ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第十一話「見聞役」




 アルトワで一晩明かしたリシャールは、眠気を気合いで押さえつけながら王都入りしていた。アーシャで数時間、セルフィーユと王都ほどは離れていないので、陽光はまだ十分に高い時間である。
 別邸に降り立つと、リシャールはすぐに馬車を駆って市中へと向かった。
 その間に続報はなかったが、こればかりは仕方がない。
 ラ・ロシェールに送った人員は現地に到着したばかりであろうし、セルフィーユには未だ王都商館以外に情報を専門で取り扱う部署はなく、そちらも流通や相場について巷間の噂を聞いては裏付けを取って関係者に知らしめるのが主要な仕事であった。経済情報主体となっているのはいかにもセルフィーユらしいが、代わりに政治面軍事面には少々疎い。リシャールより間諜紛いのことは絶対にせぬよう厳命が下っているという事情もあったが、これは昨今の貴族社会に於けるセルフィーユ家の立ち位置を鑑みて、寧ろいらぬ腹を探られないようにするための予防線として必要なことだった。
 だからと言って最初から情報の収集を諦めてしまうわけにも行かず、場当たり式でもせめて人を送り、懇意の諸侯らと連携を取るよう努力しているのである。
 もっとも、専任の情報部署まで持つ家の方が珍しいのだから、贅沢な悩みと言えなくもなかった。

「失礼、ヴァランタン殿はおられますか?」
「はい貴族様、直ちに!」
 セルジュの店に寄って石炭や石灰などを発注し、ついでにヴァイルブルク銀行へと足を向けて借財の返済を住ませた後、今度はこちら、シモンの経営するデルマー商会王都支店を訪ねていた。ともに会頭の指示書きを用意しての訪問であり、すぐさま手続きが取られるように計らわれている。
「リシャール様!」
「お久しぶりです、ヴァランタン殿」
 支店長のヴァランタンと軽く近況を交わせば、やはりこちらでもアルビオンで起きた叛乱の噂で持ちきりだという。
「こちらの様子はどうです?」
「アルトワとは二日と置かずやり取りを交わしておりますよ。
 今のところ影響は小なりと言っても良いようですが、皆が皆注目しておりますから」
 麦を中心とする穀類の発注と会計の取り扱いについて書かれた会頭シモンによる指示書きを手渡すと、ヴァランタンは渋い顔になった。
「……うちの会頭は本気で攻めるようですな」
「ええ、クリストフ様もそのご様子でしたよ。
 今朝ラ・ヴァリエールへと向かわれました」

 攻めに回るとは言っても、出来ることは限られている。
 アルトワは商品を確保に走る様子であったが、無論、勢いよく集めては価格の高騰に拍車を掛けてしまうことになるので、十万リーブル分買っては五万リーブル分を卸すといった手間のかけ方がなされる予定であった。潤沢な量が流通していると印象づける意味もあって、信用売りないし空売りと言った帳簿上のみでの取引ではなく、実際に荷が動かされる。
 またクリストフは、リシャールの顔を見て、麦についてラ・ヴァリエール公爵に直接交渉する決意を固めたようであった。収穫から時期を過ぎているとは言え、軽く見積もっても数千万リーブルはあろうラ・ヴァリエールの麦、これを放っておく手はない。
 アルトワの確保できそうな麦と合わせても、残念ながら量だけで市場全体を左右するには足りなかったが、タイミング次第では沈静化への呼び水となってアルトワだけでなくトリステイン中の市場に影響を与えられる可能性も見えてくる。同じ市場への介入でも、『アルトワが動いた』では少々弱いが『ラ・ヴァリエールが動いてトリステインの東半分が同調した』となれば話は変わってくるのだ。アルビオン空軍には、是非とも早期に乱の鎮圧を成し遂げて貰いたいところである。
 ラ・ヴァリエール公爵が首を縦に振るか否かについては、アルトワの皆は概ね是となるものと予想していた。もちろん、希望的観測を重ねに重ねたような、根拠のない予想ではない。
 麦商人達が例年のラ・ヴァリエールの麦についての動向を少し思い返せば、それはすぐ答えとなって現れた。彼の領地が刈り入れてすぐに商人が走り回るほどの切羽詰まった貧乏領地でもなく、彼の領主が麦価をつり上げて稼ぐことに血眼になるような人柄でもないことは良く知られている。
 また、アルトワの利益だけを説いては門前払いも当然だろうが、麦市場の安定はアルトワの安泰だけでなく、トリステイン全体の国益ともなる真面目な提案であった。

「なるほど。
 当商会が直接ラ・ヴァリエールの麦に手を出すことは不可能でしょうが、クリストフ様の引きで同調するとなれば……」
「ええ、かなりの目で市場は安定に向かうでしょう」
「これもリシャール様のおかげですかな?」
「さて、どうでしょうねえ。
 私個人は何もしていない……いや、出来ないに等しいのですが……」
 アルトワでの会議の席上でも知恵を絞ったリシャールだったが、大きく動かせる資金もなく、鉄はともかく麦についてはほぼ手出しする事がない。先ほどのシモンの指示書きにしても、セルフィーユに関わる内容は極僅か、追加で発注された麦の出荷先として示されているだけである。
 これでは単に使者としてあちこち動いただけのようにも見えるが、麦価の乱高下には影響を受けてもこちらから揺さぶることなど到底出来ぬセルフィーユ家のこと、麦の確保が出来ただけで良しとしておくべきだった。
「きゅ?
 リシャール、眠いの?」
「……まあね」
 別邸に戻り、市中で買い求めたガリア風の揚げ菓子をアーシャに差入れする頃には、とうに日は暮れていた。

 翌日はもう、登城する予定の日であった。
 最近少しは着慣れてきた、子爵の頃よりも若干飾りの多い伯爵の正装に身を包み、馬車に揺られること半刻余りでリシャールは入城した。いかにセルフィーユの庁舎に比べて人の出入りが多い王城と言えども、予定の訪問ならば登城の刻限も決められていたし、使う車止めや控え室も城の方で調整されているからそのあたりで躓くことは先ずない。ほぼ予定時刻通りの到着である。
「こちらにてお待ち下さいませ」
 いつものように荷物持ち兼護衛のジャン・マルクらを背後に従えて、一旦奥向き手前の応接室に案内され、一息入れる。
「ジネット、その鞄をこちらに貰えるかな」
「はい」
 鞄の中には手製の地図と見本となる鉱物や麦、小さな模型の入った小袋、そして普段は持ち歩かないような数の、大量の一スゥ銀貨が収められている。肖像も製造された年代もばらばらだが、急遽集めたので仕方がない。
「半分は自領の宣伝も兼ねていますけれど、今回だけは大目に見て貰うことにしましょうか」
「……自分には解りかねますが、侍従長殿よりご許可が出ているならばよろしいかと」
「実は、次回から何を話の種に選んだものかという、そちらの方も問題なんですよねえ」
 本日は見聞役としての登城であり、色々考えた末に小道具を用意して、プレゼンテーション様の内容を予め準備していた。選んだ題材は、初回とのことでセルフィーユ領の話としている。前もってラ・ポルト卿に大まかな内容を手紙で知らせて問題なしとの確認も取れているが、前任者が就任していたのは先代国王の御代であるから申し送りも何もなく、手探りな中での初仕事となってしまったのは致し方あるまい。
 待つことしばし、リシャールの元に中年の女官が現れた。
「伯爵様、お時間でございます。
 どうぞ、こちらへ」
「はい、お世話になります」
 名乗られはしなかったが、纏う衣装と雰囲気から見てどうやら高位の女官らしいとリシャールはあたりをつけた。爵位が上がって扱いが変わったらしい。
 メイドならば行儀見習いに出される名家の子女に混じって平民から召し上げられた者もいるし、立場上もリシャールがほぼ完全に上位者となるので、こちらが王宮の客人から逸脱した態度や行動をとることがなければさほど気を使う必要はない。
 だが、同じ奥向きに勤める女性でも、女官となれば話は変わる。幸いリシャールの上役は筆頭格である侍従長のラ・ポルト卿ただ一人だが、宮廷女官の力はは地位よりも職掌の範囲とその情報力にあった。それに同じく官位を与えられた相手であり、爵位による宮中席次と王宮内部での職位に由来する席次に鑑みて、細かな応対が要求されることも容易に想像がつく。礼儀と作法を守っていればそれでよいという単純なものではない。誰が敵か解ったものではないと、義父らからも釘を刺されていたからなおさらだ。
「本日は、マザリーニ枢機卿とデムリ財務卿も同席されるとのことですわ。
 姫様直々のご希望にて、場所は西棟のテラスとなってございます」
「はい、ありがとうございます」
 同席者ありとのことだが姫殿下のご学友ではなく、その二人は王政府の要人だった。それが珍しいことなのかそうでもないのか、判断に困る。
 だが、それは一旦横に置いておこう。
 見聞役という道化師の端くれとしては、テラスでお茶会の添え物として、面白おかしく報告を行うことが正しいのかも知れない。お気楽に過ぎるのも以ての外だが、四角四面の散文的な奏上では聞く方も気疲れするだろうし、少し内容を変えるべきかと頭を巡らせる。
 無論、胸中にある余計な諸々は口にせず、リシャールは女官の言葉をただ肯定するに留めた。

「リシャール、お久しぶりね」
「はい、立太子式以来でございます、アンリエッタ様」
 呼び出し順はリシャールが最後だったようで、秋らしく飾られたテーブルにはマザリーニともう一人、壮年の男性が座っている。彼がデムリ財務卿らしい。
「伯爵閣下、お初にお目に掛かる。
 私は財務卿を拝命しておりますデムリと申す者、以後お見知り置き願いたい。
 本日は姫殿下に無理を申し上げて同席をお許しいただいた次第、一つよろしくお願いしますぞ」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします、財務卿閣下」
 アラス男爵アンリ・コワフィエ・ド・デムリは下級貴族出身の官吏であったが、その優秀な頭脳と公正な人柄が先王の目に留まって財務卿に抜擢され、一代男爵として爵位まで与えられたとは、後になって聞かされた話であった。
 旧知かつアンリエッタの御前ということで、マザリーニとは互いに軽い会釈で済ませる。
「私も一から学ぶつもりで、貴殿の話を聞かせていただこうと思いましてな。
 貴殿の奏上に姫様と財務卿がどのような感想を抱かれるかも、楽しみとしております。
 セルフィーユという一地方を眺めることで、トリステイン全体が見えてくることもありましょう」
「宰相は解説役としてお呼びしたの。
 ……ルイズから教えて貰ったのよ、リシャールのお話は随分難しいんですってね?」
「いえ、今日はそれほど複雑なお話をする予定ではないのですが……」
 いつぞや馬車の中で義父からの質問に答えていくうちに、随分と段階を踏んだ話をルイズにしたことがあったかもしれない。
 しかしながら、かみ砕いて話をしたとは言え、帰りの馬車で自分に向けられた質問を考えると、彼女はセルフィーユを取り巻く事情とリシャールの政策や基本方針は理解していたようで、その点には恐れ入る。
「あらそうなの?
 でも、難しいお話になったら途中でも質問しますからね」
「はい、もちろん」
「では、お願いいたしますわ」
 アンリエッタの笑顔を開始の合図として、リシャールは一礼した。

 少々失礼しますと断り、リシャールは鞄を開けて手製の地図を取り出すと、アンリエッタが見やすいように広げた。地図はセルフィーユを中心としてハルケギニアの北半分、トリステインとゲルマニア、そしてアルビオンのみが描かれている。
「今回は初回でありますから、題材には当家のセルフィーユ伯爵領を選ばせていただきました。
 セルフィーユはご覧のように、トリステインの東北端に位置しています。
 今日のお話にガリアやロマリアは殆ど関係がありませんので、地図上では割愛しております」
 続いて小袋から鉄鉱石を取り出し、セルフィーユの上に置く。ついでに銀貨を一枚、手のひらに置いて皆に見えるようにする。肖像は先代国王アンリのものだが、ややすり減っていた。
「セルフィーユは元々小さな王領の集まりで、当時は人口も王都の一街区にさえ及ばないほどの地方領でした。
 鉱山はありましたが、ほとんど手つかずのままでしたから、収入には大きな影響力はありません。
 ですので、当時の税収は仮にこのぐらいとしておきます」
 リシャールは手の上の銀貨を示してから、セルフィーユの上に置いた。
「リシャール、実際にはどのぐらいの金額だったのかしら?」
「姫殿下?」
「姫様、それはあまりに直裁ですぞ!?」
 彼女の質問に宰相と財務卿は苦笑いを浮かべていたが、ここは勝負所かも知れなかった。

 アンリエッタはメモでも取る気なのか、手には羽根飾りの付いたペンを持っていた。この顔ぶれでお堅い話になってしまうのも仕方なかろう。少々申し訳ないが、彼女がそのつもりであるなら、こちらもそれに見合った内容に話を切り替えればいい。
 デムリの立ち位置は不明瞭だが、いつぞやリシャールを王政府の政策顧問に据えようとしていたらしいと聞いていた。マザリーニの様子を見るに、貴族院寄りの立場ならリシャールに警戒を促すぐらいは期待してもよかったから、中道あるいはマザリーニ寄りの人物と見て良いだろう。
 マザリーニは今更だが、貴族院の専横を嫌い、アンリエッタを名実共に本物の女王とするべく画策していた。義父らの行動が一因であれ、リシャールが今この場にいることもその一環である。

 そこまでを考えて、リシャールは自らに決断を迫った。
 王室の見聞役は、内外より広く情報を集め王へと報告をすることがその役目である。今回の題材はセルフィーユ、奏上する内容として事前に伝えた範囲から逸脱してはいない。道化師と言うよりお抱えの専門講師のような役回りになってしまうが、話しぶりが変わったところで問題視されようはずもなかった。
 また、どこまで踏み込んだ内容にするかとなると、数字の羅列と意見の開陳で済む範囲であればこちらとしては問題なかった。領地の収支については裏帳簿をつける余裕もないほどで、借財も含め火の車ではあっても会計そのものは元より宰相の知るところである。
 仮にデムリが貴族院寄りの人間であったとしても、話の内容そのものはセルフィーユ領のこと、貧乏が知られたところで今とそれほど状況が変わるわけではない。それこそ全トリステイン諸侯の貢納額を知る立場の財務卿、調べようとすればいくらでも調べがつくのだ。
 今日は領地の成り立ちを簡単に話した後、もう少し気楽な、活気が出てきた市場の様子や離島の廃城に伝わる昔話などに話題を絞るつもりであったが、これはいっそ、未来の女王への投資として腹を括ってもよいかと、リシャールは正しい金額を口に乗せた。

「リシャール?
 えーっと、ごめんなさい、答えにくかったら……」
「いえ失礼、いかほどであったかと思い出しながら計算をしておりました。
 ……大雑把にまとめますと、男爵家創設当時の予想税収はおよそ一万四千エキューほどでしたでしょうか。
 前渡しされた資料に載っていた税収のおよそ半分でしたので、どうしたものかと頭を抱えた憶えがあります」
「まあ!」
「ただ……後になって考えれば、その資料は『正しかった』のかもしれません。
 王領であった頃は、代官により五割六割の税が徴収されていたと聞き及んでおります」
「伯爵、それは事実か!?」
 デムリが目を剥いて身を乗り出してきた。王領の徴税に関しては最終的には彼が総責任者となるから、聞き捨てならない内容だったのだろう。
「はい、領民の口振りと領地の寂れ具合から見て、嘘だとは思えませんでした。
 それに貴族院から引き継いだ資料には徴税台帳どころか戸籍簿さえなく、前任者である代官とは連絡が取れず申し送りどころか挨拶さえありませんでしたもので、こちらとしても確かめようがないのです……」
「むむむ……」
「もちろん、すぐに平均的なものに改めましたが、話を聞くに人もかなり外に流れていたようですね」
 しばらく腕を組んで唸っていたデムリは、勢いよくリシャールに顔を向けた。
「ええい、姫殿下に倣い、失礼ながら私も真っ向から質問させていただきますぞ!
 ……伯爵、ドーピニエ領の一件は聞いていたが、他も、その、似たようなものだったのであろうか?」
 真剣な眼差しはデムリだけではない。アンリエッタもマザリーニも真面目な表情を作っている。リシャールは視線をずらし、マザリーニに目配せをした。
「伯爵、無論この場は人払いをされておりますれば。
 皆で揃って口を噤んでおれば、姫殿下の御許にて良い笑い話が聞けました、で済まされましょう。
 事細かな内容が、外へと漏れ出ることはありますまい」
 マザリーの言葉にリシャールは頷き、デムリへと向き直った。
「鉱山などの直接収入は別としまして、その他は概ね資料の半分と見るぐらいで丁度良いと、私は思っています。
 春に拝領いたしました国境の領地も、憚りながら似たような状況でありました」
「ふむ……。
 宰相、王領の収入が全体的に年々落ちておることはご存じであろうが、これは北東部の王領に限ったこととは……ああ、いや、失礼。話の腰を折ってしまいましたな。
 今回は姫殿下へのご報告が主体、伯爵と宰相には後ほど個人的に時間を頂戴したいところ」
 うむうむとデムリが頷き、続きを促される。
 話はそれたが、アンリエッタの手元を見れば書き付けられた文章が増えているから、退屈だけはさせていないらしい。話題の中心を何処にもっていこうかと考えながら、彼女の手が止まるのを一旦待ってリシャールは口を開いた。

「では、続けさせていただきます。
 このセルフィーユですが、土地こそ広いものの当初の人口は六百人弱、売り物になりそうな物はこの鉄鉱石のみで、このままでは多くの収入は望めません。
 年一万四千エキューという金額こそ、憚りながら同じ男爵でも貴族年金に比べれば非常に大きな金額かと思われますが……」
「男爵格の貴族年金は、年額三千エキューですな」
 デムリは自らが受け取っている金額を、悪びれもせず口に乗せた。その心意気にリシャールも軽く一礼する。もっとも、爵位に応じた法衣貴族の年金額は法令で定められているから、調べればすぐにわかるものでもあった。
「実はこの時点で年に三万エキューの借財を背負っていましたので、これをなんとかしなくては創家初年にして破産という、実に恥ずかしい事態に陥ってしまうところでした。
 根本的な収益増を画策せねば立ち行くはずもありませんが、領内からの税収には限度がありますから、一時しのぎでも何でも、ともかく何処からか持ってくるしかありません」
 セルフィーユの話題に絡めた加工貿易の話などは分かり易いかもしれないと、鞄より一掴みづつ銀貨を取り出し、じゃらりじゃらりと各国の上に盛る。単に市場でのやり取りを分かり易く説明するために持ち込んだのだが、これはこれで話の役に立つ。王領の収入を補う一助になればよし、ついでに北東部域の王領からセルフィーユへと産品が届くようになれば尚よしと、リシャールは皮算用を巡らせた。
「流石に国全体を表すだけの銀貨だと机の上にも乗り切りませんから、形だけこうしておきます。
 セルフィーユにはなくても世間にはお金があって、それらが商品と共に市場を形成しているのだとご理解下さい。
 さて、このように鉱石を売ってお金を貰うこと。
 これは間違いではないのですが、あまり良いとも言えません」
 鉄鉱石をトリステインへと移動し、トリステインから銀貨を一枚抜き取ってセルフィーユの上に追加する。
「仮に鉱石の値段は銀貨一枚、一スゥとしますが、残念なことにこれでは一枚しか増えません。
 市場では一スゥの値しかつかない物を、三スゥで売ることは不可能です。
 普段はそのような取引を持ちかけても相手にされないでしょうし、出来たとしてもそれは詐術の領域です。
 ですが……」
 再び鞄に手をやり、今度は小袋から鉄材と石炭の見本を取り出し、石炭だけをゲルマニアに置く。
「ゲルマニアから石炭を買って鉄材に加工すれば、例えば三スゥでも買い手がつきます。
 無論、急激な需要増で価格が急騰する場合もありますが、これは特別な場合です。市場では需要が伸びれば価格は上がり、供給量が増えれば価格も下がりますが、そこは少し横に置いておきましょう。
 大事なことは、税収の一スゥと売れば一スゥになる鉱石では合わせて二スゥにしかならないところが、石炭を買って加工してやれば三スゥで売れる、という点です」
 ゲルマニアの石炭も仮に一スゥとしましょうかと前置いてセルフィーユの銀貨一枚を交換し、リシャールはそのまま石炭と鉱石を地図上から取り除いて鉄材を配した。皆が頷いたところで、鉄材とトリステインの銀貨三枚を取り替える。
「セルフィーユの銀貨が増えましたわね」
「ふむ、鉱石のまま売れば元からあった税と合わせて二スゥしか得られないが……なるほど、詐欺なしに一スゥ多く手に入りますな」
「はい、しかしこれではまだまだ足りません。
 借財と王政府への貢納金を支払うと、なくなってしまいます」
「……伯爵、街道工事の費用はどこから出ておるのですかな?
 三枚の銀貨では随分と足りない様子だが……」
「そう言えば、そちらも手がけておられたか?」
 マザリーニの言葉に、デムリが首を傾げて同調する。
「えーっと、リシャール?」
「はい、姫殿下?」
「街道の工事はセルフィーユ家にとって、相当つらいものなのかしら?」
 不安そうなアンリエッタに、リシャールは微笑んで首を横に振った。
「確かに……決して楽ではありません。
 ですがここは見栄を張りたいところですので、『大丈夫です』とお答えしておきましょう」
「あら」
「ほほう?」
「この街道工事、はじまりはともかく規模や場所を策定したのは他ならぬ私です。
 それに将来、確実にセルフィーユ伸長の一助となり得るものですから、この無理はしても損がないものと割り切っております。
 もちろん、目処が概ねついた今だからこそ、言える言葉ではありますが……」
 リシャールは再び鞄から鉄材の見本を取り出し、三つに増やしてセルフィーユの上に配置した。
「街道工事の費用は、このように数を上積みすることで、捻出いたしました。
 一個だけ売れば三スゥですが、三個売るなら九スゥになります」
「なるほど、道理ですな」
「実際にはこれら全ては商人任せでありますから、その先は複雑なことになっているかと思いますが、領内鉱山の利権を預け、代わりに工事を代行させています」
 影の主人と領主が同一人物では政商というよりも公営企業に近いが、この場では口に乗せられない。領主の直営にしていない理由には転封への警戒もあったが、あくまでもリシャールの命で領内の商人が協力しているという表向きを強調しておく。建前は大事だ。
「このように、鉱石よりも鉄材の方が高く売れるわけですが、当然ながらもっと高く売れる物に加工してもよいわけで……」
 領内ではこのようなものも売られていますという程度に、油漬けの壷や魚の模型と共に取り出して見せる予定だった小さな大砲の模型をセルフィーユの上に置き、これならば十スゥぐらいでしょうかと、リシャールはアルビオンの上から銀貨を何枚か抜き取った。
「おそらく同じ重さの鉄の塊であれば、十スゥも払ってくれるところはどこにもありません。相場の高いときなら四、五スゥぐらいになるかもしれませんが、そのあたりが限度です。
 しかし、鉄砲や大砲ならば……」
「大砲の値段はよくわからないけれど、鉄の塊よりは随分と高いのよね?」
「はい、その通りです。
 このように元は一スゥの値打ちしかなかった鉱石も、石炭を輸入して製鉄所で鉄材に加工し、工場を整備して大砲にしてやれば、立派に十スゥの価値がある商品として市場に送り出すことが出来ます。
 実際には主力となっている商品は大砲ではなくマスケット銃なのですが、わかりよいかとこちらを用意しました。他にも鍋釜に包丁、農具などを作っております。
 もちろん元となる鉱石や石炭の代金、工場の運営費用に工員の賃金、王政府へと納める税なども含まれますので、そのまま十スゥが手元に残るわけではありませんが……」
 そこまでを述べて、リシャールは地図を見やった。
「集めた財貨は余力と安定に繋がりますが、大事なことは、こうして得られた財貨をどう扱うかです。
 銀貨を貯め込んでお金持ちになった、万歳、万歳……では、実はあまり意味はありません。使うべき時に使わねば、いわゆる『死に金』となってしまいます。
 当家の場合は街道工事と借財の返済、そして領政と家の維持まで飲み込めるように領地を育てることが第一義、今は集めたそばから使い切っております」
 これで話に一段落はついただろうかと、一礼して微苦笑する。額には薄い汗が浮いていた。
「うふふ、お疲れさま、リシャール。
 わたくしからも、少しよいかしら?」
 こちらを見て微笑むアンリエッタに対し、両隣の要人二人は至って真面目な表情を作っていた。




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