ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第八十一話「次代」




「アーシャ、これはマリーへのお祝い……なんだよね?」
「きゅ」
「そっか、ありがとう、アーシャ」
「きゅい」
 その場で由来や意味を聞いてみたい気持ちを抑えながら、リシャールは礼を口にした。アーシャが満足そうに頷く。
 ただの使い魔なら、このようなことはしない……とは思う。だが、アーシャは韻竜であった。祖父らの居るこの場では口に出来ないが、彼女らも人と同じく、自由意志とともに長い歴史と文化を誇る種族でもあるのだ。不思議に思える行為でも、何らかの意味を持つ可能性は高い。
「でも、どうして岩……?」
「ええ、岩ね」
 ルイズとエレオノールが触っているが、リシャールの目から見ても普通の岩塊に見える。少しだけ普通の岩と違う部分を挙げるとすれば、アーシャによって大まかにではあるが丸く削られているということだろうか。
「リシャール、お主が何か命じた……と言うわけでもなさそうだな?」
「何か意味があるのかしら?」
「祝いの品にしては、不思議じゃなあ。
 いや、地竜であれば、地中の金銀ぐらいは探し当てても……」
「もしかして、中に何か入っているのかしら?」
 エレオノールが岩をぽんと叩いた。
「きゅ」
「な、何?」
 アーシャはずいっとエレオノールらに首を寄せて下がらせると、少しづつ岩をかじり始めた。
「……?」
 リシャールらが無言で見守る中、しばらくその作業が続いたが、やがて見事な大きさの美しい紫色をした水晶柱が顔をのぞかせた。
「あ!」
「おお、これはまた……」
「綺麗……」
「ほう、お主の使い魔は、なかなかに粋な計らいをするな」
 確かに、見事だ。
 アーシャの巨体が部屋に影を作る中、わずかに入ってくる陽光が水晶越しに透けて、神秘的な輝きを見せている。
 嬉しくなったリシャールは、アーシャの首元に抱きついて見せた。

 翌々日、上機嫌で帰る親族らを見送ったリシャールは、マリーの顔を眺めて一日過ごすわけにもいかず、庁舎の方で溜まった書類の片づけに追われていた。今日に限っては、陳情なども明日以降へと後回しである。両親らへの報告の手紙さえ、執務室で仕上げて小者に託す有様だ。
 領主としてこの地に来た当初と比べ、自分で書類を作る必要は殆どなくなったが、書類の量は格段に増えている。読んでサインするだけでいい、という訳にもいかないので、仕事は増える一方であった。
 特に金銭の出入りが記された書類、それに次いで土地の貸借についての書類の二つは量も多く、検算も清書もされてはいるものの、最終的にはリシャールの元へとやってくるのだ。これらの書類束は後ほど製本されて、庁舎内の資料室へと送られる。他にも裁判や調停の記録、戸籍、各種届け出など、ずっと残される物もあれば一定期間残す物もあると言った具合であった。
 書類の全てがリシャールの元へと集まるのにも、理由があった。ここはセルフィーユ市役所ではなく、リシャールを君主とする小さな王国の政府なのだ。セルフィーユでは、国家では宰相に当たる代官や領主代理を置いていない。領主が直接政治を行っているので、このような仕儀となる。
 また、これらの書類が記録として保管されなくてはならない理由は、税金逃れや二重徴収などの不正・失策の防止、年末に国へと貢納する金額を決定するための基礎資料としても無論重要だったが、セルフィーユの歴史そのものでもあることだった。無味乾燥な公文書であれど、視点を変えれば次代への歴史の証人となるのだ。少なくとも、リシャールはそのように捉えている。
 普段はここまで書類束が多くなることはないが、二週間の外遊では仕方なかった。
 合間に取る休憩が愛おしい。
「それにしても……」
 アーシャの贈り物は見事だったと、リシャールは思い出していた。

 あのような贈り物を、どうして思いついたのだろう。
 今日、庁舎へと移動するときに気になっていたことをアーシャへと聞いてみたところ、どうも原因は自分であることがわかったリシャールは頭を掻いた。
 いつだったか、公爵家の三姉妹へと手みやげを選んで持っていった時に、包み紙で中身が隠されていたことをアーシャは不思議に思ったのだが、『中身がわからないようにしてあるのは、開ける楽しみがあるからだよ』といった風なことをリシャールが返したかららしい。よく覚えていないが、彼女はそこに面白みを覚えたようだ。
 リシャールの子への贈り物は、すぐに決まった。仔竜の誕生にも贈られる、噛み応えもあって見た目も美しい色つきの水晶柱だ。韻竜にも生誕や婚姻について、親しい間柄で祝いの品を贈ったりする習わしはあるが、壊れ物を軟らかい干し草や精霊で保護することはあっても、包み紙までは用意しない。それは人間の風習だ。
 それにアーシャは、竜体のままでは肝心の包装紙を用意することが出来ない。そこで考えたのが、周囲の大地ごと削り取って、岩に包んだまま水晶柱を掘り出すことだった。これならば、『開ける楽しみ』もあるから、リシャールたちも喜ぶだろうという彼女の思いつきは、見事に当たったのだ。
 一つ残念なことは、贈られたマリーは赤子で、まだ岩を崩して中身を取り出すことが出来なかったということだろうか。それでもリシャールらが嬉しそうであったことは、アーシャを大いに喜ばせた。

 リシャールの生きているうちに叶うかどうかはわからないが、もしもアーシャが他の竜とつがいになって、子供が産まれるようならば、こちらからも何かを贈るのは楽しい未来図かも知れない。
 しかし、差し当たっては、目の前の書類束を少しでも減らさねばならなかった。仕事が遅れると帰宅が遅れ、マリーに会えるのがそれだけ遅くなってしまうのである。
 一山になっている書類を片づけたリシャールは、呼び鈴を振って小者を呼び、書類束を託した。
 入れ替わりにマルグリットが入ってくる。彼女には既にフネ二隻を手に入れた話をしてあった。当然ながら絶句されたが、すぐさまあれやこれやの統計書類を引っぱり出して、無事に乗り切れそうかどうか検討を始めるあたりは流石であった。
「リシャール様、王都商館より報告書が届いております。
 先ほど、お城のアニエスさんがこちらへと届けに来られました」
「ああ、無事に戻ったんですね。
 それは王都商館に頼んでいた書類です」
「先に目を通させていただきましたが、縁遠いはずの私でも名を存じている銀行ですから、概ね問題はないかと思います。
 特に悪い評判を聞いたと言うことも、ありませんわ」
 報告書は、調べさせていた貴族を相手に商売をしている銀行と、子爵家の依頼に相応しい格を持つ公証人のリストだった。簡単ながら、評判や相場なども記されている。
 えらく早いなと思ったが、商館の官吏達が走り回り、アニエスらがこちらに戻る馬車に間に合わせたらしい。隠された情報ではないが、それなりの手間は掛かっただろうにと賞賛する。
 リシャールも確認を取ったわけではなかったが、偽名でセルフィーユへと移住した者たちの中には、元は公職に就いていた下級貴族や、平民ながらそれなりの立場にあった者も多かった。前職に関わる仕事を任せた場合などに、時折離れ業に見える仕事ぶりを見せる者がいるのだ。単なる傭兵にしては腕の立ちすぎるアニエスなども、その一人である。
「それにしても、フネを二隻、ですか……」
「……ごめんなさい、マルグリットさん」
「いえ、お聞きした状況では、仕方のないこととは思いますが……」
 彼女がセルフィーユ家の為に苦しい財務状況で尽力を重ねてくれている事は百も承知していたから、リシャールも小さくならざるを得ない。
「リシャール様、良い方向に考えましょう。
 どちらにせよ、フネは必要なのですから」
「ですねえ……。
 遊ばせておくよりはよいでしょうが、フリゲートですからすこし躊躇いますよ。
 最初の一隻は近海航路に使うつもりでしたけど、維持費も高いし、これじゃあちょっと高性能すぎます」
 フリゲートは一般に商船の五割増近い速度が出せるものの、乗員も多く維持費もかかり、船体も想定より大きすぎる。速度は大きな利点でもあるが、同時に経済性も喪わせているのだ。
 ともかくフネより先立つものが優先かと、書類に目を通したリシャールは、僅かばかり頭を捻った。王都トリスタニアでの調査にも関わらず、一番に推薦されている銀行の名前は、ゲルマニア風だったのだ。
「ところでマルグリットさん、この銀行ってもしかして……」
「はい、お察しの通りクルデンホルフの系列です」
 クルデンホルフ大公国は、先代のトリステイン国王によって大公に封じられた当主を祖とする独立国であるが、外交や軍事をトリステインに大きく依存する衛星国でもある。だが、その立地や政治的な配慮から、クルデンホルフ家はゲルマニア寄りの立ち位置をとることが珍しくない。大公国を象徴する竜騎士隊からして『ルフト・パンツァー・リッター』などと、ゲルマニアを意識した名前であった。無論、その立ち回りが独立を維持するための大きな力となっていることは疑いない。
 また、主家であるクルデンホルフ大公家は、ハルケギニア有数の大金持ちであることも知られていた。トリステイン、ガリア、ゲルマニアなどの大国の貴族に対して、第三国であることを活かした貸し金業も営んでいるが、トリステイン国内には特に影響力を持っている。
「クルデンホルフならば、信用はおいてもいいかなとは思うんですが、どうです?」
「ええ、相手が相手ですから、裏通りの高利貸しのようなことにまではならないかと思います」
 規模は比較にならないが、リシャールがラ・クラルテ商会に後ろ暗いことをさせられないのと同様、クルデンホルフ家も傘下の銀行に無茶な取り立てや契約の一方的な変更をさせられない筈であった。家の面子に関わるし、銀行自体の信用を大きく損なうことになるからだ。非合法な部門は別にあるのかも知れないが、そちらに関わるつもりは全くないし、そこまで追い込まれてもいない。
「あとは公証人ですが……これは、会ってみるしかないようですね。
 評判も似たり寄ったりのようです」
「父に聞いてみましょうか?」
 マルグリットの父セルジュは、リシャールの実家のあるアルトワでも一、二を争う大きな商家の会頭である。王都にも店を出しているから、そちら方面にも詳しいかもしれない。
「そうですね、お願いしていいですか?」
「はい、畏まりました。
 あの、父には……」
「ええ、借金のことは隠さなくとも良いです。もちろん、担保の方も。
 ……誰彼構わず吹聴されても困りますが、セルジュさんなら大丈夫でしょう」
 大まかではあるが、金額と期間も決めてある。
 四万エキューを最短で一年、利子は年利五割として返済額は六万エキュー。
 祖父らへの借金と合わせて来年度の返済額は十万エキューにはなるが、余程の天災か、セルフィーユが戦争の舞台になるようなことでもなければ、十分に返済が可能な金額と見ていい。この点については、マルグリットも意見を一致させていた。
 また、余所から金を借りることにはなるが、リシャールは特に隠そうとはしなかった。返せない借金をしようというのではない。また、万が一祖父らに知られても、小言を貰う程度で済ませられる……とは思っている。返済計画書を提出できるぐらいには、しっかりとした裏付けがあるのだ。
「ふふふ、はい。
 では、そのように伝えます」
 その後、フロランに急ぎで出させたマスケット銃の増産計画書などを検討してマルグリットが退出した後、いつの間にか増えていた新たな書類の山に、リシャールはため息をついた。

 ようやく明日明後日中には、どうにか平常業務に戻せる程度に仕事を終えたリシャールは、自らに帰城を許し、家路を急いだ。
 残念ながらマリーは寝ていたが、だからと愛情が曇るわけではない。
 椅子をカトレアらのいるベッドの傍らに寄せ、そっと顔を近付ける。
「いやあ、いくら見てても飽きないね」
「あら、わたしの顔は見飽きたかしら?」
「それはあり得ないよ」
 大事をとりすぎかとも思ったが、リシャールは一週間ほどはベッドの上で過ごすようにとカトレアに厳命していた。産後に突然体調を崩すことはよくあるとの話も聞いていたので、医者にも相談をした上でこのように少々過剰な対応を心がけている。過保護すぎるかとも自分でも思うが、結果、何事もなければそれで良いのだ。
 幸い、多少の疲れを見せていたカトレアも、今はリシャールが見る限りは健康そうである。無理をさせなければ、彼女はすぐにも普通の生活に戻れるだろう。
 一方、マリーの方は泣き声が大きくてよく動くので、医者も乳母達も健康面では太鼓判を押していた。アーシャの見立ててでは、水の精霊の影響はあるが、カトレアと違って問題にはならないと聞かされ、一安心をしたリシャールだった。
 そっと、小さな手のひらに指を乗せてみる。無意識だろうが、ゆっくりと握られていく手に、ついやにさがった笑顔になってしまうのを押さえきれない。
 この数日で、頬に触ると泣かれるが、手なら泣かれないと理解したリシャールである。
「うん、あったかい」
「ええ」
 少しくすぐったいが、実に心地良い。
 本当は抱き上げてみたいが、まだ首も座っていないから今ひとつ心配だ。
 昨日も乳母やカトレアの介添えによってようやく胸元に抱き上げることが出来たぐらいで、男親としてはこのあたりが限度なのだろう。おっかなびっくりだったが、それでも、我が子の重みを感じることだけは出来た。
 間近にマリーの顔を見て、やはりカトレア似だと思いながら、将来はどのような子に育つのだろうかと夢想してみる。

 アーシャの見立てでは、マリーは水に愛されているという話ではあるが、水のメイジとして将来を約束されたわけではなかった。彼女の両親であるリシャールもカトレアも共に土メイジだが、父方の祖父は土で祖母は水、母方の祖父は水で祖母は風、両家共に数代遡れば火メイジのご先祖様もいるから、どの系統が出ても不思議ではない。
 祖父や義父らには、産まれたばかりの赤子がどの系統か論じたところで、それこそ始祖のみが知る未来図なのだと笑われた。もっとも、祖父も義父も、目尻の皺が自分に似ているだの、つむじの向きが自分と同じだの、なにやらよくわからない理由付けをしては、自分達と同じ水系統だろうと言って譲らず、女性達からは少しばかり呆れられていた。
 それでも、マリーは水系統の可能性はかなり高いのではないかと、リシャールは思っている。アーシャの見立てで異常が見つけられないほどに水の精霊が馴染んでいるのならば、水メイジ、もしくは水ともう一つの二系統に強いメイジとして育つのではないかと考えていた。
 リシャール自身は無論、土系統を得意とする土メイジだが、他は土メイジを名乗るならば及第点を与えても良いかという程度で、得意とは言えなかった。火や風よりは多少ましな水の魔法にしても、水のドットであるアルトワのクロードほどの力はないから、使い勝手がよいという程度で、大怪我を治療するような力はない。だが、二系統を二つながら得意にして使うメイジはいたし、有名なところではガリアのとある王子が四系統全てを得意としていたなどという話もある。
 ではマリーが将来、どのような系統のメイジに育つのかとなると、それは確かに、未来を楽しみに想像するしかない。
 ……始祖は何とも都合の良い言い訳でもあるのだ。

「リシャール、どうしたの?」
「えっ!?」
 真剣に考えだして、暫く時間が経っていたらしい。
 不思議そうな顔をするカトレアに、ああ、これが親馬鹿かと何も言わずに一人頷いたリシャールであった。
「ごめん。
 ……ついね、あれこれと、マリーのことばかりを考えてしまうんだよ」
「リシャールが考えごとをするのはいつものことだもの、仕方ないわ。
 でもね、リシャールがわたしやマリーのことを大事に思ってくれて、そのことで色々考えたりしてくれるのは嬉しいけれど……」
「うん」
「わたしの身体と一緒で、無理はいけないのよ?」
「……そうだね」
 なるべくなら余計な心配事をさせたくはないのだが、カトレアにはお見通しのようである。
 どうにも分が悪いが、これも一つの幸せかと、リシャールは笑ってみせた。
 
 マリーの誕生や祖父らの来訪より数日、リシャールは再び王都へと向かった。後ろ髪引かれる思いであったが、家が破産してはカトレアやマリーに顔向けが出来ない。将来、マリーか、マリーの夫に無事家督を譲って初めて、リシャールはセルフィーユ家当主としての責務を全うしたことになるのだ。
「きゅー?」
「ああ、うん。大丈夫だよ、アーシャ。
 行って来るね」
「きゅい」
 既に王都別邸の隅には、裏庭の一部を潰してアーシャ用の巨大な寝床が建っている。馬小屋を巨大化したような四角い竜舎ではなく、ギーヴァルシュの海岸に建てたのと同じく、ドーム型をした半円形の建物であった。壁に近い高さなので多少見栄えにも気を使っていたが、基本は同じだ。
「領主様、馬車の用意が調いました」
「うん」
 リシャールは御者に住所の書かれた紙片を渡し、馬車に乗り込んだ。
 先ず向かう先はコフル商会王都支店。会頭のセルジュが公証人とともにそこで待っているはずだった。
 マルグリットの父セルジュは同席を許されるならという条件で、公証人の手配から銀行との繋ぎまで、全てを引き受けてくれた。無論、善意も含まれているが、貴族向けとは言えど、大手の銀行との繋がりを得ることは、セルジュにとってもうま味のある話にはなっているのだ。
「セルフィーユ子爵閣下、お初にお目に掛かります。
 私はジャン・パトリック・ド・フェヌロンと申す者、セルジュとは浅からぬ縁でしてな」
 フェヌロン卿はセルジュと同年輩の貴族で、聞けば息子に家督を譲って引退した前男爵だという。悠々自適な王都生活の合間の、ちょっとした刺激と小遣い稼ぎを兼ねて、貴族だけでなく上流の平民相手にも公証人を引き受けているそうだ。
 平民が貴族と交渉ごとを持つ際に自衛のために雇うのだが、貴族が平民から仕事を受けるというと、リシャールなどには少々違和感があった。
 だが、実際には貴族籍を持つ公証人は多い。正確には公証人などという『職業』に就いている貴族はいないことになっているのだが、実質は商売でも物の売り買いではない故に咎めだてはない。雇われる側の貴族にしても、公証人として立ち会って謝礼を受け取るだけならば、自らのプライドと懐が同時に満たされる。
 その立場を利用して悪事に手を染めるならば話は別だが、難しいことも要求されない。それなりの血筋と余計なことを言わない分別があれば、誰にでも出来る仕事だった。
 ちなみに今回のリシャールのように借金を申し込む場に立ち会う場合、公証人への謝礼の相場は一分から二分である。
 馬車はセルジュの店から目と鼻の先とまではいかずとも、徒歩でもよかったんじゃないかとリシャールに思わせるほど近い距離で止まった。
「おお、着きましたな。
 こちらのヴァイルブルク銀行には、私も幾度か足を運んだことがありますのでな、なに、心配事はございませんぞ」
 馬車を降りたリシャールの眼前には、立派な造り……いや、金の掛かった造りの建物がそびえ立っていた。
 セルジュらが先に話を進めていたせいもあり、中の貴賓室にはすぐに通されたのだが、少しばかり様子がおかしい。
 立派な身なりの支店長と挨拶を交わし、早速契約の確認に入ったのだが、過剰に警戒されているような気がしたのだ。
 リシャールは子爵ではあるが、見かけは子供か、よく言って貴族の若様である。大銀行に相応しく、子供相手にも奢らず卑下せずという堂々たる態度で応対をされたのであれば、リシャールも疑問にも思わなかった筈だし、流石一流どころだと頷いただろう。
 そうでなくとも、継続しての取引や取り込みを謀って下にも置かない歓迎振りを示されたり、逆に若造として舐められた態度を取られたりするのならば、相手の意図が見える分、理解は出来る。
 貴族相手の金貸しが本業で、それもトリスタニアの王都で支店を任されている人物にしては、あからさまに過ぎるのだ。
 セルジュとフェヌロン卿もそのことには気が付いているようで、訝しげな視線を向けていた。
 だが契約自体には不備がないようで、リシャールは大きい方の『ドラゴン・デュ・テーレ』号を担保として、無事に四万エキューを年利三割の一年契約で借りることが出来た。この時点では、担保を用意したことで回収のリスクが減った分、利率が下がったとリシャールは思っていた。
 だが、それでもやはり聞いておくべきかと、リシャールはセルジュらに目配せをしてから、契約を終えて汗を拭く支店長にずばり切り出してみた。
「支店長殿、こちらの側に何か間違いでもありましたか?」
「い、いえ、滅相もございません!」
 幾度か押し問答のようなものが繰り返されたが、最後に一言だけ、支店長は口にした。
「その……子爵閣下、貴方様は次代のラ・ヴァリエール公爵と伺っております」
「はいっ!?」
 これも一つの、義父の大きすぎる影響力なのだろうか。利率が交渉前から平均的なものより低く押さえられていたのも、このおかげかもしれない。
 それにしてもそこまで警戒するほどのことなのか、リシャールには判断がつかなかった。
 だが、一つ思い出したこともある。
 独立国であり、宮中序列に於いても家格が上である筈のクルデンホルフ大公が、園遊会では到着すぐに向こうから義父に挨拶に来ていたのだ。
 序列だけでは計れない力関係が、そこにはあるのかもしれない。図らずも、リシャールはその恩恵に預かったわけだ。
 支店長の誤解を解くべきかどうか迷いながら、リシャールはセルジュ達に苦笑して肩をすくめて見せた。






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