ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第十話「麦と鉄」




 リシャールは桟橋にて、とんぼ返りでもう一往復させることになった『カドー・ジェネルー』を見送っていた。
 アルビオンにて大乱との知らせを聞いてその日の内に対応策を協議し、情報収集の為に急遽ラ・ロシェールへと人を送ることにしたのである。

 これは定期的と言ってもいいほど、ここしばらくのアルビオンからは叛乱とその鎮圧の知らせが届いていたことをラ・ラメーとシャミナードが重視し、領軍のレジスもそれに頷いたことが影響していた。
 会議の席上でも、『ロイヤル・ソヴリン』号行方不明などの躓きこそあれ、アルビオンの艦隊再建は聞き及ぶ限り順調な様子であり叛乱の鎮圧そのものに不安はないが、周辺諸国に及ぼされる影響を考えれば無関係と高をくくるのは非常に危険、との意見が大半を占めていた。
 それにリシャールとマルグリットも叛乱や軍事情勢については詳しくないものの、先年来、鉄価や麦価がゆるやかな上昇傾向にあり、軍需関連の産品が高騰していることは時折話題にしている。マスケット銃が好調な売れ行きを見せている背景からしてアルビオンの混乱に乗っており、影響の波及を避けられないことは、そちらの観点からも見て取れた。
 加えて翌週に予定されていたリシャールの王都行きも、若干前倒しにされることとなった。前倒しによって開けられた数日には、ラ・ヴァリエールとアルトワへの訪問が組まれている。
 こちらは王室の見聞役として王城より召喚があり、同時に時期が迫っていたヴァイルブルク銀行への借入金返済もついでに済ませておこうと元から組まれていたものであった。利子が付いて総額五万二千エキューとなった借入金の調達には、ここ数ヶ月分のマスケット銃の売り上げとその税収が宛てられている。

「ではよろしく頼みます。
 ラ・ロシェールにまで危険が及ぶことはないとは思いますが、きな臭く感じた場合はこちらの判断を待たず、速やかに王都なりセルフィーユなりに退避して下さい」
「はい、領主様」
「了解であります」
 結局、多少陣容を手厚くして庁舎からアルビオン出身の文官が一名、領空海軍より元トリステイン空海軍の貴族士官がやはり一名、派遣されることに決まった。これに小者が数名つけられており、なかなかの大所帯である。
 続報が早く欲しいところだが、王都から帰ったばかりのシャミナード艦長も、叛乱の規模はこれまで以上でロサイスの軍港より討伐艦隊が出たという話以外詳細は知らなかったし、リシャールは戦そのものも気になるが物流の混乱こそを心配していた。場合によっては先の先を見ておかないと、混乱に巻き込まれかねないから尚更である。
 それに、セルフィーユのマスケット銃を積んで出航した『タモシャンター』号のことも気にかかる。状況次第では一時的に航路を閉鎖し、『ドラゴン・デュ・テーレ』を投入する算段も話し合われていた。マスケット銃の販路という意味では、アルビオンへの航路はセルフィーユにとっても生命線なのである。
「では王都にてお待ちしております、リシャール様」
「ええ、頼みます」
 『カドー・ジェネルー』による臨時便の乗客には、リシャールの登城に備えた随員や、便乗して王都の大使館へと向かうメイトランド書記官の部下の移動も含まれている。大仕事にはなるが馬車よりも足が早く、同時に多くの積載量を誇り、砲の大半を降ろしていてもなお商船以上の安全度を期待できる元フリゲートの本領でもあった。

 幾つかの予定を前倒しでこなして『カドー・ジェネルー』に遅れること二日、帰還とほぼ入れ違いになったが、リシャールはセルフィーユを後にした。のんびりマリーと遊ぶことすら出来ないのは辛いが、これも父親の責務の一つと自らを叱咤する。
 早朝の日の出直後、家族家臣に見送られ先ずはアーシャに乗って約半日、リシャールはラ・ヴァリエール家に降り立った。危急とのことで約束はしていないが、流石に門前払いを受けるようなことはない。
 執務室へと通されると、挨拶もそこそこに早速本題に入る。
「公爵様もアルビオンの大乱についてはお聞き及びかと思いますが、直接火の粉を被ることはないにしても、どうにも尾をひきそうなのでご相談に上がった次第です」
「手紙ぐらいは寄越すだろうと思っていたが、お主自らがここへ来るとはな。
 あるいは、アルビオンのことなればこそか?」
「はい、そのようなものです。
 うちの屋台骨ですから……。
 ラ・ロシェールに家臣こそ送りましたが、動く動かないに関わらず……いえ、正直に申し上げれば大きく動かずに済むように、情報だけは早めに届くようにしたいと考えております」
「ふむ……。
 実際には他国のこと故に動きようもなかろうが、一応、中央にも気を配っておくべきでもあるな。
 空海軍はもちろん緊張するだろうが、そちらはまあいい。むしろ気を引き締めて貰わねば困る。
 問題は頼まれもせぬのに大声で騒ぐ連中だ。
 ふふ、アルビオンと繋がりの深いお主などは、狙われやすいかもしれんぞ?」
「私ですか!?」
 公爵は人の悪そうな笑みを浮かべ、リシャールを見据えた。からかい半分、注意の喚起が半分といったところだろうか。
「例えば……そうだな。
 『ウェールズ殿下とも懇意でフネも持っているセルフィーユ伯爵、君に是非アルビオンの様子を見に行って貰いたい』などと言われては、非常に断り難かろう?
 元手も掛からず、大した根回しも必要なく、口先だけで済む上に溜飲も下がるとくれば、貴族院のあの連中なら平気でやりかねん」
「はい……」
「空海軍のフネが行っては別の題目を用意したとて嫌味にとられようが、お主の場合、マスケット銃の納入というアルビオン側にも納得出来て歓迎になる理由までついてくるからな。
 しばらくは王都に近寄らんことだ」
「いや、それが……」
 今回組まれた急ぎの旅程の最終目的地は、それこそ王都なのである。おまけに王宮入りすると聞いた公爵は顔を顰めた。
「……まあ、余計な重荷は背負わぬようにな。
 何某かの理由を付け、角の立たぬよう断るのがよかろう」
「……はい」
 しかし、貴族院寄りの人間から嫌味で命ぜられたならばともかく、王太女たるアンリエッタより直々にアルビオン行きを請われた場合、どう対処したものだろうか。信頼されてのお声掛かりならば、ますます断りがたいのである。
「まあ、こういうこともあり得るのだとだけ、心に留めておけばよい。
 ところでリシャールよ」
「はい?」
「話を戻すが、具体的な方策や指針などは決めておるのか?
 それを聞かねば助言も出来ぬからな」
 鉄と麦、これらがどの程度影響を受けるものか意見を聞いておくべきと、王都へ入る前にアルトワに寄り道して、領主のクリストフや取引のある商会と相談する算段を立てていることも話す。
 麦については、乱が長引いて高騰が続きそうならば相場が高止まりしていても先を見越して早期に量を調達、鎮圧が早くその後の影響も沈静化に向かうようなら、時期を待って必要量のみを確保する予定だ。
 鉄の方は自領で産する鉄鉱石はともかく、石炭や石灰などの在庫を増やすべきかどうか、ゲルマニア市場の反応も含めてセルジュと話し合う必要がある。こちらは輸入が止まれば鉄材とその先にあるマスケット銃の生産も止まるので、リシャールにとってはある意味麦以上に深刻だった。
「可能なら、麦の方は余計に確保してもいいかと、家臣達とも相談はしてきました。
 転売で儲けようとまでは思いませんが、収穫期に値下がりしないようならば、先に確保しておくことで出費が抑えられますから……」
 ラ・クラルテ村などで農地の拡張にも手は着けているが、余程の豊作でもない限り、来年度もセルフィーユ領内で収穫された麦だけでは足りないことが既に確定している。土地は余っていると言って言い過ぎではないが、開墾に大きく人を割く余裕はなかった上、未だに人口は微増の傾向にあった。
「当家の場合、お主とは逆に麦を出す時期を見定めるのだが、単に高いと売るは悪手、見越しを早くして安く売るも悪手と、続報を待っているところだ」
 ラ・ヴァリエール領は、広さだけなら既に国内でも上から数えた方が早い現セルフィーユ領に数倍するほどの、それこそセルフィーユで消費される麦など片手間に捻出できるほどの生産力を持つトリステイン屈指の大領である。人口も比べ物にならないし、領内はよく整備されていた。代を重ねて開発の進んだ土地故の強みで領地経営に歪さや無理がないことは、リシャールにとり羨ましい限りであった。
「ふむ、そうだ、危急ならこちらから融通するが?」
「いえ、そこまでは急いておりません。
 万が一に際しては、なりふり構わずお縋りするかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」
「うむ、心得た。
 ……それから、こちらもラ・ロシェールには人を遣っている。
 お主の家臣らとも密に連絡を取らせるよう計らっておこう」
「はい、ではこちらもその様に指示しておきます」
 この一件に関しては、元より対立することのない両家である。同じ仕事なら協力をした方が成果も上がろうというものだ。
「あとは……鳥の骨めにも一声掛けておけ」
「……」
「……いけすかぬが、そうせぬよりもましであろうからな」
 義父の口からその名が出たことに驚いたが、確かに宰相に話を通しておくのは悪くなかった。
 公爵からはアルトワ伯爵らリシャールの後見である幾人かへの手紙を預けられて何かあれば連絡を取り合うことを約束し、竜舎まで見送りに出てきたカリーヌ夫人には忙しないことと嘆息されつつ、リシャールはラ・ヴァリエールを後にした。

 強行軍のおかげでリシャールこそ昼食抜きになったが、幸いにしてアーシャにはラ・ヴァリエールで食餌を用意して貰ったので、彼女の機嫌は悪くない。
「……こういう時にこそ、携行食糧が必要だったなあ」
「きゅ?」
 肩に掛けた書類鞄に入れてあるのは幾らかの現金と小物だけで、今必要な物は入っていなかった。
「リシャール、鹿でも捕る?」
「ありがとう、でも今日はいいや。
 実家まで我慢して、向こうで何か食べさせて貰うことにするよ」
 ため息で腹が膨れるはずもなく、早起きのおかげで睡魔とも戦うこと数時間。
 なんとか身体を宥めすかしながらも、リシャールは夕暮れをしばらく過ぎてからアルトワの練兵場に降り立った。アーシャには古巣の寝床を使って貰うことにして、兵舎で一声掛けておく。領主であるアルトワ伯爵クリストフより許可が出ているとは言え、挨拶なしでは向こうも対処に困ろうし礼儀にも欠けた。
「お久しぶりです、セヴラン隊長!」
「おう!?
 おお、リ……伯爵様! お元気そうで!」
「隊長もお変わりなく。
 こちらはどうです?」
「は、相変わらずであります。
 訓練の合間に時々出動、たまの休みが恋しいってところだ……であります」
「隊長、以前の通りで構いませんよ。
 僕の方も調子が狂います」
「すまんな。
 ……どうも喋りにくくていかん」
 兵舎の詰め所には、領軍をまとめている父の部下であり、一時的には上官でもあったセヴランがいて、リシャールを迎えてくれた。
 共に詰めていた兵士のうちの一人は、新人なのかリシャールの顔を知らないらしく、二人のやり取りに目を白黒させている。公の場であれば大騒ぎになるかもしれないが、気遣わなければならない余人が見ているわけでもないし、セヴラン自身もリシャールの父と同じく下級貴族の出であったから、互いに諒解していれば片づく問題でもあった。
「……っと、一人で来るってことは急ぎか?
 お前さんの親父殿なら、こっちの伯爵様のお供で今はお城か庁舎の方だ」
「ありがとうございます。
 クリストフ様にお会いしに来たんですが、アルトワに来て素通りしたら、絶対に後で怒られますからね」
「当たり前だ。
 今度はゆっくり遊びに来いよ?
 自慢の奥方様とお姫様も連れてな」
「ええ、是非に」
 軽く挨拶を交わして練兵場を背にしたリシャールは、杖先に灯りの魔法を光らせて、暗い中を足早にアルトワの城館へと向かった。もちろん子供の頃から通い慣れた道のこと、迷うようなことはない。だが今夜は二つの月には雲がかかっていて、少々暗かったのだ。
「え、ご不在なのですか?」
「はい、クリストフ様はまだお帰りではありません」
 城館の入り口にて、顔馴染みの衛兵に困った顔で残念な内容の事実を告げられたが、こればかりは仕方ない。公務中では挨拶に行くのも邪魔だろう。
「リシャール!」
「母上、お久しぶりです!」
「さ、いらっしゃい。
 今ならまだクロード様たちも起きていらっしゃるわ」
 どうするかと考える暇もなく、表口に出てきた母エステルに腕を取られ、城内に引っ張り込まれた。リシャール来訪と聞いてわざわざ迎えてくれたらしい。廊下を歩く道すがら、近況を交わす。
「ねえ、マリーとカトレアさんは元気かしら?」
「はい、それはもう。
 マリーは僕より元気なぐらいですよ。
 離乳食もはじめましたし、乳母の見立てではそろそろお喋りもすると聞いています。
 カトレアももちろん元気ですが、なんだか前よりも調子がよいようで、僕も一息つけました」
「そう、それはなによりだわ。
 もっと逢いたいのに、誰かさんはたまの里帰りにも連れてきてくれないし……」
 恨みがましそうな目を向けてくる母に、リシャールは小さくならざるを得なかった。
 王都にいる次兄以外の家族は皆アルトワ伯爵家に出仕しており、そうそう旅に出られるはずもない。領主の仕事とて暇ではないと言え、リシャールが家族を連れて里帰りする方が遙かに期待できるというものであった。

 そのまま城館の居間へと手を引かれて伯爵夫人を筆頭にクロードとその妹姫らに歓迎され、応接室で母や長兄らと過ごすことしばし。既に屋敷からは、小者が庁舎へ知らせに出ている。
「エステルの言うとおりだわ。
 マリーちゃんと奥様も連れてきてくれれば良かったのに……」
「今回は急用と言うことで申し訳ありません、ジュスティーヌ様」
 なかなかに忙しいのだが……これは本気でアルトワ行きの家族旅行をせねば、随分と絞られそうだ。
「リシャールはいつも忙しいからねえ」
「……そのうちクロードにも他人事じゃなくなるよ?」
 父クリスチャンと祖父ニコラはクリストフと共に庁舎に出ている様子で、こちらにはいなかった。
 その父がリシャールを呼びに来たのは、小一時間もたった頃だろうか。
「失礼いたします」
「父上!」
「お疲れさま、クリスチャン」
「クリスチャン、お仕事の方はまだ掛かりそうなのかしら?」
「はい、夜半に片が付けばまだよろしい方かと……。
 ジュスティーヌ様には先にお休みいただくようにとのお言葉を、お預かりしてまいりました。
 それからリシャール」
 慌ただしい様子の父に居住まいを正す。
「はい、父上?」
「クリストフ様は、リシャールにも庁舎の方に来て欲しいと仰って居られる。
 大丈夫だな?」
「もちろんすぐにお伺いします、父上」
 アルトワの領内を貫く交易路は、アルトワ伯爵家の収入のうちでも最も重要な収入源であり、活況ではあっても市場が収入の稼ぎ頭とまではなっていないセルフィーユとでは、比較にならない影響を受けそうだと想像がつけられる。
 常以上に顔を引き締めている父に、こちらでも厄介事として扱われているようだとリシャールも頷いた。

「ご無沙汰しております、アルトワ伯爵様。
 お忙しい中での突然の訪問、お許し下さい」
「王都以来だね、セルフィーユ伯爵。迎えにも出なくてすまなかった」
 父に連れられて向かった庁舎だが、リシャールは執務室ではなく会議室へと案内された。
 公の場とあって少々堅い挨拶を交わしたが、クリストフの他にも祖父やギルドの長でコフル商会の会頭セルジュ、デルマー商会の会頭シモンなど、ギルドの上役らの顔も見える。手間が省けたのか、あるいはこちらが考えるよりもアルトワでは深刻な問題なのか、判断に迷うところだ。
 出席者の大半が知った顔とは言え、重要な案件を扱っているように見える他家の会議に混じってしまっても良いのだろうかと、少しばかり居心地の悪い気分を味わいながら、リシャールは席に着いた。
「ニコラ、あれをセルフィーユ伯爵に」
「はい、クリストフ様。
 ……セルフィーユ伯爵閣下、こちらをどうぞ」
「ありがとうございます、ニコラ殿」
 祖父と孫とは言え、この場では客人と家臣である。公私の区別については、従者時代に厳しい教育を受けていたリシャールであった。

 渡されたのは報告書のようで、表書きの最終日付は一昨日、報告者はデルマー商会の王都支店となっている。
 最初の数枚の内容は、ここ数年に於ける麦価の推移であった。各国の地域毎に数字や作況が出されており、年々上昇傾向にあることが見て取れる。セルフィーユの名も記載されているのは、デルマー商会に幾度も麦を発注しているからであろうか。ここまで詳しいものではないが、王都の商館からも似たような報告は上がっている。
 続いての資料は主な販売先と取引高だったが、記載されているのはデルマー商会のものだけではない。内部資料なのか、国内では大店とされている穀物商の名がずらりと並んでいる。
 こちらは販売先が問題だった。
 アルビオン向けの取引が昨年から増えている。特に首都ロンディニウムや北部に向けての出荷が増加していたが、これらはまだ納得の出来る範囲だ。叛乱の影響下とあれば、不作もやむなしと言えよう。戦に巻き込まれまいとして農民は逃げようし、直接畑が荒れずとも世話が疎かになって収穫は平年を下回る。
 だが、今回反乱が起きた西部に向けての出荷が昨年より微増したまま現在に至るまで減っていないことには、不審を抱かざるを得なかった。
 慌てて数項遡り、アルビオン西部の作況を確かめれば、平年並みからやや豊作とある。
 首都や北部へと余剰分以上の麦を提供したのだと言えば、確かに理由は立つ。だが、それならば叛乱後に取引が増加するべきであるのにも関わらず、叛乱直前から現在まで継続して微増していた。

「セルフィーユ伯爵、ご覧の通りだ。
 アルビオンの叛乱勢力は、相当以前から叛乱を企図していたと思われる」
「そのようですね。
 しかし、この資料があったとしても、私にはちょっと思いつかなかったでしょう。
 乱が起きた事を知っている今ならば、なるほどと頷くこともできますが……」
「如何にも。
 兆候はこのように形として見えるものだが、微妙な輸入の増加全てを叛乱と断じることも出来ぬ。
 例えば……そうだな、セルフィーユ伯爵領などは怪しいと思わないかね?」
「ふふ、当家は加えて人さえ増えておりますから、偏った目で見ればそれこそ叛乱の兆しと見えるかもしれませんね」
 人集めに連動しての飢饉対策に自領での武器生産と、確かに理由まで綺麗に揃いすぎている。悪意ある視点からはそう見えるかと、楽しげな様子のクリストフにリシャールは肩をすくめて見せた。内実は横に置いて、三隻の軍艦だけをとっても一介の新興伯爵家にしては軍備偏重に過ぎるのだ。
「まあ、冗談はともかくも……。
 叛乱の長期化による価格上昇を睨んで麦をかき集め、転売益を得ようとする者もいようし、あるいはセルフィーユ伯爵のように領内の安定を図る目的で買い込むことも多かろう。
 ふふ、これでは区別を付け難いな」
「アルトワ伯爵様は如何なさるのですか?」
「私は……そうだな、一番高くなりそうな直前に『そこそこの値段』で売るように指示をしてある」
 クリストフは先ほどのリシャールのように肩をすくめて軽く微笑み、それを受けたシモンが会釈してみせた。アルトワもラ・ヴァリエールと同じく麦の売り手であり、領内にはゲルマニアへと通じる街道を抱えている。
「損をするつもりは全くないが、ここアルトワは麦の売買についてそれなりの信用を得て商売を行っているからね。
 そこに泥を塗るわけにはいかないんだ」
 なるほど、一時の大利で恨みを一緒に買うよりも、利幅は低くとも信用も抱き合わせて売った方が随分と得になるかと、リシャールは頷いた。それでも値上げを待つ余裕があるあたり、強かさも垣間見える。
「セルジュ殿、鉄の方はどのような状況になっておりますか?」
「はい伯爵閣下、このしばらくで目立つと言えば、ゲルマニア産の鉄のみならずガリア産の鉄までがアルビオンへと流れておりまして、おかげでトリステイン国内でも価格はやや高止まり、これ以上の騒ぎになると少々厄介なことになるかと存じます。
 ……不足に備えて国が確保に走りましょう」
「ほう?」
「但しこちらは麦とは違い軍や王政府が主体で、重い腰が上がる前には必ず中央で動きがございます。
 ですがひとたび決定が下されれば、急激且つ膨大な量が市場から消え大きな混乱を招くことは必至。
 我ら鉄商人はその直前で押さえるべく、各地と結んで市場の安定に務めるよう努力しております」
 鉄商人達は、流通量を増やすことで『鉄は潤沢に流通しており翌年分を慌てて確保する必要はない』とお上に認識させる算段らしいと、リシャールはあたりをつけた。
 ひとたび国から『翌年度分を何月何日までに集めよ』などと命令が下れば、一気に市場から鉄が消えてしまうことになるが、相場の高騰などを無視し、半ば強制的に買い上げや供出をさせられる可能性が高い。そこが彼ら鉄商人にとっては問題なのだ。

 では麦でも同じ事が起きないのかと言えば、こちらは幾つかの前提が異なっていた。
 トリステインでは、麦は国内需要を賄ってなお輸出できる品であり、不作が高騰を招いたとしても、あるいは個人や村落単位領地単位での飢えはあっても、全体として不足とまではならないのが常である。
 更には国内の殆どの場所で産するものであり、過半を輸入に頼る鉄のように鉱山が無くば産しないという『特産品』ではなかった。この点、国土は広くとも中央を火竜山脈に貫かれたガリアや、国土開発や領土拡張へと国力を傾注してはいても現在はまだまだ森林に覆われているゲルマニア、あるいは空中三千メイルにあって低温なアルビオンなどに対して、唯一トリステインが優位な側面であろうか。
 付け加えるならば、空海軍は常備戦力として軍を維持する必要から一定量の糧食は常に確保していた上、王軍の総動員でも発令されなければ、国が直接的に麦を確保する事態にはならない。無論、諸侯軍の動員については国ではなく各領主が責を負うが、こちらもほぼ同様の理由で今現在はあり得ないと見て良かった。そもそも隣国の乱にまで軍を召集していては、予算が追いつかず国が倒れてしまう。
 また麦には民心の慰撫に直接使える利点こそあるが、その為に買い占めや供出を迫っては本末転倒も甚だしいし、真っ当な国や諸侯ならばそこに行き着いてしまうまでに手を打つ。そうではない者たちは、その様な些事に目を向けないことの方が多いか、自己の利益を優先した。
 このように、国家の存続、あるいは戦争遂行に必要な戦略物資の根元となる品目でも、背景の事情が異なれば扱いもまた異なるのである。

 その他の品目についても大凡の結論は出ているのだがねと、クリストフが後を引き取った。
「後は品の確保とその扱いについて、具体的な内容を検討していたところだったんだ。
 これはセルフィーユ伯爵もご存じだと思うが、アルトワにとり、極度な価格の乱高下や流通の混乱は危機となる」
 一時の狂乱とその見返り……一攫千金を狙っているのならばともかく、クリストフもリシャールも、市場には継続的な安定と伸長を求めていた。その方が利得が大きいのである。
 市場に直接手を入れる事も多い。それは例えば新規航路の手配であったり、市場となる市街の治安や環境の保全に努めたりと多岐に及んでいる。時には運転資金の貸し主として、直接商人を支援することもあった。
「残念ながら、我々にはトリステインの経済を左右するほどの力はとてもないからね、地道にやるだけだよ。
 だがこちらとは逆にこの乱を好機と捉え、それを活かすことを考えている者も居て当然だな。
 王都ではそちらへと動く商人も多いようだし、国外の商人らもそれぞれに意図を持っている。
 ……言うなれば、麦と鉄の戦争かな」
 魔法の代わりに金貨が唸り、銃弾の代わりに商品が行き交う。店主より命ぜられて倉へと走る荷役夫は、さながら槍兵の突撃だろうか。
 さてこの『戦争』はどう受けたものかなと、リシャールは考えを巡らせた。
 魔法と火薬臭と血肉で彩られた本物の戦争とは違っても、セルフィーユを一つの店と模した経済戦争として俯瞰するなら、既に戦は目の前まで来ているのだ。





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