ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第七十九話「帰国」




 『クーローヌ』とリシャールの持ち船二隻は無事、ラ・ロシェールの桟橋へと到着したが、そこからが急に忙しくなった。いや、忙しくしたと言うべきだろうか。
「これにて旧『アラクリティー』号は『ドラゴン・デュ・テーレ』号、旧『インプラカブル』号は『カドー・ジェネルー』号として登録されました。
 両船ともに船籍はセルフィーユ、船主はリシャール・ド・セルフィーユ子爵閣下。
 ……以上で相違ございませんか?」
 入港作業は二人の役務艦長に任せ、リシャールはルイ・アベル候補生を案内役に、港の事務所へとやってきた。宙ぶらりになっている船籍の登録を、先に済ませる必要があったのだ。
 手続きはそれほど厳格でも複雑でもはなかった。船長が決まっていないせいでもあるが、これにはリシャールが諸侯であることが大いに影響していた。船主としての信用度は、並の商人とは比較にならない。
「はい、結構です」
「おめでとうございます、閣下」
「うん、ありがとう」
 晴れて二隻のフリゲートはリシャールの所有物と認められたわけだが、無論、ラ・ロシェールで済ませねばならない事柄はまだまだ控えている。

「それにしても、『ドラゴン・デュ・テーレ』に『カドー・ジェネルー』ですか。
 何故、ご自身や領地のお名前をお付けにならなかったのですか?
 そちらの方が一般的ですし、商船ならば宣伝にもなると思うのですが……」
 『クーローヌ』へと戻る道すがら、ルイ・アベルと雑談を交わすリシャールだったが、その質問には苦笑せざるを得なかった。
「『ドラゴン・デュ・テーレ』は、使い魔から取ったんだ。
 大地の竜、ではそのまま過ぎだけど、彼女は以前、座礁した船から船員を助けるのに大活躍したからね、縁起を担いだんだよ。
 『カドー・ジェネルー』の方も、そのままと言えばそのままかな。
 気前のいい贈り物。……まあ、つまりは、アルビオン王家への感謝を込めたってところだね」
「なるほど、そうですか……」
 ルイ・アベルら士官候補生も含めて艦内で非公式に行われていた賭けでは、『セルフィーユ』、『リシャール』、そしてどこから漏れ出たのか『カトレア』が船名の有力候補として掛け金を集めていた。
 無論それらの候補は、トリステインの船主が命名しそうな名前としては至極真っ当だったが、リシャールはそれらを一蹴した。内なる感覚が、大いに邪魔をしたのだ。
 フネに自分の名前をつけるのは、考えただけでも恐ろしいことだった。前世の名前に置き換えてみれば、その違和感の凄まじさは余すところ無く表現できる。

 フリゲート『山本優一』号。

 『リシャール・ド・セルフィーユ』だからいい、と言う様なものではない。
 リシャールも、フネの名に人名が多く使われている事は知っていたが、流石にこれは勘弁だった。それに自分の名でなくとも、生者の名前はフネが沈んだときに体裁が悪い。同じ理由で、『セルフィーユ』と名付けるのも却下だ。
 二隻とも元はフリゲートであり、一般の商船よりも優速かつ堅固であるからそうそう喪われるものではないとは思っているが、事あるごとに名前を連呼されるのもやはり困るのである。
 結局、選ぶなら一般的なものがいいなと頭を捻ったのだが、セルフィーユと関連性のない地名は却下だったし、かと言って領内の地名では、名付けられなかった村から不平が出そうだった。抽象名詞は格好が良いが、軍艦に多く使われていて商船としては悪目立ちしそうだったのでこれも外した。過去の偉人でもいいのだが、こちらはしっくりとくるものがない。
 そのようにして時間を消費したあげく、『ドラゴン・デュ・テーレ』の方は前もって考えていた幾つかの名前から選んだのだが、もう一隻の『カドー・ジェネルー』には、自身に向けての皮肉と戒めも少しばかり込められている。
 残念そうなルイ・アベルは先に挙げたいずれかに賭けていたのかも知れないが、勝負は流れて掛け金はそれぞれの手元に戻っていた。
「これじゃあ、正解者はいなかっただろうね」
 リシャールは残念だったねと笑って、彼の肩を軽く叩いた。

 次にリシャールが向かったのは、トリステイン最大の軍港でもあるラ・ロシェールの中枢とも言うべき艦隊司令部だった。フーレスティエ艦長を伴って挨拶に行き、持ち船の回航に手間を掛けさせたことを詫びた上で、リシャールは新たな面倒を持ちかけることにしたのだ。
 但し、前もってフーレスティエ艦長を抱き込んであるところがミソである。そうでなくては、司令部に話を持っていくのも苦労しただろう。
 リシャールは今、ラ・ロシェールの艦艇全てを預かる艦隊司令長官ラ・ラメー伯爵を前に、熱弁を振るっていた。
「今年いっぱい、出来れば来年の頭まで預かって貰えませんでしょうか?
 もちろん、訓練などには使っていただいても構いません」
「ラ・ラメー閣下、小官は口添えを依頼されましたが、子爵閣下のご希望は、空海軍にも利益ある良案だと判断いたしました」
「ふむ、説明したまえ」
 リシャールは、持ち船には船長はおろか船員もおらず、領地にフネを運用する為の空港もなく、手に入れたはいいが途方に暮れていることを説明した。後を引き取ったフーレスティエ艦長が、たった二隻のフリゲートとは言え、役務艦長に任じられた二人を含め、士官准士官の訓練に大きな効果があったことを報告する。更には員数外であるから、有事の艦隊行動に極端な影響が出ないことも合わせて説いた。
 ちなみにトリステインを含め、ハルケギニアの空海軍には練習艦という訓練専門の艦種が存在しない。一時的に訓練航海に出ることはあっても、動くフネはほぼすべて何らかの任務につけられる。近い存在として、航海に耐えないほど古く痛んだ艦を桟橋に固定し、宿泊施設を兼ねた新兵教育の場として使うことはあったが、実際にはフネを使う方が好まれた。
「そう言った理由であれば、フーレスティエ艦長の判断を指示しよう。
 細部は艦長に一任するが、要請があれば他艦からの士官も受け入れるように」
「は、了解いたしました」
「ありがとうございます。
 ラ・ラメー閣下のお心遣いに感謝いたします」
「いや構わぬよ、セルフィーユ子爵。
 実益と負担を天秤に掛けて判断したまでだ。
 貴卿は確かに良い提案をしてくれたと、この私も思う」
 リシャールは運用の見通しが立たないフネを空海軍に貸し出し、年末までの港湾施設使用料や係留料金を浮かせる手はずを調えることにしたのだ。就航は少し遅れるが、船長を探す時間も考えると、そう長い期間とは言えない。
 何らかの理由付けをして空海軍から船長船員を借りることは決して不可能ではなかったが、船長も含めた最低限の航海要員の派遣料金に加えて運行費用の捻出を考えねばならなかった為に諦めた。セルフィーユに港を整備するまではラ・ロシェールを母港として運用するにしても、仕事の手配はセルフィーユ側で行わねばならず、こちらも手の回しようがないのだ。無理を重ねるのは得策とは言えなかった。
 念のため、貸船料を一切要求しない代わりに、破損や喪失があった場合に空海軍が責を負うことを明記した契約書が交わされたが、リシャールもラ・ラメーも、どちらも実際に発効するようなことにはなるまいと、高を括っていた。大嵐を突いて訓練に出るようなことはないだろうとはリシャールにも想像がついたし、ラ・ラメーも、訓練中のにわか士官を乗せた艦を実戦配置につけるつもりはなかった。
「上手くいきましたな」
「ええ、艦長のおかげですよ」
 フーレスティエ艦長は、艦長職のままではあったが、麾下にリシャールのフリゲート二隻を配した臨時の戦隊司令官を兼任することをラ・ラメーに承認された。正式な任官には間があるものの、口振りからするとその期間は若干縮まったようである。自分の出世の糸口にもなったと、リシャールは大いに感謝された。
 ここまでの手配りを終えたリシャールは再び船客となり、『クーローヌ』は、ラ・ロシェールに居残った役務艦長らに見送られて王都へと出航した。
 リシャールは、本当ならば市街に降りて船長募集の手配なども済ませたかったのだが、二度手間になったとしても、流石に特使としての役目を疎かにするわけにもいかなかったのだ。

 翌朝、トリスタニアへと到着した『クーローヌ』を下船したリシャールは、乗組員より帽子を振られて送り出され、すぐに王城を目指した。荷物などはフェリシテらに任せている。
 ともかく、使者の職杖と懐に入れた手紙をなんとかしないことには、特使の仕事が終わらない。
 いつものように王城の竜発着場にアーシャを降ろし、一撫でしてから兵士の案内で城内へと入っていったが、姫君は公務中ということで、しばらく待たされることになった。フネの到着時間は天候や風に大きく左右されるから、こればかりは仕方がない。
 中途半端に時間が余ってしまったリシャールは、先にマザリーニへと報告と挨拶を済ませようとした。
「ご不在なのですか!?」
「はい、宰相閣下は昨日昼、ロマリアに向けて出発されました」
「ロマリア!?」
 宰相府の入り口で官吏に声を掛けて取り次いで貰おうとしたリシャールは、マザリーニの不在を知らされた。内務に外交にと忙しい宰相が城にいないなど、滅多にないこととされている。リシャールも驚いた口だ。
「ご存じないのですか!?」
「今朝アルビオンより戻ったばかりで……何かあったのですか?
 差し支えがなければ、教えていただきたいのですが……」
「はい、閣下。
 まだ国内への発表はされておりませんが、昨日ロマリアより教皇聖下の訃報が届けられました。
 宰相閣下は葬儀に列席する為、急遽こちらを立たれたのです」
「教皇聖下が!?」
 確かに大きな事件だ。
 ブリミル教の教皇はブリミル教徒の頂点にも位置する人物であると同時に、ロマリア連合皇国の指導者でもあった。内外への影響力は、非常に大きい。
「はい。
 もしかすると、宰相閣下は国にお戻りになられない可能性もありますので、我々も難儀しております」
「……なるほど。
 ああ、忙しいところ申し訳ありませんでした」
 忙しそうな官吏に礼を言い、リシャールは控え室へと戻った。
 マザリーニがトリステインへと戻らない可能性。リシャールも、それはクレメンテより教えられていた。
 マザリーニは、聖職者としての経歴や一国の宰相として示した実力から、次期教皇の座に最も近いと噂される人物なのだ。
 王都にいるうちにマザリーニとは少し話をしておきたかったのだが、それどころか会いに行くのも苦労するような距離と立場になってしまう可能性もあった。ジェームズ王が評したように、トリステインの王政府にとっても真実重要な屋台骨なのだ。貴族達がどう思っていようと、その事実は変わらないし、官吏達には切実であった。更にはリシャール個人としても、殆ど知り合いの居ない王政府の中で一番結びつきが強い人物であり、それが喪われてしまうのは痛い。
 祈ってどうにかなる問題ではなかったが、懐の聖印に手を伸ばし、マザリーニの帰国を心より願うリシャールだった。

「お帰りなさい、リシャール。
 アルビオンはどうだったかしら?」
 更に半刻ほど待たされてから、リシャールはようやくアンリエッタへの面会を許された。職杖の返上は既になされている。、今はアンリエッタから奥の間に呼ばれ、詳細な報告という名目ではあったが茶菓子などをつまんでいた。アンリエッタへの土産としたアルビオンの景勝地が描かれた絵皿のセットは、公務の終了を待つ間にリシャールの元へと届けられたので、既に侍女に預けられている。
「はい、大いに歓迎していただきましたよ。
 任務は無事に成功したと、自負しております」
「そう、それは良かったわ。
 それから……」
 既に侍女たちは下げられているが、アンリエッタは少し言いにくそうにして、リシャールの方を見た。
「はい、もちろんウェールズ殿下からのお預かり物もございますよ」
 リシャールが懐からウェールズの手紙を取り出すと、差し出す間もなくアンリエッタによって奪い去られてしまった。真っ赤になって手紙を見つめているところを見ると、余程楽しみだったと見当もつく。
「ウェールズ様は……その、えーっと……、何か仰っていたかしら?」
 ウェールズにも同じ様な事を聞かれたかと、リシャールはくすりと笑ってしまった。従兄妹だけあってこのようなところも似ているのだなと、微笑ましい気になる。
「リシャール?」
「あ、いえ、失礼しました。
 ウェールズ殿下に手紙をお渡ししたときも、ほぼ同じ質問をいただきましたので、それを思い出してしまいました」
「まあ!」
 それを聞いたアンリエッタの眉が、ぴくんと跳ね上がる。
「それで、リシャールは何と答えたのかしら?
 ……嘘を言ったら承知しませんよ?」
「えー、はい……」
 ぐいっと身を乗り出して睨むアンリエッタは子供っぽくもあり、ルイズに接するような気分にもなったが、リシャールは姿勢を正した。時々忘れそうになるが、気安さはあっても相手は自国の姫殿下である。
「リシャール」
「はい、ウェールズ殿下には、姫殿下が私に手紙をお預けになられた時、はにかんでおられたと申し上げました」
「……」
「ウェールズ殿下は大層お喜びになられていましたよ。
 優しげな笑顔で私に『ありがとう』と口にされてから、大事そうに懐へと手紙を収められました」
 見る間に再び赤くなったアンリエッタに、自分が居ては手紙も開けないだろうと、リシャールは早々に王城を辞した。
 フネとマスケット銃を取引した時の事を、裏事情を隠して話をしても面白かったかもしれないが、一つ思いついたことがあったのでそれはやめておいたのだ。
 十年ぐらい後に、笑いながら『あのときは本気でどうしようかと思いました』と二人を前に話した方が、より楽しいかと考え直したのである。

 さて、十年後はともかく、今は本気で困っているので悠長なこともしていられないが、別邸へと帰ったリシャールは少しのんびりとしてから、金策について可能な方法をまとめはじめた。今の時間ならば夜半過ぎに帰れないこともなかったが、公務に船旅にと、少し疲れが出ていたのだ。
 十代前半の若い身体は回復力満点なのだが、大人ほどの耐久力持久力は望めない。身体が二度目の少年時代を過ごしているリシャールは、それをよく知っていた。

「どこからか借りるのが無難かもしれないけど……」
 今問題となっているのは、時間の方である。
 二ヶ月と少しで元手なしに三万数千エキューを稼ぐか、あるいは元手数千エキューを四万エキューに増やすかという、時間勝負なのだ。
 街道の工事を休止して工費を一時的に浮かせたり、増税することはもってのほかであった。領民乱やサボタージュまでは行かなくとも、領主に対して不審を抱くには十分すぎる。セルフィーユ家は創家二年足らずで、まだまだ土台が不安定であると自覚はしていた。その場はなんとか出来ても、長期に渡って影響が残るような政策は取れない。
 また、以前と違って領主としての仕事が増えているので、余暇の全てを利用して武器防具を作っても、残念ながらその金額の半分強を補うのが限界である。投資額の割に効果の高いものや、安定した収入を継続的に約束してくれるような領内政策は、既に行使されるか、その準備がされていた。製鉄所の拡張は実行するつもりだが、その効果は建設費用を考えればそう大きな利益を短期間に約束するようなものではない。
 だが、金を借りるのも、これはこれで問題があった。風聞の問題は今更だったが、利子の方も無視できない。特に諸侯や貴族向けの高利貸しは平民向けのそれよりも利子が高く、年利が四割五割ならば比較的まともと言えた。法の整備云々と言うよりも、契約書の効力が優先されているのだ。それでも商売として成り立っているあたり、需要はあるのだろう。
 リシャールが領地を取得したときのように、親族や親しい知人などから借りられる場合はともかく、それが出来ない場合の駆け込み先でもあったから、当然足元を見られるのだ。
 加えて、保証人の問題もあった。借り手であるリシャール自身の地位のおかげで、少なくとも立場的に諸侯と同等の保証人を立てる必要がある。
 この点が、リシャールが金を借りる上で最大の問題点だった。保証人として立てられそうな条件に合う親族知人は、既に金を借りている祖父ら三人と義父ぐらいだが、絶対に頼むことの出来ない面々でもあるのだ。
 時間に余裕が出来るのなら、四万エキューを借りて年利五割の利子でも返済する自信はあった。半年から一年、時間を余計に稼ぐことが出来れば、武器工場は復帰するし、自身の錬金鍛冶もある、今年度末の領税でも幾分補えるだろう。
 問題となっているのは、やはり、時間であった。

「……様、旦那様?」
 文机の上の、金策について書き殴った紙片に集中していたリシャールは、呼ばれていたことにしばらく気付かなかった。
 振り向くと、トレイにのせた茶杯を持ったメイドのジネットが立っている。随分と待たせたらしい。
「ごめん。……いただくよ」
「はい、失礼します」
 茶杯に口を付けようとしたリシャールは、自分がかなり身体に力を入れて考え事をしていたことに気付いた。肩と腕からぱきんと音がしたほどだ。
 やれやれと、ついでに伸びをする。
 ふと、ジネットの視線が気になってその先を追うと、彼女は文机の上の紙片に注目していた。
「ああ、借金の返済についてあれこれ考えていたんだよ」
「……やはり、お困りなのですか?」
「うん、少しばかりね。
 これ以上親族から借りるわけにもいかず、かと言って余所から借りるにしても、保証人は頼みにくいからね。
 ……こんな時、ジネットならどうする?」
 リシャールは戯れに聞いてみた。
 アルビオンへと同行した彼女はフリゲートの件も知っていたから、隠し立ての必要はない。
 彼女は城に勤める水メイジで、新教徒の父を持つ移住組の一人でもあった。確かめたことはなかったが、普段の言動からすると明らかに貴族の出身で、父親の雰囲気からするとガリアの出身かと想像がつく。父親も無論メイジだが、今は庁舎に三人居る主任司法官のうちの一人として、裁判や調停を任されていた。
 そんな彼女であったから、セルフィーユ家で新たに読み書き計数や作法を教えずとも、メイジであることも含めて即戦力に近い状態で城勤めに採用されたし、ちょっとした相談事を持ちかけても、なにがしかの答えを自分なりに考えて答えを返してくれる。
 そこに少しばかり期待したのだ。一般的な答えでも、改めて聞くことで、問題の根本に立ち返って考えを進めることが出来るかも知れない。
「そうですね……」
 彼女は口元に手を当てて、僅かに考え込んだ。
「家財道具や装飾品を売るか、売るのが勿体ないなら、質屋に持ち込むかして、とにかく当座のお金を確保する……でしょうか?
 必要なときに間にあわないと、それどころじゃありませんもの」
 余計にお金が出ていきそうですが、と笑いながら付け加える彼女だったが、リシャールはその発言を聞いて黙り込んだ。
 金を借りるのに保証人が立てられないならば、質草、つまりは担保を用意すればいいと気付いたのだ。契約書が発効しない限り、担保の所有権は借り手の側にあると見なされるから、借金を返す前提ではあるが、これならばアルビオンに気兼ねすることはない。ラ・ロシェールにあるフリゲートか、ラ・クラルテ商会の工場ならば、十分にその役を務められるはずだった。
 思考が偏り過ぎていたのかも知れない。利子は高くつくが、彼女の言うように、ともかく時間と当座の金を用意出来る。担保があるなら、保証人も頼まなくていい。もっと早く気付くべきだったかと悔やんだが、まだ間に合う。
「ジネット!」
「は、はい?」
「ありがとう! ちょっと出かけてくるよ!」
 リシャールは少し冷えていた香茶を一気に流し込み、日暮れ過ぎには戻るからと言い残して王都商館へと馬車を走らせた。別邸からは、魅惑の妖精亭よりは遠いが、それほど離れているわけではない。商館にはすぐ到着した。
「部屋を用意して下さい。
 ……少し用があるので」
 突然の領主訪問に驚く商館駐在の官吏らを集めると、諸侯相手に金貸しを行っている銀行とそれなりの格式を持つ公証人を探して、評判などを下調べしておくようにと命ずる。
 後は領地で報告を待ち、しかるべき手続きを行えばいいだろう。
 少しだけ肩の荷を降ろしたリシャールは、再び馬車に乗り込むと、今度はゆっくり別邸に戻っていった。

 翌日、荷物などは馬車のアニエスらに任せ、アーシャで一飛びにセルフィーユへと戻ってきたリシャールだったが……。
「領主様がお戻りになられたぞー!!」
 石壁の見張り台の上から大音声で叫ぶ警備の兵士に、何事かと身構える。
「きゅー?」
「とりあえず降りて話を聞かないと……。
 アーシャ、玄関前に!」
「きゅ!」
 いつもはアーシャが翼を広げたまま降りても大丈夫な裏庭を使うのだが、急ぎの用があるならそのようなことは言っていられない。
 玄関の上空でリシャールは飛び降り、杖を振るって着地した。
 ほぼ同時に扉が開かれ、血相を変えたジャン・マルクがこちらへと走ってくる。
「ジャン・マルク殿!?」
「リシャール様!
 奥方様が、産気を訴えられております!」
「ええええええー!?」
「さ、お早く!」
「う、うん!」
 リシャールは、帰城してからカトレアと話そうと思っていた土産話などを全て忘れ、全速力で駆け出した。






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