ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第二十一話「マルトーと壷」




 オスマンとは幾つかの質問と応答を互いに重ね、再訪を約束して学院長室を辞したリシャールは、会わずに帰るのももったいないなと、わざわざ呼んで貰ったシエスタに学院を案内されていた。
「驚きましたよ、リシャールさん。
 あ、ジュリアンは元気ですか? みんなに迷惑かけたりしてないでしょうか?」
「大丈夫だと思うよ。
 今頃なら……机に向かってる時間かな」
「お勉強、ですか?」
「うん。
 仕事ついでに様子を見に行った時にこっそり覗いてみたけど、頑張ってたよ」
 ジュリアンは見習いの水兵になる前に、基本的な読み書きと計算、簡単な地理歴史、礼儀作法のほんの一部、神学のさわりなどを教える聖堂付属の学舎で学んでいると告げると、シエスタは随分驚いた顔をリシャールに向けた。
「あの子、そういうの嫌がってばっかりだったのに……リシャールさん、どんな手を使ったんですか?」
「……手紙を出して家族を安心させるようには言ったけど、別に何もしてない……はずだよなあ」
 後半は独り言になったが、士官になるには文字の読み書きが必須だとか、入隊してからは訓練漬けだろうから後で覚えるのは大変だと口にしただけである。特に強く言った覚えはない。
「もしかすると、リシャールさんに言われたから……かもしれませんね」
「うん?」
「上に兄でもいれば、また違ったんでしょうけど」
「……ああ、そういうことか」
 少年期、両親に『宿題をしなさい』と言われれば、反発するのが世の子供である。姉は異性、別の抵抗心が働くだろう。しかし、同性で歳の近しい目上の言うことは、割に素直に聞くものである。
 当のジュリアンにしてみれば『それどころじゃなかったんだよ、姉ちゃん!』と言いたいだろうが、それはともかく。
「でも、彼にはほんとに頑張って欲しいなあ。
 将来は、うちの領空海軍を支えて貰わなきゃならないし……」
「大丈夫でしょうか……。
 あ、ここからなら本塔がよく見えるんですよ。
 一番上がさっきリシャールさんがいた学院長室、その下が宝物庫で、図書館とか食堂とかホールとか、大きい講義室もあります。
 わたしは給仕の為に食堂に行くぐらいで、本塔の上の階はお呼び出しがあったときにお伺いするぐらいです。
 学院長室だって、中に入ったのは今日が初めてでしたもん」
 何とか言う名前の広場に出て振り返ると、五層か六層になっている本塔が余すところ無く視界に入った。リシャールから見ても随分背が高い。王宮の一部を切り取って、野原にでんと建ててみたような印象さえ受ける。
「はは、僕も初めてだったよ。
 うちの『でっかい妹』が春から通う予定でね、今日は事務手続きを聞くだけのつもりだったんだ。
 そうだ、学院の仕事は忙しい?」
「家にいた頃の三倍ぐらいは忙しいですよ。
 生徒さんは全部で三百人ぐらい居ますし、教師の方々も含めてみんな貴族様ですもの……って、あ、ごめんなさい」
「まあ、気持ちはわからないこともないかな……」
 最近は良き繋がりも増えたし、自分も貴族の端くれとして『貴族様』とやらの肩を持つべきではある……とは思うが、ろくでもない相手が多いのもまた事実だ。最近はリシャールも望まぬつき合いが増えそうで苦労しているが、どちらの為にも、この話題には黙して多くを語らない方がいいだろう。
「そうだ、お茶を一杯貰えるかな?
 朝からそんな暇なくてね」
「あの、賄いで良ければ軽いものも出せますけど……」
 学院長室で過ごす間に、午後も少し遅い時間となっていた。小腹も空いているし、移動の途上でどこかの街に降りるのも面倒かと、シエスタの申し出を受けることにする。
「じゃあ、そっちでお願いしようかな。
 ああ、食堂じゃなくていいからね。
 ……僕も『お嬢様』の手続きに来た従者の振りをするから。
 あまり騒がれると困るし、前みたいに頼むよ」
「はい、リシャールさん」
 いつぞやタルブを訪問したときと同じ、お忍びというわけである。事務室での騒ぎの再現は勘弁だったが、今度は協力者もいるので大丈夫だろう。

 リシャールは本塔の食堂裏手、渡り棟で繋がっている厨房の更に裏側へと案内された。
「きゅいー」
「アーシャ!」
 ここはさっきアーシャを降ろしたの広場の裏側になるから、リシャールの姿が見えたのでやってきたのだろう。
「アーシャさん、お久しぶりですね」
「きゅ」
 だが、リシャールは大事なことに気が付いた。
 自分だけが昼食を食べては、彼女の機嫌に関わる。
「シエスタ、悪いけどアーシャの分の食事も用意して貰うことは出来ないかな?
 代金はもちろんこちら持ちで」
「あ、大丈夫だと思いますよ。
 竜じゃないですけど、おっきい使い魔さんはたくさんいますから」
「きゅい!」
 何故か胸を張るアーシャに首を傾げながらも、リシャールはシエスタに礼を言ってアーシャともども厨房の客となった。

 早速アーシャの分には骨付きの牛肉などを用意してもらい、リシャールも厨房へと入った。
 中は控え室のようで、食材や調味料の入った瓶や壷が棚に並び、脇には木箱などが積まれている。小さなテーブルは仕事場の休憩所も兼ねているのだろう、先客として食事をしていた恰幅の良い中年男が目に入った。
「ただいま戻りました!」
「おう、シエスタ?」
「マルトーさん、こちらはうちの弟がお世話になっているリシャールさんです。
 ちょっと用事があって学院に立ち寄られたんですけど、お腹が空いてらっしゃるというのでご案内したんですよ。
 リシャールさん、マルトーさんは学院の料理長で、頼りになるみんなの親方さんなんです」
「こんにちは、マルトー殿。リシャールと申します。
 突然お邪魔してごめんなさい」
 従者らしく従者らしくと言い聞かせながら、リシャールは軽く一礼して見せた。数年前はそれが日常だったはずが、いざ演技するとなると微妙な気分になる。
 なんとなく胡散臭そうな目で見られながら、シエスタが勧めるままに席に着く。
「お嬢様が入学されるので、その手続きに来たんですよ」
「……ふん。まあ、いいけどよ」
 彼はリシャールの軍杖に目をやると、それきり黙り込んでしまった。
 職人肌のようだが、うちのコルネーユ料理長とはまた随分貫禄が違うなあと、マルトーを見る。流石に日々数百人の貴族の胃袋を満足させる厨房を預かるとなれば、この迫力にも納得が行きそうだ。
「リシャールさん、お待たせしました」
 シエスタは、シチューが盛られた二つの皿とパンの入ったカゴを器用に持って現れた。リシャールの前に一皿を置くと、自分も隣に座った。
「マルトーさん、みんなもう仕事に出てしまいました?」
「ああ、シエスタは学院長に呼ばれてたろ?
 さぼりってわけじゃねえから構うこたあない。お前が真面目に仕事するってのは、俺達みんな知ってるさ」
「あ、僕の案内か……。
 ごめんね」
「大丈夫ですよ、リシャールさん。それもお仕事の内ですから。
 それより、冷めるともったいないですよ。
 賄いですけど、いつもすごく美味しいんです」
「それもそうだ、早速戴くかな。
 ご馳走になります、マルトー殿」
「お、おう……」
 食前の祈りをシエスタとともに軽く済ませ、さっそく口に運ぶ。
 香りからも分かっていたが、随分と手間暇のかかった芳醇な味が舌を楽しませた。
「あ、美味しい」
「でしょう!」
「うん。
 ……細かいところまではわからないけど、シチューの味と具材の味が別々だから、わざわざ二度手間にして、後で合わせてあるのかな?
 後合わせは難しいのに……」
「坊主、それが分かるってこたあ……料理人なのか?」
 褒めたには褒めたが、その内容が踏み込みすぎていたのがちょっと拙かったかも知れない。従者の形で料理人の舌というのも胡散臭さが倍増しに映るのだろう、先ほどよりも目つき鋭く睨まれてしまった。
「あー、まあ、料理人……っぽい仕事もします。……たまに」
「リシャールさん……」
「シエスタ、怒られてるわけじゃないから大丈夫だって」
 喧嘩になるのかと不安そうなシエスタを宥め、さてどうしたものだろうと思案する。
「……おい坊主、さっきから気になってたが、シエスタと随分仲良さそうじゃねえか?
 俺はここじゃあシエスタ達の親代わりだからな、メイジだからって……」
「マルトーさん!
 リシャールさんには美人の奥さんとかわいいお子さんもいらっしゃるし、そういう関係じゃありませんって」
 リシャールよりも先にシエスタが反論し、マルトーもそれに応じた。
「二股ってこともあるだろうが!」
「しませんよ、リシャールさんは!」
「そんなもん分かるか!」
「だって、言い寄ってた『魅惑の妖精』亭の女の子達、残らず全部振った人ですよ!」
「あの妖精たちを振り切ったのか!?」
「そうです!」
 そんなことしてない!
 ……と心の底から訂正したい。
 惚気具合を女の子達にからかわれた覚えは沢山あるが、本気で言い寄られた記憶は全くなかった。
「それに、お付きのメイドさんに手を出したこともないし、奥さん一筋で娘のマリーちゃんにはめろめろなんですよ!」
「お付きのメイドさんだ?
 おいシエスタ、この坊主がほんとにお貴族様だってのかい!?」
「そうですよ!
 リシャールさんは伯爵様なのに、メイドさんに手を出さないんです!」
「そんなわけあるか!
 伯爵ってのはもっと歳食ってて、平民の美人と見りゃ杖振りかざして手込めにするのが相場ってもんだ!」
「でもほんとなんです!
 従妹から直に聞きましたもん!」
 そうか、マルトーはメイジや貴族が大嫌いで、大事なシエスタが貴族のリシャールを庇っているから喧嘩になったのか。貴族とは、魔法学院という切っても切れない接点がある分、余程鬱屈が溜まっているのかもしれない。まあ、彼女が大切にされているのは良いことで、その点はマルトーを応援したいところでもあるし……。
 随分騒がしいことになったなあと、リシャールはため息をついた。
 こういうことにならないようにと従者の振りをしていたのだが、これでは逆効果だった。お忍びも善し悪しである。
 それにしても、だ。
 セルフィーユに帰るのを遅らせてでも、『魅惑の妖精』亭に寄ってジエシカに一言文句を言っておこうかと、リシャールは自分そっちのけで口喧嘩をする二人に困った顔を向けた。

「リシャールさん、ごめんなさい……」
「あー、申し訳ありません、でした。
 ……シエスタにつく悪い虫じゃねえってのは、よくわかりやした」
「いや、まあ、誤解も解けたようですし……」
 しばらくして落ち着いた二人に頭を下げられ、リシャールも食事を再開した。騒ぎに気付いて幾度かのぞき見に来たらしい料理人やメイドは、二人の勢いに押されたのか扉を少し開いてはそっと閉じ、見なかった振りを選んだようだ。
「今は弟がお世話になってる人、っていうのは本当なんです。
 タルブの実家にお泊まりになられたこともありますし……」
「その時も、騒ぎにならないように今日と同じくお忍びでって、シエスタに頼んだんですよ」
 幾らか説明を付け加えて畳んだマントを見せると、本当に領地を持つ伯爵だとマルトーは理解したようで、態度は百八十度近く変わった。寂しい気もするが、仕方のない部分もある。シエスタもこの調子だし、今はお忍びで彼にも改まった言葉遣いは不用と告げたが、マルトーは頑として譲らなかった。
 少し空気を変えようかと、リシャールは室内を見回した。このまま帰るのは、シエスタにも悪いだろう。自分の播いた種でもある。他人の職場を引っかき回し、あげくにぎくしゃくとした雰囲気を残して帰るのは、全く以てリシャールの本意ではない。
「さっき、ちらっと料理人っぽい仕事もすると言いましたけど、ほんとにする事もあるんですよ」
 リシャールは、棚の中段にものすごく見覚えのある壷を見つけ、そちらに近づいた。
「この壷、僕が作ったんです。もちろん、中身も」
「そいつはイワシの……ほんとですかい?」
 中身に心当たりのあるらしいマルトーに、リシャールは頷いて見せた。
「ギーヴァルシュの、それも北モレーの海岸に仕事場を構えていた頃ですから……四年ぐらい前になるのかな?
 毎日毎日、油漬けを入れる壷を作っていたんです。
 仕事場を大きい海岸に移した頃、丁度壷仕事を引き受けてくれる工房が見つかったのでそちらに頼みましたけど、それまではずっと自分で作っていました」
「……落としても割れねえって気付いて、調べたら魔法も掛かってて。
 薄い作りな分だけ軽いし、今じゃ調味料を入れる壷に重宝してやす」
 何とも言えない困った様子で、それでもしっかりと答えたマルトーに、シエスタが乗ってくれる。
「へー、これ、リシャールさんが作ったんですか。
 それに、中身も?」
「うん。
 王都で一番最初に油漬けを持っていったのは、『魅惑の妖精』亭だよ。
 厨房の隅っこを借りてね、試食して貰ったらミ・マドモワゼルがこれならうちでも出せるって」
「珍しいですねえ。伯父さん、料理には厳しいんですよ。
 ジェシカもよく怒られてました」
「ジェシカの試作料理は、僕も時々味見させてもらってるよ。
 そうだ、材料があれば、僕の特製料理をシエスタにもご馳走してあげられるんだけど……」
「えっ!? ほんとうですか!」
 リシャールは、シエスタに片目を閉じて合図してから、少しだけ期待を込めてマルトーに視線を送った。
 シエスタも小さく頷いて、胸元で両手を組んでマルトーに近づいた。
「マルトーさん、確かまだイワシの油漬け……二種類ともありましたよね?」
「あ、ああ。
 あるにはあるが……」
 シエスタの上目遣いに根負けしたのか、はたまたリシャールの思惑に気付いたのか、仕方ねえ、不本意ながら乗せられてやろうという雰囲気で、マルトーは大きなため息をこれ見よがしに吐いてから重々しく頷いた。
 そうと決まれば話は早い。扉の向こうに早速移動する。
 さすが学院の厨房、広い上に機材も調っているし食材も豊富そうだと、リシャールは室内を見回した。まだ夕食の準備には早いのだろう、仕込みをする数人の姿は見えたが、本格的な動きはないようだった。
「料理はともかく、伯爵様、申し訳ねえですが……」
「マルトーさん、だめですよ!」
「しーっ!
 マルトー殿、坊主って呼ぶか、リシャールって呼び捨てにしないと、みんな緊張しますって」
「伯父さんなんて、ずーっと『ちゃん』付けでリシャールさんのこと呼んでるんですから、大丈夫ですよ」
「そうそう、がしって抱きつかれていつも気絶しそうになったり……」
 両側から押し込まれたマルトーはしばらく唸っていたが、がしがしと頭を掻いてから、がっくりと肩を落とした。
「……打ち首だけはなしでお願いしますぜ」
「……しませんって」
 吹っ切れたように笑顔を見せたマルトーは、リシャールの背をばしんと叩いた。
「よし、覚悟は決めた! どうにでもしやがれってんだ!
 『リシャール』、好きにやんな!」
「はい、『親方』!
 シエスタも手伝ってくれる?」
「もちろんです!」
 盛り上がる三人に、何事が起きたのかと厨房のコック達がこちらを見ていた。
「おう、こっちだ」
 マルトーは、ここを使えと焜炉や調理台のある一角へとリシャールらを連れていった後、棚を物色しはじめた。
「申し訳ねえんだが、今厨房にあるのはギーヴァルシュ産の油漬けじゃねえ。
 ちょっと待ってろ……っと、これだ」
 未開封のそれには、確かに『ギーヴァルシュ家の御印』はついていない。
「こいつは北の海はセルフィーユの産なんだが、ここだけの話、ギーヴァルシュ産の高い方に隠れて目立たねえが、味は保証する。
 何せ十数の油漬けを試した俺が言うんだ、間違いねえ」
 『ラ・クラルテ商会の商号』が入った封紙を指差して壷を自慢げに掲げるマルトーに、リシャールはくすくすと笑った。
「じゃあ、親方の目利きに恥ずかしくないように頑張らないと」
 リシャールは袖を捲り、シエスタとマルトーの協力の下、調理の準備を始めた。

 完成には小一時間もかからなかった。
 今は大盛りの皿を二つ、控え室に持ち込んであれこれと話をしている。
「たぶんね、こっちの油漬けの方は、親父さん達の方が今でも上手く使えてると思うんです。
 うちも数で勝負と色々試してますけどね」
「まあ、苦労はしたが……油漬け、葉物野菜、香草を重ねてそこに香辛料きつい目のソースをちょいと垂らしたのが、一番美味かったかな」
「薄く切ったパンに乗せても美味しいんですよ。
 漬け油で炒めた野菜と一緒にするのもいいかもしれません。あまり炒めすぎると魚臭くなるけど、さっと炒めるといい味……っと、これはうちの料理長の受け売りですが」
「なるほど、そっちも悪くなさそうだな」
 マルトーは頷きながら、フォークを動かしてあれこれ考えているようだ。
「リシャールさん、こっちの塩油漬けのソースは、私も初めて食べましたよ。
 こんなに味、変わるんですね……」
「おお、俺もこれにはちょいと驚いた。
 ソース代わりに肉の上に散らしたり、バターやチーズと一緒にパンに乗せたのは好評だったんでよく用意してるんだが、すりつぶしてニンニクや香辛料と炒めるのは思いつかなかったな……」
「あれ!?
 『魅惑の妖精』亭の厨房にも教えたんですけど……?」
「前に寄った時ゃあ、油漬けの方だけしか食べなかったんだ。
 ……失敗したなあ」
 シエスタは素直に感心しながら料理を口に運んでいたが、これでも色々試したんだがなあとマルトーは唸っていた。
「このソースは、アルビオンの王様と皇太子様にもお褒めの言葉を頂戴したんですよ。
 ……もちろん、我らがマリアンヌ様とアンリエッタ様にも」
「ええーっ!?」
「おいおい……」
「一昨年、ラグドリアンの園遊会で晩餐の支度を任されてですね……」
 しばらくむむむと難しい顔をしてから、マルトーはリシャールを睨んだ。
「リシャール」
「はい、親方?」
「……そんな大事な料理を、俺に教えてもよかったのか?」
「へ!?」
「いいか、料理人ってのは、自分の舌と腕に一生を賭けて仕事する。
 それを簡単に教えるのは、自分の価値を自分で下げるようなもんだ」
 その考え方もあるかと、リシャールは頷いた。
「……その意味では、僕は料理人ではないかも知れません。
 この料理……いいえ、これらの食材や工夫が世間に広まって、『俺ならこうするのに』『俺はこの味が一番』って色々新しい味が出来上がって、それが僕の口に届くようになればしめたもんだと思っています」
 考えてみれば、リシャールは料理人を目指しているわけではなかった。確かに、余暇を使って城の厨房へと入ることもしばしばだが、自分がこういうものを食べたいとか、ちょっと興味が湧いただとか、そう言った理由が大半を占める。
「まあ、うん、領主じゃ料理人になるわけにもいかねえか。
 それに、今聞いた考え方もいい考え方だと思ったが、やっぱり料理人の考え方じゃねえ。
 どっちかって言やあ、職人や商人の考え方だ」
「なるほど、そうですねえ」
 二人でひとしきり笑う。
 流石にもう、シエスタが居づらい気分で仕事をする心配はなくなっただろう。何とかなって良かったと、リシャールはこっそりと胸をなで下ろした。
「それじゃあ、俺もリシャールの期待に応えて、いっちょう俺なりの料理ってやつを頑張ってみるか。
 ……シエスタ!」
「はい、マルトーさん?」
「厨房の連中も呼んでやんな。
 ……この皿、三人じゃ食べきれねえだろ」
「はい!」
 リシャールが張り切ったせいもあり、最初から量も多かった。皿の上の料理は四半分も減っていない。
「じゃあ僕はそろそろ帰ります。
 皆さんの感想も聞いてみたかったけど……今からじゃ、城に着くのは夜になるかな」
「なんだ、遠いのか?」
「トリステインの東北の端っこですよ。
 ……セルフィーユって言う名前の領地なんです」
「ん、セルフィ……おいっ!?」
「親方が褒めてくれたんで、嬉しかったですよ!」
 してやられたと渋面を作るマルトーに、リシャールは笑顔を向けて、ごめん、親方と謝った。

 夜半に帰城した翌朝、リシャールは朝食後に少し時間を取って、家族と茶を楽しんでいた。
「昨日は随分遅かったのね、リシャール」
「一日伸びて、今日帰ってくるのかしらってキュルケと話してたのよ」
「あー、ごめん。
 夕方には帰れるつもりだったんだけどね、ちょっと魔法学院に寄ってたんだ」
「魔法学院?」
 リシャールは真っ正面から切り出した。回りくどい説明など、必要もない。
「キュルケがトリステイン魔法学院に通えるように、留学の手続きしてきたんだよ。
 ……自分でもわかってるもんね、キュルケは?」
 一緒に暮らすうち、彼女が自立心旺盛な性格で面倒見もよく、細やかな気遣いを見せることをリシャールは知っていた。そんな彼女がいつまでも居候でいる筈もないし、居ていいとも思わない。
 ほんの少しだけ考え込んでいたキュルケは、上目遣いにリシャールを見て小さく微笑んだ。ここに来たときよりもいい笑顔じゃないかと、リシャールも笑みを返した。
「……もう、リシャールったら、ほんとにお父様みたい」
「そりゃそうだ。
 セルフィーユのお父さんだよ、僕は」
「キュルケ、わたしは魔法学院には通えなかったから、あなたには通って欲しいかな。
 お手紙、いつも楽しみにしてたのよ」
 膝の上で居眠りをしているマリーをやさしく抱えて、カトレアも微笑んだ。
「……ええ。
 行くわ、トリステイン魔法学院」
 キュルケは両の目にしっかりとした意志をたたえ、リシャールたちに頷いた。
 



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