ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第十七話「次期宰相」




「一昨日付けでね、辞表を出してきたんだ。
 今は気楽な一子爵だよ」
 憑き物が取れたように屈託のない笑顔を向けてくるワルドに困惑しながらも、リシャールは聞かずにはいられなかった。
「辞めてきた……ってそんな急に!?
 色々大丈夫なんですか?
 その……お立場とか、評判とか……」
「ああ、その心配はないんだ。
 元から大して気を使っていたわけではないし、翻意するように説得もされたが、僕はもう決めていたからね。
 表向きは、日々の激務と怪我を逆手に取った引退と、その後の療養にしてある。
 部下に協力を仰いで、この通り、訓練中に大怪我を負ったことにしてだね……」
 この下には絵の具で傷まで描いてあるんだと言ってワルドは袖を捲り、腕の包帯を楽しそうに見せた。
 理由としては今ひとつ弱い気もしたが、彼がわざわざ『表向き』と言ったからには、何某かの事情があるのだろう。
「まあ、裏向きの理由も特段隠しているわけではないんだが……」
「そうなんですか?」
「静養にかこつけてラグドリアンの湖畔に小さな別荘まで借りたけど、そちらには行かない。
 ……僕はこれから、ハルケギニアの各国を巡る。
 武者修行の旅に出るんだ」
「……武者修行!?」
 子供向けの漫画じゃあるまいし、そんな理由で人も羨む魔法衛士隊の隊長職の座を降りるのか……とは言えない。また、笑うことでもない。騎士にはそういった人種が多いことも間違いないし、決闘騒ぎなども時折起きる。そしてそれが、ある程度世間に認められているのだ。ワルドは家を出て以来、己の力量一つで魔法衛士隊の隊長にまで登り詰めた男だった。リシャールとはある意味、対極に位置する人生を歩んできたとも言える。
 ただ、トリステインでは貴族同士の決闘を禁止する法律もあった。行使された魔法によっては周囲が滅茶苦茶に荒れるし、巻き込まれれば怪我人も出るので非常にはた迷惑なのだ。また。破壊の跡は放置されることも多く、その責任の所在が有耶無耶になりやすいことも一因だった。だが残念なことに、この法律はあまり適切に機能していない。
 貴族の貴族たる由縁……時にはやくざ者と変わらぬ舐められたら終わりといういわゆるプライドやロマンに賭けて行われる一大イベントでもあったし、娯楽に飢えた市民には格好の見せ物である。巻き込まれてまでそれをわざわざ止める馬鹿者は、極少ない。
「セルフィーユ伯爵、僕は今年二十五になるんだが……」
「はい?」
「十五、六の君には想像もつかないかもしれないが、もう数年もすれば僕も肉体が衰えてくるだろう。
 同時に魔法の技や切れは円熟に向かうかも知れないが、肉体と魔法技、そのどちらもが目指す一点で満たせる時間というのは極短い。
 今しか、ないんだ」
「……」
「まずはガリア、その次はロマリア……。
 気が向いたら何処にでも行くつもりだよ」
 三十八までの肉体は前世で体験していたから、ワルドの言うことはよくわかった。ある意味、彼以上に知っているかもしれない。三十を越えたあたりから、身体というものは負荷が掛かると力押しの代わりに誤魔化すことを覚え始めるのだ。
 しかし……彼が武者修行という単純な行為に、人生をなげうってまで賭けるのかという疑問も浮かぶ。もう少し頭を使う人物にも思えるのだ。それとも裏の裏があるのかも知れないが、そこまで深いつき合いもなかったので聞き出すには憚られる。
 領地はどうするのかと言った質問もしてみたいが、既に十年以上王都暮らしを続けているワルドには余計なお世話だろう。リシャールは黙って頷くに留めた。
「あの、子爵さま?」
「なんでしょう?」
 いつの間にかリシャールの手をしっかりと握っていたカトレアが、ワルドを正面から見つめて問いかけた。
「ルイズのことは、どうされるおつもりですの?」
 すっかり忘れていたが、彼はルイズの婚約者だった。リシャールにとっては義弟となるかも知れない相手との認識で、これまでのつきあいが出来ている。無論、その枠を取り払ったからと言って彼に何かを含むような事はするつもりもないが、カトレアの問いに対する返答には注意を向けざるを得ない。
「公爵家には、既に詫び状を送らせていただいています。
 出来得れば、今日直接お会いしておきたいところで……」
 ワルドは言葉を切って、リシャールらの背後に目を向けた。
 振り返れば、少しだけ難しい顔をしたラ・ヴァリエール公爵夫妻とルイズがこちらに向けて歩いてくるところだった。

 ワルドは既に隊長職を降りていたし、そちらは今更蒸し返せるようなものでもないのだろう、少々寂しげな風情ではあったが公爵夫妻はあっさりと婚約の解消を認めた。元々がワルドの亡父と公爵の口約束のみを根拠とした婚約であり、リシャールや……あるいは少し前までのエレオノールのように状況が完全に結婚成立へと向かうように話を動かしていたわけでもなかったから、傷口と言うほど両家に深い溝が出来てはいないようだった。
 後から聞かされた話では、ルイズもまだ十五歳と本格的な婿探しにも時間があった上に、姉二人が片付いた、若しくは片付きそうであり、公爵夫妻にも些か心の余裕が出来ていたため特に大きな問題とされなかったらしい。公爵からはルイズには公爵家を任せられるような識見と能力に富んだ婿を取らせるか、または彼女も嫁に出してから三人の娘の産んだ孫の誰かに家を継がせても良いだろうとも聞かされていた。もっとも、からかい半分に『ああ、お主が継いでもいいのだぞ』と、笑顔の公爵に肩を叩かれてもいたリシャールである。
 これらの事情に関連して、ラ・ヴァリエール公爵家の次期当主としてリシャールの名が一番に挙がる理由を、皮肉にもマリーの誕生が後押ししていた。
 エレオノールの婿であるバーガンディ伯爵フィリップにしてもリシャールにしてもそれなりに大きな爵位と領地を持っているので、ラ・ヴァリエールをそのまま継がせるには多少複雑な調整を経なくてはならない。そうでなくとも諸侯の二重継承は他家の大身化を嫌って横槍が入りやすいのに、これだけの大家であれば大きな騒動になることは簡単に想像がつく。
 だが、幸か不幸か、バーガンディ家の事情で婚約止まりとなっているエレオノールとフィリップに対し、セルフィーユ家には娘婿リシャールだけでなく、跡継ぎたるマリーが存在していた。彼女が名目的であれセルフィーユ伯爵家を継ぎ、一旦無爵に戻った元当主リシャールがラ・ヴァリエールの名を許されて完全な入り婿になるのであれば、横槍の最大要因である二重継承に対する表立った批判は出来なくなる。
 リシャールにしてみればまどろっこしい手続きを経て自分が継ぐよりも、三女ルイズかその夫が直接公爵家を継いでほしいところだった。しかし年回りはそう変わらなくとも、今年の春から魔法学院に入学する予定で海の物とも山の物とも言い難く魔法も苦手な彼女と、今の時点では候補さえも絞り込まれていないその夫に対し、諸侯としての実績を積み上げていて信頼もある娘婿では、公爵の思惑もあって後者に軍配が上がってしまっていた。

 ワルドと別れてアンリエッタとマリアンヌに挨拶言上を済ませた後、公爵夫妻らにルイズを預けられたリシャールたちは、彼女を連れて控え室に戻ることにした。本日のアンリエッタのお側控えには、年輩の女官が配されている。政治的な意味を含み過ぎている接見が数多く重なっているとあっては、忙しさも相まってルイズには重荷となりそうだったのだろう。
「落ち込んでるわけじゃないの。
 ……でも、ちょっと残念だったかしらね」
 十年近く会っていなかった相手では多少気に掛かっていても感慨の抱きようがないのか、婚約解消については当人であるルイズにしてもそれほど気にしている風ではなかった。彼女が心の何かを押し隠すと顔に出てしまう素直な性格であることは、カトレアに聞くまでもなくリシャールも知っている。
「今日みたいな日に王城でお見かけしても、お仕事中で話しかけられる雰囲気じゃなかったわ」
「ワルド子爵は悪い人じゃないけれど、少し……思い込みが激しくて思い切りが良すぎるのかしらね?
 しばらく遊びにいらっしゃらないと思っていたら、王都で暮らし始めたって聞いてそれっきりよ」
「領地は家臣任せと聞いていたけど、ほんとにずっと魔法衛士隊一筋だったんだなあ。
 この間一緒に飲んだときは、魔法衛士隊を辞めるなんて一言もなかったんだけど……」
 流石に領地と家族を捨てて旅に出るなど、到底無理な自分であることは理解しているリシャールだったが、ほんの少しだけ、武者修行という名の諸国放浪に出るワルドを羨ましく思う。旅からはじめた自分とは終着点まで逆だなと、面白みさえ覚えていた。
「どんなお話をしたの?」
「アルビオンのこととか、叛乱軍のこととか、色々。
 うちもちょっと迷惑してるけど、やっぱり王城も緊張してるみたいだったね」
「お仕事の話ばかりなのね……」
「ああ、でも……帰り際にルイズのことを聞かれたよ。
 夏に会ったときは元気でしたとしか答えようもなかったけど」
 直前にラ・ヴァリエールへと顔を出した時は、それどころではなかったのだ。
「ごめん、今更だけど伝言でも貰ってくればよかったね」
「考えたら……手紙を貰ったこともなかったかも」
「ルイズ……」
「あー……」
 当人同士が無自覚で親同士の口約束ならそんなものかと、苦笑気味にルイズを見やる。
「……リシャールも筆無精だったかしら?」
「二年で三通は書いたよ?
 ……一通は助けを求める手紙だったのがしまらないけれど」
 軽く睨んでくるカトレアの目からルイズを元気づけようとする気持ちをくみ取って、リシャールも道化た風に返事をした。
「何時間も悩んで手紙を書くのも気持ちがこもっていていいものだとは思うけれど、直接会いに行けるなら僕はそっちを選ぶかなあ。
 いまは一緒に暮らしているし、出会った頃は公爵家に寝泊まりさせて貰っていたからね、手紙を書こうなんて考えもしなかったよ」
「はいはい、ごちそうさまでした」
 呆れ顔を向けてくるルイズに苦笑を返すと、リシャールはマリーが待つ控え室の扉を自ら開けた。

 セルフィーユ家に貸与された控え室では、既にくつろいだ様子のアルトワ伯爵クリストフがリシャールを出迎えた。挨拶を交わしてリシャールも席に着く。
「リシャール、そろそろ麦を市場に出すことになりそうだよ」
「いよいよ、ですか」
「ああ。
 アルビオンの方が膠着状態から動かなくなっているからね、春の収穫まで落ち着かせてしまえば後は今年の作柄次第かな」
 なんとか市場は狂乱せずに済むようだと、クリストフは微笑んだ。
 同じ価格安定のための在庫放出でも、無茶な介入にはならない様子であり、リシャールもほっと一息をつけそうである。
「このまま落ち着くなり、王党派が完勝するなりしてくれると有り難いんだがね。
 まあ、しばらくは大丈夫だろうが……セルフィーユの方はどうだい?」
「相変わらずです。
 右往左往しつつ仕事をこなしていると、それが終わらないうちに次の仕事がやってきますから……」
 ちらりと奥に目をやると、マリーはリシャールの家族に見守られながら、少し早い昼寝をしていた。先ほど義姉とバーガンディ伯爵の訪問もあり、ギーヴァルシュ侯爵夫妻やエルランジェ伯爵一家も休憩していたらしい。
 皆はリシャールの不在を知っていながらマリーの顔を見に来ただけのようだが、義父も間違いなく一度は訪れるだろうし、外から見ればセルフィーユ家を結節点とした一つの派閥のようなものが出来上がっているとも読みとれるなと、リシャールは嘆息した。
「ふむ、うちを上回る税収では忙しいのも無理は無かろう、セルフィーユ『伯爵閣下』?」
「……ご勘弁下さい、クリストフ様」
「ははは、まあ冗談はさておき、私もギーヴァルシュ侯爵も縁者として鼻が高いし、その調子で駆け上がって欲しいところだね」
「正直を言えば、そろそろ打ち止めにしたいところなんですが……」
 実際、一度立ち止まって諸事の見直しを行いたいところであるが、そうは問屋が卸さなかった。領地に帰れば徴税、その後には感謝祭が控え、そうこうするうちに収穫時期が迫ってくるだろう。
「なあに、私は一向に構わないよ。
 それに若いうちから苦労して、世間に揉まれておくのは良いことだと言うだろう?
 リシャールにとっても、それは一生の財産となるものさ。
 今日一日……いや明日からも大変だろうが、しっかりと頑張りなさい」
 見た目の年齢からすればまだまだこれからのリシャールではあるが、本気で守りの人生に入りたいところだった。

 しかし、なかなか思い通りに行かないのが、今の立ち位置である。
 何処で話が広がったものだろうかと、リシャールは本気で悩んでいた。
「伯爵、彼は私の従弟で外務府に務めます者で……」
「小官はナヴァール連隊所属の参謀でありまして……」
 直接控え室へと訪問されることはなかったが、幾度か戻った会場ではアンリエッタ姫や義父公爵とまでは行かずとも、大して知り合いでもない多くの人々や彼らが連れてきた自称先見の明に優れた人物らより名を名乗られ、或いは挨拶を交わしと、これまで避けていた社交界外交のツケを払わされているこの状況はなんなのだろう。
「伯爵様はお若いのに実に頼りになりますな、はっはっは」
「トリステインの将来も安泰でありましょう」
「今後は是非、手を取り合っていきたいものです」
 先日以上に酷い持ち上げられようだが、理由はあった。

 彼らの言を借りるならば、次期あるいはその次のトリステイン宰相は自分らしい。

 いや、幾度かそのような話も聞いたことはあるが、全て親しい身内の戯れ言と緩やかな拒否に留めていた。真面目に聞いていれば今の状況を回避出来たということもないだろうが、もう少し真剣に受け取っておいてもよかったかもしれない。
 これは本格的にまずいぞと、リシャールは笑顔で応対しながらも心中で渋面を作った。その手前で王政府の重職を幾つか通るかも知れないそうだが、何の慰めにもならないなと内心でため息をつく。カトレアも勢いに押されたのか、少し困った様子でリシャールの袖を握っていた。
 義父や祖父が何をやったのかまではわからないが、大した効果があったものだ。利に聡い彼ら中央の貴族達の手のひらの返しようには、その二人の存在があったことは間違いない。あるいはもしかすると、当のマザリーニさえが一枚噛んでいる可能性も考えられた。
 それにしても、どんな煽り方をすればここまでの大きな噂になるというのだろうかと、寄ってくる客人の相手をしながら思案する。
 どう考えても自分は一地方領主、それもつい先日までは『子供子爵』と揶揄されていたほどの小者であったはずなのだが、義父らが暗躍したのか姫殿下の覚えが良くなりすぎたのか、はたまた悪目立ちしすぎたのか判断がつかない。
 せめて十年後であれば、庁舎を中心にして領地の経営を完全に委任しても大きな問題にならないかもしれないが、今はまだ直接手を加えてやらねば瓦解する……とまではいかなくとも、相当な後退を余儀なくされることだろう。
 だが、完全に否定するのも拙かった。
 現在、家族と自身と領地を守るために必要な最低限の影響力は自身の爵位や義父の力で保たれているとしても、将来を考えれば多少は中央にも足がかりが必要なことはリシャールも知っているし、その為に祖父らが動いていることも聞いていた。ただそれが、いきなり宰相をやるなどという話にまで発展していることが問題なのである。
 セルフィーユで上手くやってこられたのは、セルフィーユ領内に於いてリシャールの競争者が居なかったことも大きい。だが王政府や中央の社交界となると、話はまるきり逆になってくる。ひたすら競争相手と潰し合い、打ち勝って生き残ることの方が、職責の全うよりも大きな比重を占める可能性が高い。
「まだまだ領地の方が落ち着いていないので、今はそちらにかかりきりでして……」
 今は否定も肯定もせず、のらりくらりと話題をかわすことが身を守ることになるか。
 リシャールは何とか襤褸を出さぬようにと気を遣いながら、彼らとは一定の距離を取る方向に話を誘導しておこうとささやかな抵抗を試みた。

 午後遅くになって王家の二人も会場を去りそろそろ祝賀会もお開きという時間になると、控え室にはリシャールの後ろ盾たる面々が自然と集まってきた。
 改めて挨拶を交わし、軽く乾杯をしてからは、祝賀会の二次会のような様子と相成った。ちなみにこの二次会には、マリーに名を呼ばせては歓声を上げるアンリエッタ姫やマリアンヌ王后も混じっているが、今更だ。
「あんりえた?」
「そう! そうよ、マリー!」
「るい!」
「ルイ『ズ』よ、マリー!
 でもすごいわ、ちゃんと覚えてくれたのね」
「ルイズ、マリーは天才かも知れないわ!」
「そうですわね、姫様!」
 マリーを抱くカトレアを中心に楽しげな様子の女性陣を横目に、当主衆は少々真面目な様子で卓を囲んでいた。
 ちなみにアルトワの公子クロードはどちらの輪にも入れず、かと言って邪魔をするわけにも行かず、リシャールの父も含めて各当主の護衛らと別の集まりをつくって彼らの武勇伝に聞き入っている。もう少し年かさであれば、同じ公子でも既に領地を取り仕切るギーヴァルシュやエルランジェの公子達のように当主衆に混じってこちらへと加われるのだろうが、魔法学院への入学前では子供扱いも仕方あるまい。それでも我が侭を言わず立ち位置を理解し、自らの欲求と両立させたクロードは賢いなと、リシャールは微笑んだ。
 当主達はワインを片手に政治談義……と言うには少々具体的過ぎる様子でリシャールを囲み、あれこれと思うところを述べている。
「ふむ、大凡の流れはこちらの思惑から外れてはいないが、少し煽りが効きすぎたかな?」
「……一体何をなさったのですか、公爵様?」
「なに、お主が王城に出仕するたびに何をやっているか鳥の骨に聞いてだな、その一部を『脚色せず』に流していたのだ。……数ヶ月かけてな」
 嘘は言っていないぞと何故か大きく胸を張った義父に、仕掛け人はやはりこの人だったかとリシャールは困り顔を向けた。身を守るついでにかこつけて、楽しんでいるに違いないのだ。
「随分とまあ、面白い話になりかけているようだよ。
 リシャール、君の支持者はとても多いんだ」
「はい!?」
「ほう?
 アルトワ伯はどのような話を聞いたのだ?」
 疑問符を頭に浮かべたリシャールを遮ってギーヴァルシュ侯爵が身を乗り出すと、クリストフはにこやかに指を三つ立てた。
「では失礼して……。
 それとなく噂を流すとエルランジェ伯よりお伺いしてから数ヶ月になりますが、リシャールの王政府入りや宰相への就任を支持する者たちは、大きく三つに分けられますな。
 一つは不正の横行や貴族院の圧力に晒されている一派……いえ、一派と言うには派閥でなく同じ様な考えを持つ個々人に近いのですが、今の王政府に限界を感じている彼らは、現宰相に比べて血筋も悪くなく貴族院主流派への対抗馬ともなる可能性さえ秘め、領地の経営にもまともな手腕を発揮し実績を有する新宰相の誕生は歓迎すべきもの、と考えているようです。ついでに自分を売り込んで将来の地位や安泰を欲している者らも多いですが、それはまあいいでしょう。
 こちらは法衣貴族でも中下級の官吏や、腕に覚えのある軍人貴族に多いようです」
「国がまともならいらぬ苦労も減るであろうし、彼らにしてみれば悪くない選択か」
 義父公爵は髭をしごき、肯定して見せた。
「次に王政府高官の一部や、我々諸侯を含む層。
 これはセルフィーユの伸長がどれだけ異常なことか、理解している者たちでもあります」
「酷い言いようじゃな、アルトワ伯」
「否定出来んのがなお酷いわい」
 くくくと腹を抱えて笑う祖父に、にやりと笑ったギーヴァルシュ侯爵が合いの手を入れる。
「一度でも正面から領地の、あるいは国家の経営に立ち向かった者ならば、余程の馬鹿でない限りあの異常さにはすぐ気付きますとも。
 先にお話しした者たちと一見変わらぬようですが、純粋にトリステインの未来を憂う一派……とでもしておきましょうか」
「少し歯が浮いておるぞ、アルトワ伯?」
「ふふ、国家の安泰を以て自家が安穏と出来る状況を作り出そうとはしていますが、それに寄り掛かって甘い汁を吸おうというのではないのですからそのあたりはお許し下さい、ラ・ヴァリエール公爵。
 ともかくも……こちらは早急に国の財政を立て直すこと、それを第一義に動いている派閥ですな。
 将来アンリエッタ『女王陛下』の親政を若い力が補佐するように仕向け、他国と抗するだけの国力をトリステインが得られるように後押しすることも視野に入れています。
 その中心がたまたまリシャールであっただけ、です」
 ああ、この一派には当の宰相や財務卿、そして王太女殿下も含まれているのだなと、リシャールは理解した。去年の夏前、王室見聞役を拝命した頃には、既に青写真から何から出来上がっていたに違いない。
「それで、第三の派閥はどこなのだ?」
「はい、法衣貴族でも貴族院の主流派を主体とする一派です」
「何じゃと!?」
「まことか!?」
 これには流石にリシャールも驚かされた。彼らの、この意見の翻し方は一体どういう訳なのだろうかと、視線でクリストフに問う。昨年、リシャールの王政府入りに対して抵抗したように、真っ正面からラ・ヴァリエール閥と対立する方が余程納得できる相手なのだ。
「正確には貴族院議長であるリュゼ公爵と彼にごく近しい取り巻き以外の一部勢力が中心でありまして、それに同調する高級官僚や政界に取り入っている諸侯が加わる形となっています」
「……位打ちか?」
 目つきも鋭くして態度を一変させた義父が問うと、クリストフは頷いた。
「それに近いですね。
 力無き宰相であれば、彼らにとっては今以上に都合がよいのもまた事実。現職のマザリーニ閣下が余程煙たいのでしょう。
 中央政界に大きな影響力を持たせぬままリシャールを祭り上げて彼を追い落とし、新宰相は完全なお飾りにしてしまいたい、と言ったところです。
 リシャールの宰相就任後且つ、アンリエッタ殿下の戴冠前の僅かな期間を利用して王政府を自勢力で固めてしまえば親政は初手から躓き、貴族院を中心とした権力機構はそうそう揺るがぬものとなる……らしいです。
 その後は難癖をつけて新宰相を追い落とすなり、アンリエッタ殿下の王配に誰か息のかかった者を据えるなり、いくらでもやりようはある、とも」
「アルトワ伯、随分と詳しい説明だが、誰から聞いたのだ?」
「ロレーヌ侯爵です。
 ご当主は同じ南東部の領主ですから面識もありましたし、ご当主の末弟は魔法学院の同級生ですから、多少は気安い間柄……と言えなくもないですね。
 彼らは中央の社交界に知己も多く、親族揃って幾分口が軽いというのは以前から知っていましたので、少し持ち上げて聞いてみたのです。
 ……ふふ、リシャールがアルトワの出身だというのは、もちろん伏せて」
 私まで彼の誘いで中央に出るかも知れませんねと、クリストフは肩をすくめて見せた。
 リシャールがエルランジェ伯爵の外孫にしてラ・ヴァリエール公爵の娘婿である……とはよく知られているが、少し深めに調べないと出身地やラ・クラルテ家まではあまり話題に上らないはずで、事実、ロレーヌ侯爵はそのことを知らずにいたらしい。
「時期さえ誤らなければこちらの思惑通りになる、と言うわけでもなさそうじゃなあ」
「下手をすると……来年の今頃は、リシャールが王都暮らしになってるかもしれませんね」
「アルトワ伯、向こうもそこまで急進的ではないだろうが……アンリエッタ様が即位されるまでは油断出来ぬな」
「やれやれ、敵と味方の選別が大変そうですのう」
「あら、大変でもやってもらわなくては困りますわ」
「姫殿下!?」
「さ、続きを聞かせて下さいまし。
 時間は限られておりますのよ?」
 いつのまにか背後に立っていたアンリエッタがにこりと笑いながら、卓を囲む諸侯達を見下ろしていた。
 ……彼女はトリステイン王家の王太女、ある意味当主衆に数えられないこともないかと、リシャールは苦笑しながら椅子を譲った。




←PREV INDEX NEXT→