ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第七十八話「顛末」




 リシャールがウェールズらとの交渉を終えてハヴィランド宮の内奥から出てきたのは、午後も遅くなった時間であった。マスケット銃の売買契約書やフネの譲渡証明書など、そこそこの厚みになってしまった書類を携えての帰還である。
「大使殿、大変にお待たせいたしました」
「いやいや、お気になさらずとも。
 して、成果はいかがでしたかな?」
「最低限の仕事は為した、と思います。
 勝者はアルビオン王国、ウェールズ殿下、そしてトリステイン王国。
 ……敗者は私自身、でしょうか」
「それはまた、ご苦労でしたな」
 とりあえずは関係者の顔に泥を塗ることもなく、各方面に醜態をさらすこともせず、一番大事な役目を終えられたとは思う。今後を考えれば酷い頭痛がしてくるが、今日明日でどうにかなる問題ではないので今は棚上げしておくことにした。
 釈然としないながらも、事の次第だけはクーテロ大使へと報告すると、まあそんなものでしょうと頷かれたにとどまった。よくある話なのだろう。
 苦笑混じりに送り出されたリシャールは、次の公務の準備のために宿屋へと戻ることにした。

 この日の公務は、先ほど無事に終わった謁見と、ミドルハムの離宮で行われる夜会への出席の二つであった。
「さあ、これで大丈夫ですわ」
 フェリシテに手伝わせ、夜会着への着替えはいつものように素早く済ませたリシャールだったが、一つだけ首を傾げてから、表に出されていたマザリーニより贈られた聖印をシャツの下にしまい込んだ。
「あら、隠してしまわれますの?」
「うん、勲章ではないからね」
 その聖印は、リシャールが持っているほとんど唯一の装身具だった。フェリシテはそのあたりを考えたのだろうし、正装の一部として身につけても見劣りしないものだが、今ひとつ乗り気がしないのだ。
 贈られて以来、必ず身には付けてはいたが、ブリミル教に関わる儀式以外では表に出さないようにしている。騎士団長の印でも聖職者の証でもないが、リシャールはその聖印を重みのあるものとして受け止めていた。
「では、はやく佩用出来るような勲章を貰っていただかないといけませんわね。
 リシャール様はアクセサリーがお嫌いらしいと、ヴァレリー様が嘆いてらっしゃいましたわ」
「まあね……」
 自分で作ったカトレアとお揃いの指輪はともかく、装身具を身につけないのは気恥ずかしさが先に立つせいでもあったが、自分用に買うぐらいならカトレアにプレゼントするべきだとの意識が強かった。
「帰りはいつになるかわからないので、先に寝ておくようにしてください。
 明日は今日よりも忙しくなると思いますからね」
「はい、畏まりました。いってらっしゃいまし」
 アニエスを連れたリシャールはフェリシテに見送られ、アルビオン側から差し回された馬車で宿を出た。

 しかし、今日の夜会を考えるとため息が出るリシャールである。
 本日の夜会は、『トリステインからの友人を歓迎する夕べ』と題されていた。……つまり、主賓なのだ。
 自身が主役となる集まりは結婚式とお披露目で十分に懲りていたが、当然ながらこの夜会も逃れられない集まりだった。
 しかも、招待主こそリシャールと仲がよいブレッティンガム男爵エルバートであったが、会場はミドルハムの『離宮』で、主立った出席者には王政府の外務卿フィンドレイター伯爵、エルバートの上官で王立空軍の第一竜騎士大隊長サー・ランズウィック、自国の大使クーテロ男爵らと、先日セルフィーユを訪問した『ウェセックス伯爵』ことウェールズもいると聞いている。
 上記の人物に加え、こちらから挨拶周りをせねばならない人物が参加していた場合には、クーテロ男爵に耳打ちして貰えるように約束は取り付けてある。エルバートも紹介はしてくれるだろうが、こちらでも気を付けておくにこしたことはない。
 窓から見える街並みを眺めながら、同じ諸侯でも祖父のように悠々自適な生活を送るにはどうすればよいものやらと考える。もうすぐ子供も産まれようかというのに、のんびりしている暇もない。
 また、フネの方も問題だった。
 ロンディニウムにいるうちに、いっそ小さい方の『インプラカブル』を売却しようかとさえ考えてしまう。フネ二隻の同時運用は商人として、またセルフィーユの領主として非常に魅力的であったが、二隻あれば色々と出来そうな反面、一隻だけでも大変な負担が少々重くなりすぎる。マスケット銃が売れたのはいいが、大事な現金収入が一時的に封印されてしまったに等しいのだ。どこかで埋め合わせをしなくては、最短二ヶ月で本当にセルフィーユ家が破綻してしまう。この話がもう三年先ならば喜んで飛びついたはずだが、それは今更にすぎた。
 『アラクリティー』は流石に勿体ないが、古い方の『インプラカブル』でも売れば数万エキューにはなる筈だった。これならば、今年の年末は乗り切れそうだ。それとなくウェールズには告げておかなくてはならないだろうが、明日にでも船を扱う商人を探してみようかとリシャールは考えた。

「間もなく到着です、リシャール様」
「ああ、はい」
「随分と考え込まれていましたが……?」
「……はあ」
 リシャールは、苦笑気味のアニエスに生返事をしてもう一度ため息をつくと、夜会に臨むべく気分を切り替えた。

 ロンディニウムの西の外れにあるミドルハムの離宮は、『離宮』と名がついてこそいるが、そこそこ大きい上に堅固な戦構えが目立つ城だった。車止めも玄関も、大変に重厚な造りをしている。
 後から聞いた話だが、東のホリールード離宮とともに、実際にロンディニウム防衛の一翼も担っているそうだ。
「リシャール殿、お待ちしておりました」
「エルバート殿、今夜はご招待ありがとうございます」
 時間も早いせいか、招待主であるエルバートが自ら迎えてくれた。
 もちろん離宮の主はアルビオン王家であるが、今だけはエルバートが城代のような扱いで、城の衛兵や騎士達も彼に従っている。名目はともかく、彼にとってもこれは公務なのだ。
 リシャールは、着ていた外套をアニエスに預け、代わりに紋章入りのマントを受け取った。軽く頷いてエルバートと共に城内へと入る。
「今日から船主になられたそうですな?」
「え、もうそのお話が伝わっているのですか?」
「特使殿は太っ腹だと、噂になっておりましたよ」
 随分と、早手回しなことである。
 いや、感心している場合でもないかと考え直す。
 少なくとも、ロンディニウムでフネを売り払って、その売却益を年末の借財返済に充てるという手段を封じられたことは確かであった。これも、面子や見栄と呼ばれる類の枷なのだ。ウェールズらは多分、リシャールがフネを一度に二隻も買ったという事実で以て、艦隊再編の為の艦船売却に勢いをつけようと意図したのだろうと想像できた。リシャールの首を絞めるつもりはないだろう。結果的にそうなっただけだ。
 取引相手を賞することやその風評を借りることは、決して悪いことではないし、リシャールもその手は使っていた。油漬けにギーヴァルシュ侯爵家の紋章を配して御家お墨付きとしたのも、広義ではこの範疇に数えられる。商家が自慢げに掲げる王室御用達の看板などは、その最たる物だろう。
 それが今回は、自分が名前を貸す側に回ったのである。自らを省みればとやかくは言えない。
「見栄を張るのも、なかなかに大変なんですよ」
 内心までは伝わっていないだろうが、やれやれと肩をすくめてみせると、エルバートも頷いて苦笑していた。

 夜会が始まってからは、次々と現れるアルビオンの中枢に位置する貴顕と挨拶を交わしていたが、エルバートやクーテロ男爵のみならず、『ウェセックス』伯爵までもがリシャールの側に居着いて談笑するという流れになっていた。招待主、主賓、お忍びの王族がひとまとまりになっているから、自然と人々が動くのだ。
 それにしても人が多い。いや、ウェセックス『伯爵』に用がある人々が多いのかもしれない。
「そうだ、リシャール君」
「はい、『伯爵』様?」
 人が切れた合間にウェールズから声が掛かり、何事かと思う間もなくリシャールは肩を組まれて押さえ込まれ、耳元に口を寄せられた。
「許せ、とは言わない。
 ……こちらも形振りを構っていられない状況でね。
 だがこの顛末、ウェールズの名に賭けて必ず埋め合わせをさせて貰うと誓おう」
 端から見れば、何事かじゃれあっている風にしか見えないだろう。ウェールズの顔は笑顔だった。もちろん、リシャールに向ける目だけは笑っていない。
「それから、これを頼めるかな?」
 そのままの体勢でウェールズは懐から封のされた手紙を出し、リシャールへと押しつけた。アンリエッタから預かったものと同じ様な、宛名も署名もない小さな封書だ。
「……必ず、姫殿下へとお渡しします」
「ふむ、すまないね」
 昼にも同じ言葉を聞いただろうか。
 だが、もしかしてこの為だけに夜会へと現れたのではないだろうかとの疑問がリシャールの中に生まれるほど、ウェールズは先とは違う本当に嬉しげな笑顔をしていた。
 本当に食えない王子様だった。まあ仕方がないかという気分にさせるのが、上手すぎる。
 任務完遂の報告や職杖の返上などもあるので、王城へは帰国後一番に訪れる予定であったから、アンリエッタにはその時に渡せば良いだろう。
「随分と楽しげなご様子であられますな、『伯爵』閣下?」
「ああ、まったく、まったく!
 フィンドレイター伯、彼は実に面白い。
 ちょうど、彼が買い取ってくれたフネの使い道について話していたところだ」
「ほう?」
「アルビオンにも寄港してくれるそうだからな、外務卿たる貴殿も無関係ではないだろう?
 話に加わらないか?」
 ウェールズに押さえ込まれたまま、リシャールは次の相手と挨拶を交わした。夜会は宴もたけなわで、まだまだ忙しい時間帯なのだ。
 余談だが、この日振る舞われたリシャールの手産物である油漬けは、エルバートやウェールズが手配した料理人の力量と相まって、非常に好評を博したようである。

 明けて翌日。
 午後に視察の予定が入っていたが、午前中は手分けをしてセルフィーユへと持ち帰る土産などを買い込むことにした。普通はこの様なことにまで領主は関わったりしないが、ロンディニウム市街を実際に見て回りたいという希望もあったし、土産を貰うと何となくありがたいものだという、打算的なものも少し含まれている。
 それでもちゃっかりと、自分用には度の強い蒸留酒を、カトレアにはアルビオン王家御用達の店でティーセットなどを買い込むリシャールだった。少し考えてから公爵一家や姫殿下などの分も選ぶあたりが、小心者かも知れない。
 午後はエルバートの案内で竜騎士隊の駐屯地を見学したが、トリスタニアにあるそれとは大きな違いはないなと確認するにとどまった。但し、トリステインには同規模の駐屯地が王都の一つしかないのに対し、アルビオンではここロンディニウムの他に、ロサイスやダータルネスにも同じくらいの駐屯地があるという。流石はこの世界屈指の竜騎士隊を誇るアルビオンであった。
 これにてアルビオン行での公務は全て終了し、あとは明日を待ってハヴィランド宮でジェームズ王から返書を受け取れば帰国する予定だったが……。
「え、滞在が一日延びるのですか?」
「はい、関税問題の下交渉が少し長引きまして、明日へ持ち越されることが決まりました」
 内乱の影響なのだろうと想像は付いたが、仕方あるまい。詫びるド・フラゴナールには気にしなくて良いからと返事をするが、彼も立場上相当に苦しい筈であった。
 かと言って、リシャールが口を挟んでもろくなことにはならない。黙って邪魔をしないことが、どちらの為でもあった。
 翌朝、こちらは予定通りにハヴィランド宮を訪ねた。返書を受け取る為にジェームズ王へと目通りを願うと、もちろん、すぐに応接室らしい部屋へと通される。
 返書はすぐに授けられたが、王の一言で従者らが人払いされ、リシャールだけが残された。
「セルフィーユ子爵よ」
「はい、陛下」
 リシャールを見やるジェームズ一世の顔は、笑っているようでもあり怒っているようでもあった。強い意志は感じるが、中身が読みとれない。
「……どうであったか?」
 何を聞かれているのかは、すぐに分かった。
 躊躇いなくそれを聞く眼前のジェームズ一世は、やはり大国の王なのだと悟る。あるいは、歯牙にもかけられていないのか。
 どちらにせよ、正直に思うところを口にするしかない。話術を弄してどうこうという相手でないことだけは、肌で分かった。
 一瞬だけ目をつぶり、深呼吸をする。

「はい、恐れながら申し上げます。
 殿下は人の上に立つお方なのだと、感じ入りました。
 そして私自身は……本当の意味で、良い勉強をさせていただいたと思います」

 一昨日の夜会の後、離宮を辞して落ち着きを取り戻してからだが、一つ気付いたことがあった。
 取引の中心となったマスケット銃の製造原価は、一丁百六十エキューである。そして、体よく押しつけられた形にはなったし相当に苦しいところでもあるが、間に別の商人が入って仲介を行ったわけではなく、この売買契約は完全な形での製造直売となっていた。
 つまり。
 リシャールが七百五十丁のマスケット銃を製造するために必要な金額と時間を考えてこの取引を俯瞰すると、半年払いの十二万エキューで二隻のフリゲートを手に入れたとも言えるのだ。両フリゲートの状態を確認するまでは何とも言えないが、相場を考えれば降ろした砲の評価額を勘案しても捨て値に近い。
 ここだけ聞くと、一体どちらが損をしたのかわからない話になってしまう。
 いや、セルフィーユ製マスケット銃と同等の品の製造に着手する為の解析期間、設備の新調、材料の手配、工員の慣熟などを考慮すると、時間を買ったと言うべきだろうか。
 もしも、この点までを計算した上でリシャールへとフリゲートを押しつけたのであれば、ウェールズは相当に食えない人物である。
 国王不在のトリステインにとり、次代に優秀かつしたたかな指導者が約束されているアルビオンの現状は、まことに羨ましい限りであった。

 リシャールは出来るだけ短くまとめると、ジェームズ王の反応を待った。
「ふむ」
 一つ頷いてしばらく考え込んだジェームズ王は、やがて口を開いた。先ほどとは違い、僅かな笑みが浮かんでいる。
「そなたは『子供子爵』でなく、『子供のふりをした子爵』であったのだな。
 トリステインには『鳥の骨』などとあだ名される者もおるが、あれとて『屋台骨』か『背骨』の間違いであろう?
 まったく、トリステインは複雑な国であるな。
 ……セルフィーユ子爵よ」
「はい、陛下」
「『トリステインの花』は将来いかな咲きようをせるや、そなたはどう見る?」
 今度こそ、リシャールは返答に窮した。

 ジェームズ王から、懲りずにまた遊びに来いとの一言を貰って王城を辞したリシャールは、そのままクロイドンの港へと馬車を向けた。『クーローヌ』のフーレスティエ艦長に、とても重大な頼み事があったのを忘れていたのである。
 渡り板を守る衛兵に声を掛け、艦長の元へと案内して貰う。
「おや、閣下?
 出発は明日以降と聞いておりましたが……」
「ええ、それは承知しております。
 お聞き及びかも知れませんが、少し困ったことになりまして」
「……何か変事でも?」
 フリゲートの件は、艦長の耳には入っていなかったらしい。リシャールは頭を掻きながら、事の顛末を説明した。
 もちろん、苦しい台所事情などは黙っておく。
「フリゲート二隻、でありますか!?」
「ええ、もちろんラ・ロシェールまでで構いません。
 なんとか二隻とも、トリステイン国内まで回航して貰えないかと……」
 フーレスティエ艦長は、即答でリシャールの希望を引き受けてくれた。退屈の虫がようやく治まったといった非常にいい笑顔をしているので、頼んだこちらが驚いたほどだ。
「おお! もちろん構いませんとも!
 なに、敵艦を拿捕したと思えば、どうと言うことはありません。
 むしろありがたいお申し出であります。
 ……従兵! 従兵!
 至急航海長、掌帆長の両名をここへ!」
「はっ!」
 艦長付きの従兵は素早く走り出し、すぐに二人の若手士官を連れて戻ってきた。
「ド・グラモン航海長、ド・クープラン掌帆長、出頭いたしました」
 彼らは若手と言えども、艦内では副長に次ぐ立場であり、リシャールも、もちろんこの航海で顔を覚えていた。
 グラモン航海長は二十代前半で、これはもてるだろうなあといらぬ感想を抱くほどの美男子だった。無駄に気障なところもなく、落ち着いた雰囲気は好感が持てる。父親のグラモン伯爵を知っていると彼に告げると、とても驚かれた。伯爵は王軍の元帥であったが、リシャールは自分の結婚式で、ラ・ヴァリエール公爵より古い友人であると紹介されていたのを思い出したのだ。
 クープラン掌帆長も二十代だが、こちらはグラモン航海長とは正反対で職人肌の男である。寡黙ながらも信頼できる男として、艦内での評価は高いようだ。下級貴族の出身で、代々空海軍に奉職してきた家系だという。
「うむ、ご苦労。
 ……貴様たち、艦の指揮を執ってみたくはないか?」
 一瞬だけ顔を見合わせた二人は、リシャールが驚くほどに目を輝かせた。
「えっ!? も、もちろんであります!」
「自分も是非!」
 それほどのことなのかとも思ったが、当直士官として一時的に艦を預かることはあっても、彼らが実際に艦の指揮を任されることは希であった。いくら経験重視で現場主義の空海軍でも、士官全員の訓練を活発に行えるほどフネが余っているわけではないのだ。勢いづくのも無理はない。
「喜べ、貴様ら!
 こちらのセルフィーユ子爵閣下がフリゲートを二隻、ご用意して下さった。
 貴様らは役務艦長としてそれぞれの艦を指揮し、ロサイスよりラ・ロシェールまで回航せよ。
 副長と相談の上、必要な運行要員を予め選んで任務に備えておけ!」
「「了解しました!」」
 役務艦長とは、本来ならば艦長職に就けない者が艦を任される場合に、一時的に階級を引き上げられる制度とその役職のことである。敵艦を拿捕した場合や、戦死戦傷などの理由で艦長の代行を行うべき士官が全滅したフネを任される場合に、現場の最上位者から発令されることが多い。正規の任官ではないが、記録には残るので出世の早道にもなった。
 二人が下がると、艦長はリシャールへと向き直った。
「彼らに経験を積ませてやることもまた、艦長の仕事であります。
 あの二人も数ヶ月から数年後には本物の艦長として、一艦の指揮を任されることになりますからな。
 閣下は実によい機会を下さいました」
「いえ、艦長ならびにトリステイン空海軍のご厚意に、心より感謝いたします」
 リシャールは、フーレスティエ艦長としっかり握手を交わした。これで心配事が一つ、減ったことになるのだ。

 二日後、エルバートやクーテロ大使に加えてなんとウェールズにも見送られ、リシャールらを乗せた『クーローヌ』号はロンディニウムのクロイドンを後にした。
 ぎりぎりでなんとか交渉をまとめたド・フラゴナールと、一時的な金策をどうしようかと悩んでいるリシャール自身が、二人して憔悴気味であったことを除けば行きと変わりのない様子であった。色々あったが、前向きに行こう。……と自分を鼓舞しては見るが、なかなかにこれが難しい。
 ロサイスの軍港で自身の所有物となった二隻のフリゲートを目にして、ようやく気分が晴れたリシャールだった。現金なものだと自覚をしていても、押さえきれるものではない。
 『アラクリティー』と『インプラカブル』の二隻は、並べて係留されていた。隣の桟橋に横付けされた『クーローヌ』と比べれば随分と細身で小さな姿だが、軍艦特有の力強い雰囲気はもちろん、精悍さでも引けを取らないように思える。
 港に降りたリシャールは軍港の係官をつかまえて事情を話し、グラモン航海長らと連れだって実際に中を見せて貰うことにした。
「実に楽しみであります、閣下」
「ええ、まったく」
「ええい、今になって緊張するとは……」
 両艦ともによく整備されており、ラ・ロシェールまで艦を任せる二人によると、ざっと見た限りでは大した損傷もなく、状態も随分良いらしい。艤装や装具類はもちろんそのままで、砲こそ減らされて砲甲板ががらんとしているものの、帆や風石機関などの点検を済ませて水兵を配置すれば、いつでも出航可能だろうとのことだった。
「では、こちらにご署名をお願いします」
 受け渡しは待っていた係官に書類を示し、受領書に署名を入れるとそれだけで終了した。拍子抜けするほどあっけなかったが、契約などの大事な部分はロンディニウムで済ませてあったから、これでいいのだろう。
「貴様らにとっては正念場だぞ。
 上手くやろうとするな、安全確実な行動を肝に銘じておけ!」
「はい、『司令』!」
「では、ド・グラモン『艦長』、ド・クープラン『艦長』、二隻をよろしくお願いします」
「はい、閣下!」
 二人の役務『艦長』は、フーレスティエ『臨時戦隊司令官』より予備の軍旗を受け取り、リシャールに笑顔と敬礼を向けてからそれぞれに任された艦へと走っていった。水兵はともかく、准士官や士官候補生らも本来ならば就けない配置を任されるとあって張り切っているようだ。艦長は艦長で陣形がどうのと副長と相談していたから、艦隊行動の訓練も同時に行うらしい。
 後になって、艦長が大乗り気で張り切っていた理由は、自分も艦隊司令官の真似事が出来るからだろうと士官たちから聞かされては、苦笑するしかなかった。
「『アラクリティー』移乗組、急げー!」
「船匠班は『インプラカブル』に先行! 索具点検が先だ!」
 『クーローヌ』からは合わせて百五十名ほどが融通されたが、そんなに乗組員を削って大丈夫なのかと心配になるほどだ。
 だが、乗組員の大半を占める砲員は、予備の航海要員としての訓練も受けていると教えてもらった。彼らは入れ替わり立ち替わり、普段から掌帆員や風石機関員として配置に就くことになっていて、敵弾を受けて動ける乗組員が減っても、航海にだけは支障が出ないようになっているのだそうだ。
 リシャールもアニエスを連れて出航準備中の両艦に乗り、視察よろしくうろうろとしてみるが、やはり気分はいい。
「カトレア様がびっくりなさるかもしれませんね」
「ええ、お土産にしては、ちょっと大きすぎますねえ。
 実際にセルフィーユへとフネを迎えるのは、いつになるやらわかりませんが……」
 就役までには、船籍の登録や船長の雇用に始まって、船員の募集や訓練、慣熟航海と、様々な手間がかかる。更には、簡易桟橋と風石の補給所しかないセルフィーユ側の受け入れ準備も行わなくてはならない。
 それに最も重要な、実際にどう運用するのかという問題が残っていた。青写真はあっても、具体的な内容には手を着けていない。フネを手に入れるのが急すぎたのだ。
「そうだ、名前も考えておかないと」
 今はアルビオン空軍所属当時の名で呼んでいるが、引き渡しも終わった現在では、二隻とも仮の名前であった。
 船縁をぽんぽんと叩いて気分を入れ替え、なんとかラ・ロシェールに到着する前に名前を決めようと、それらしい名前を幾つか諳んじてみる。
 だが、近日中にもう一つ大事な名前を用意しなくてはならないことに気付いたリシャールは、フネのことを一瞬で忘れてそちらばかりを考えはじめた。






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