀会の時はギーヴァルシュの領主様やリシャールも混じってたし、大きな話になってるのかもね。
 ……ああごめん、二人とも。
 端折ってしまうと、僕の幼なじみがね、ルイズのお姉さんと結婚したんだ」
「もう、なんというか、いつ見ても呆れるほど仲がいい夫婦なのよ……」
 ルイズの口からはははという空しい笑いが漏れ、テーブルの上にこぼされた。彼女にとっては大好きな姉と自分にも優しいその夫だが、あの仲の良さだけには閉口する。
「それでさ、来月ニューイの月から僕たちは夏休みじゃないか。
 友達連れて遊びにおいでって、手紙をくれたんだ。
 二、三日は余計に寮で過ごすことになるけど、学院までフリゲート艦が迎えに来てくれるみたい」
「友達の迎えに馬車を差し回すならわかるけど、軍艦って……。
 流石はラ・ヴァリエール家の縁戚ね、羨ましい限りだわ」
 領地の干拓が失敗した上に、ラグドリアン湖の水の精霊との交渉役も解かれ、実家が左前なモンモランシーは肩をすくめた。聞いていたレイナールも、多少引き気味の表情をしている。彼の実家もそこそこの名家だが、流石にフネを私有して友達の送迎に出せるほど裕福な家ではなかった。
「たぶん、帰りもそれぞれのうちまで送ってくれるはずだから、よかったらレイナールとミス・モンモランシも来ないかい?
 ミス・モンモランシを誘えばギーシュも勝手についてくるだろうし……」
「クロード、マリコルヌも誘ってやってくれ。
 一人置いてけぼりじゃ、みんな揃って恨まれる」
「誘いたいけど、居残り授業からまだ帰ってないんだから誘いようがないよ。
 今日は四人集まったら、その話をしようと思ってたんだ」
「そうだった……。
 それで、場所は何処なんだい?」
「トリステインの北の端っこ、セルフィーユだよ。
 彼はそこの領主なんだ」
「セルフィーユだって!?」
「えっ!?」
 レイナールが驚きの声を上げたので、クロードの方もつられて驚いた。モンモランシーは、ああ、セルフィーユねと頷いている。ルイズには今更過ぎた。
「あれ!?
 レイナールってリシャールと知り合いだったのかい?」
「セルフィーユ伯爵にお会いしたことはないけど、あれだけの有名人だ、名前ぐらいは知ってるさ。
 むしろだね、クロードが気楽に名前を呼ぶことの方が驚きだよ」
 クロードは少し首を傾げたが、そう言えば年始の祝賀会でも、アンリエッタ姫とマリアンヌ王后陛下がいつの間にかセルフィーユ家の控え室にいらしていて慌てたなと頷く。
「宮中に勤めるぼくの叔父君の話によれば、セルフィーユ伯爵は今年中にも宰相になるそうだよ。
 王宮でも評判なんだ、会える機会があるなら是非会いたいね」
「リシャールって、そんなに有名人だったのかな……?
 ルイズはどう思う?」
「ちょっと信じられないけど……。
 でも今年に入ってから、お父様が王都に行くことは増えてたわね」
「そういえば、うちの父上もあちこち飛び回ってたよ。
 ……ほんとなのかなあ」
 でも、あのリシャールが宰相なんか引き受けるかなと、クロードとルイズは顔を見合わせた。宰相は、たぶん領主よりも忙しい。家族と過ごすことを何よりも大事にしている彼が、わざわざそんな仕事を引き受けるとは思えなかった。
 内容はよくわからないながら真面目そうな話を彼らの父達と交わしていることもあるが、二人にとって最近のリシャールと言えば、カトレアの横にぴたりとくっついて目尻を下げ、マリーの一挙一動に一喜一憂しているのが一番しっくりくる。
「わたしは一度お会いしてるわ。
 王都の別邸に来ていただいたのよ」
「ああ、僕も一緒だった時だね」
 口外無用と念押しされているが、去年クロードは眼鏡を作りに行くというリシャールに誘われて、モンモランシ家の別邸を訪ねたことがあった。学院に行けば、同級生か、そうでなくとも先輩後輩として顔をあわせるかも知れない相手と、連れて行かれたのである。
「行けそうなら僕かルイズに伝えてくれればいいよ。
 そうそう、行方不明は困るから、親御さんの許可は取って欲しいって書いてあったっけ。
 場所はセルフィーユ、送迎は向こうの差し回し、期間は一週間から二週間ぐらいの予定。……このぐらいのつもりでいいかな?」
「あら、面白そうな話をしてるじゃないの?」
「ツェルプストー!」
 しゃらりしゃらりとやってきた赤毛の女生徒に、ルイズはがるるるると毛を逆立てた猫のように威嚇した。領地も隣で寮の部屋も隣。……だが、とかく二人は犬猿の仲である。クロードらも、これはお家事情もあるからと半ば諦めていた。その後ろでは大きな杖と本を持った小柄な青髪の女生徒が、不思議そうにこの集まりを眺めている。

 新たにやってきた二人は、赤毛の女生徒がゲルマニアからの留学生キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー、青髪の女生徒が謎多きミス・タバサだ。数多くの恋人を持ち何事にも陽気なキュルケに、必要なことでも喋らないとさえ言われるほど物静かなタバサと、正反対の二人であった。少し前、彼女たちは決闘騒ぎを起こすほど仲が悪かったはずだが、最近はまるで姉妹のようだと囁かれるほどに行動を共にしている。
「あんたには関係ないでしょ!」
「あら、そうかしら?」
 キュルケはにやりと笑って、胸元から一通の手紙を取り出した。ルイズの眼前でひらひらとさせる。
 ルイズは手紙の宛名と署名を見て、一瞬目が点になってから勢いよく爆発した。
「ちょ、ちょっとツェルプストー!
 な、なな、なんで、ちいねえさまがあんたに手紙を出したりするのよ!?」
「さーて、どうしてかしらねえ?」
 キュルケは入学以来ちょっとした悪戯を企んで、長いこと温めていた。
 これまでずっと、彼女の姉カトレアと仲がよいこともセルフィーユに滞在していたことも、この瞬間のためだけにルイズには伏せたままであった。カトレアにはルイズ宛の手紙に自分の事を書かぬよう頼み、幾度も念押ししていたぐらいである。数え切れないほどやりあった口喧嘩の最中でも、待てば待つだけ楽しい顔が見られるからと、これだけは内緒にしておいたのだ。
「ルイズ、最初あなたを学園で見つけたとき、吹き出しそうになるの我慢しようとして凄く苦しかったんだから。
 だってあなた、ほんとにマリーそっくりなんですもの」
「な……ち、違うわよ!
 わたしとちいねえさまがそっくりで、ちいねえさまとマリーがそっくりなんでしょ!」
「同じことじゃないの。
 ルイズ『おばさま』?」
「あ、あんたねえ……」
 真っ赤な顔で荒れ狂うルイズと、いなすようにからかい続けるキュルケに、また始まったかとクロードは肩をすくめ、タバサに向き直った。彼女は普段から無表情で静謐だ。クロードも話したことはないが、肝心のキュルケやルイズがあの様子では、本人に直接聞くしかない。
「えーっと、あっちは長くなりそうだなあ。
 ミス・タバサ、あの調子だとミス・ツェルプストーも来るだろうし、君も参加の予定でいいかな?」
「……行ってもいいの?」
「うん、それは大丈夫。
 ただまあ、随分騒がしくなるとは思うけど……」
 こくりと頷く彼女の向こうに、居残りを終えて疲労困憊といった体のギーシュとマリコルヌを見つけ、クロードは大きく手を振った。

「やあ、やっと終わったよ」
「ミスタ・ギトーの授業は四角四面だからなあ」
 クロードが杖でちょいちょいと隣のテーブルから椅子を寄せ、タバサの席と共に二人の席も『ついでに』作ってやる。
 遅れてきた二人はギーシュ・ド・グラモンとマリコルヌ・ド・グランドプレ、クロードの悪友たちだ。
「おお、僕のモンモランシー、君も待っていてくれたのかい?」
「誰が『僕の』ですって!?」
「ところでレイナール、あの二人はなぜ、椅子を挟んで同じ姿勢でにらみ合ってるんだ?」
「さっきまではちょっと派手だったけど、いつものあれだよ」
「ああ、あれか。あれね。
 うん、あれはいいものだ……」
「マリコルヌ、ぼくは時々君のことが分からなくなるよ……」
 クロードは、やれやれと更に賑やかさが増したテーブルを見回し、遅れてきた二人にもセルフィーユ行きの話を振ってみた。
「うん、みんなで旅行はいいね」
「マリコルヌ、セルフィーユは魚料理が美味しいから、沢山食べさせて貰うといいよ。
 ギーシュはどうだい?」
「他ならぬモンモランシーが行くんだろう? なら、僕も行くに決まってるじゃないか。
 それにセルフィーユ子爵……じゃなくて伯爵なら、僕も一度、お会いしたことがある。
 うちの二番目の兄上と親しくてね、そしてものすごい美人の奥方がいらっしゃるんだ」
「それって、ルイズのお姉さんのこと?」
「その通りだよ、僕のモンモランシー。
 セルフィーユ伯爵夫人カトレアさまは、とても穏やかで、美しい女性なんだ。
 そう、僕たちグラモン家の兄弟四人が、その美しさに圧倒されてしまうほどだった!
 言うなれば、ルイズに足りない優しさと包容力、そしてぜんぜん足りてない胸を補って……ぶへっ!? うごっ!?」
 ギーシュは想いの全てを口にすることが出来ず、正面からモンモランシーの平手を食らって仰け反った直後に、ようやく喧嘩が収まって席に戻ろうとしたルイズから回し蹴りを受け、テラスの端っこまで転がっていった。
「ギーシュの浮気者!」
「ぜんぜん足りてないって何よ!」
 これさえなければギーシュはもっと女の子からもてるだろうにと、彼の悪友三人は揃ってため息をついた。
 ……もちろん、多少でも色気のある話に於ける彼らの立ち位置は、ギーシュの遥か後方である。


 その夜タバサは、数日前に届いた手紙を再び眺めていた。窓の外には双月が顔を覗かせている。
 普段ならば手慰みに本でも読みながら寝るまでを過ごす彼女だが、その様な気分にもなれず、気を付けずとも一度で記憶出来るほど短い内容をじっと眺めて考えていた。
 縁もゆかりもなければ単に旅行者と偽って現地に向かい、淡々と任務をこなしていただろう。
 だがそこは親友キュルケが入学までのしばらく滞在していた土地で、領主一家からは家族同然に扱われていたという。
「偶然……?」
 双月も手紙も答えてくれないが、それはいつものようにガリアの王都リュティスから届いたもので、彼女のもう一つの名であり身分でもある、ガリア王国北花壇警護騎士団所属『七号』宛の指令書であった。
 この命令を無視することは、彼女の母の安全と命に関わる。タバサは国から与えられた任務を忠実にこなすことで、自分と母の命を少しづつ接いできたのだ。裏切りも失敗も、直属の上司である従姉姫は許さないだろう。

 ……タバサは数年前まで、押しも押されもせぬガリアの王弟シャルル・オルレアンの息女シャルロット・エレーヌ・オルレアンとして、優しい両親と共に愛情に満ちた日々を送っていた。時には、父とチェスを指すのが大好きでいつも陽気な伯父や、彼女を『小さなシャルロット』と呼んで可愛がってくれる従姉が、家族の団らんに混じることもあった。
 だが、その幸せは突然失われた。
 気が付けば、父シャルルは暗殺され、彼女の代わりに毒を呷った母クリスティーヌは狂い、屋敷の家紋には不名誉印がつけられていた。彼女はわけのわからぬうちに、何もかもを奪われようとしていた。
 ただ、彼女が生きていくこと、母を生きながらえさせることだけは許されている。
……あの日までは優しい従姉、あの日からは憎むべき仇の娘にして上役となったイザベラによれば、母の最後の懇願が伯父王ジョゼフに聞き届けられたのだという。
 ついに名前さえ奪われた彼女は、かつては妹のように可愛がっていた人形、今は狂わされた母が『愛しいシャルロット』として抱くその人形の名を、自分に与えた。
 キメラドラゴン退治に始まった過酷な日々は、母の命を盾に取った従姉姫に命ぜられるまま、未だ続いている。
 生きて生きて生き抜いて、父の敵を討ち、母の心を取り戻すまで、彼女は戦いを続けることを自らに課したのだ。

 タバサはもう一度、手紙に目をやった。

『学院の夏休みを利用してトリステイン王国セルフィーユ領に赴き、その詳細と動向を調査せよ』

 誰の命を奪うでもなく、現地の状況を報告するだけの、命の危険さえなさそうな任務。
「……」
 だが彼女は、憂鬱な気分で双つの月を見上げた。




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