ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第六十一話「義姉(後)」




 一つ深呼吸をして、力を抜く。そうして落ち着いてから、リシャールはあらためて祖父の顔を見た。
 まさかクレメンテとの密約を話すわけにも行かず、さりとて自分も悪いことをしているという自覚はない。
 祖父らと自分とでは、やはり基準となるものが違うのだ。
「あの、お爺様、まず前提が異なるのです」
「うむ?」
「新しく来た者たちは、セルフィーユに流れて来たのではありません。
 招聘に近い形で呼ばれ、この地に来た者たちなのです」
 リシャールは、表向きの理由を最大限に誇張して、祖父に語った。
「領地はそれなりに広く新村開拓も可能なほどですが、私がこちらに来た時、人口はわずかに六百人ほどでした。
 これでは回るものも回りません。城勤めを集めるのにも困りそうなほどでした。
 それでも幸いにして、近隣からは徐々に人が流れてくるようにはなりました」
「ふむ」
「しかし、それだけでは無意味でした。
 私がエルランジェのお爺様に無理を言ってこの土地を選んだ理由は、鉱山と港が領内にあったからです。
 これを何とかしないことには、顔向けができません。
 そこで頼ったのが、ここセルフィーユ司教区の司教様、クレメンテ猊下です。
 猊下はとても顔の広いお方で、方々にお声をかけて下さいまして、今のように人口が倍する勢いでこのセルフィーユへと人々が集まりました。
 それも単に頭数が多いわけではなく、メイジや元役人などを含んでいました。
 おかげで、当初の予定よりも早く製鉄所を動かすことができました」
 茶杯を口に寄せ、ぬるくなった香茶で口を潤す。
「それを蔑ろに扱ったとあっては、猊下のお名前に泥を塗ることになりますし、家名にも傷がつきます。
 それにもう一つ、口に出したことはありませんでしたが……」
「なんだ?」
「これには元からの領民も含みますが、逃亡ならまだしも、暴動や反乱を起こされるのは絶対に避けたかったのです」
 流石に暴動や反乱とまでは行かなくとも、サボタージュや能率の低下は領内に、ひいては借財の返済に悪影響が出ることは必至であった。
「特に当初は、兵士は隊長一人、メイドまで入れても四人きりの家臣団でしたからね。
 乱の鎮圧をするなどと言っても少々無理がありましたし、その後の領政にも影響が出過ぎます」
 メイジ抜きの平民数百人ならば、生死を問わないという前提であればリシャール一人でも恐らくは鎮圧出来る。大きめのゴーレムで、有無を言わさず建物とひとまとめに更地へと変えてしまえばよい。アーシャが手伝うならば、上空から『震える息』が撃ち込まれるから、もっと簡単に事は運ぶだろう。
 だがもちろん、各家庭に包丁があるからと言って必ず殺人事件が起きるわけではないのと同様、リシャールにそれが出来るとしても絶対にしない、してはならないことだった。
「安定した歴史を誇るアルトワでなら、例え家を継いだのが子供であったとしてもそれを支える家臣もおりますし、そのようなことを心配しなくとも人々は領主についていきましょう。
 でも、それまでは代官が治めていた土地に突然子供がやってきて、新しい領主ですと言ったところで……その信用はどれほどのものか、疑うまでもありません。
 人気取りでも何でもいい、少なくとも前よりは良い暮らしが出来ると信じさせることが必要でした」
 それで領内が安定するならば、投資としては安いものだ。それに、やる気というものがどれほど人間の行動に影響するかについては、前世の店長時代だけでなく、こちらに来てからも知る機会は多かった。
「また、税を下げたと言っても、それは周囲より下げたと言うだけでアルトワの税率と変わりのない割合ですし、仕事を与えはしましたが……これも、飢えた領民と飢えていない領民のどちらがより不満が少ないか、どちらがより沢山働き、より多い税を納めるか考えれば、自ずと答えは出ます」
 自分でも人が悪くなっているなとは思うが、ある意味真理でもあった。
 税収を増やす方法は幾つもあるが、税率を変えないとするならば、納税者の収入を底上げするか、納税者の数を増やすことが必要になる。それはそのまま領地の収入となるから、領主としては無視し得ない。
 逆に任期中に最大限の収入を上げることが必要な代官などは、税を多く取ろうとする傾向にあった。私腹を肥やすにも容易く、肥やさずとも中央や雇用主からの評価が大きく変わるからだ。任期が終われば、治めていた土地のことなど気に留めることはなかった。
「ですから、今は少し大変ですし持ち出しも多いですが、しばらく……そうですね、十年もすれば落ち着くと思います」
 祖父は一つ頷いてから考え込んでいたが、しばらくして口を開いた。
「その件は、お前も考えているようであるな。
 それとリュシアンのことであるが……」
「はい」
「本来ならば、礼を尽くして頭を下げねばならんのは、ラ・クラルテ家の現当主であるわしの方なのだ」
「いえ、でも……」
「馬鹿者」
 ニコラは静かに、しかし重々しくそう口にした。
「お前はわしの孫でもあるが、セルフィーユ子爵家の当主であろうが。
 それも当家のようなどこにでもある勲爵士の家ではなく、歴とした領地を持つ諸侯だ。
 ……お前ならば、おそらくは二つ返事で結婚と出奔を許し祝いまで贈ろうとするだろうと、リュシアンもクリスチャンも口にしておったし、わしも間違いなくお前ならそうするだろうと思っておった。
 だがそれと同時に、セルフィーユではない諸侯の家臣を嫁に貰うとすれば、どうなっていたかも容易に想像できるのだ。
 だが、リュシアンはおろかエステルでさえ気づいておったことに、お前は気づいていなかったらしい」
「お爺様……」
「クリストフ様へとご報告申し上げた折、お前が否と言うならば、借財の棒引きをしてもよいとまで口にされていたのだぞ。
 半ば笑顔ではあられたが、驚きの余り二度もクリストフ様に確認させていただいたわ。……それでも現にお前との交渉の切り札にと、わしに裁量が委ねられておる。
 いや、無論、当家のアルトワ伯爵家への忠誠が評価されていると言うことでもあるし、お前のことをよく存じていらっしゃるクリストフ様故のことだが、決してそれだけではないこと、判るな?」
 同じ家臣同士の結婚でも、両諸侯に歓迎される慶事と見るか、自らが囲う家臣が起こした不祥事と見るか。
 リシャールの後見人の一人でもあり、元の主人でもあるアルトワ伯クリストフをしてそこまで言わせるだけの問題であるのかと、リシャールは絶句した。身分の差だけではない。貴族同士の横のつながりも絡む、大きな問題であった。
「お前の家族を思う心や、家臣や領民を労る気持ちに嘘はないとしてもだ、それだけでよいというものではない。
 ……この度のこと、よくよく考え、決して忘れるでないぞ」
「はい」
 重苦しい空気の中で、リシャールは祖父に頭を下げた。
 打ちのめされたと言ってもいいかもしれなかった。

 その後、平民であるミシュリーヌを貴族の嫁とする為の工作は、全てをラ・クラルテが引き受けるので口出し無用とニコラに一喝され、リシャールも折れそうにない祖父に仕方なく頷いた。
「まだうちの家臣なんですが……」
「そうは言うがこの度の件、これぐらいはせねばラ・クラルテの名折れよ」
 話を聞けば、どうも一度、懇意にしている知り合いの勲爵士の家に養女として迎えられてから、ラ・クラルテへと嫁に出されるらしい。既に大凡の段取りまで組まれているとなると、リシャールもそれ以上は言えなくなった。
「幸いなことに彼女の家系……と言うか、直系のご先祖様のことがわかってな。
 彼女の亡くなった祖父が、さる侯爵家の御落胤だったそうだ」
 あまり表立って口に乗せるようなことでもないが、貴族が平民に手を出して、もしくは極めて希な事ながら愛し合って、結果、私生児を産ませることはかなりあった。酷く問題にされるほどの醜聞というものでもない。あまりにも数が多すぎて、問題視しようものなら互いの首を絞めかねないのだ。
 貴族と平民との格差が大きいトリステインでは、下賜金とも手切れ金ともつかない何かを渡し、関係を切ることが多い。
 だが、貴族側の血が濃く現れてメイジとしての才能を認められた場合などは、身分はそのままであっても領内に限っては平民のメイジではなく領主一族に連なる者として丁寧に扱われたり、時には別に貴族籍を用意して一家を立てさせたりすることもあった。段階を踏んだ複雑な手続きや調整の末、正式な『養子』として家に迎え入れられて体裁を整えられることすらある。
 誇り高いトリステイン貴族とは言っても、余程の大貴族でもない限り実体はこの有様だった。体面が取り繕われていれば、おしゃべり雀はともかくも、貴族院や王政府が口を挟んでくるようなことにはならない。
「出自自体を今更あれこれと論ずることは出来ないが、本人にも家族にも問題がないのでな、お前も心配せずともよい。
 それに行儀見習いはともかく、花嫁修業も兼ねることになるから、実際に嫁いでくるのはしばらく先になろう」
「なるべく早めにお知らせくださいね、お爺様」
「うむ」
 せめて祝いだけでも盛大に贈ろうと、リシャールは頭を巡らせた。兄たちを祝う気持ちに変わりはないのだ。
 最後に翌日の視察の予定などを打ち合わせると、既に夕食前の時間となっていた。兄たちと話すどころではないほど、祖父との対談は長きに渡ったようである。
 晩餐を告げに来たメイドに頷く。
「お爺様、こちらではお客様なのですからゆったりと構えてらして下さいね」
「しかしな……逆に気を使うわ」
 先ほどまでの真面目な話との切り替えは済んでいたから、今は祖父と孫として過ごしている。
 食堂にはカトレアや兄らも既に揃い、リシャールとニコラを待っていたようだ。
 席に着くとすぐ、メイドたちの手によって食前のワインが注がれる。祖父が同じテーブルに着いているのに、自分が上座というのが落ち着かない。
「兄上とミシュリーヌの未来に、始祖の加護が多からんことを。
 乾杯!」
 リシャールは、先ほど僅かに祝いの言葉を述べただけにとどまった長兄とミシュリーヌに目を向け、酒杯を掲げた。
 照れくさそうな二人に、カトレアと顔を見合わせてくすりと笑う。
 先ほどまでの小難しい話はさておき、やはり家族と過ごす時間はいいものなのだ。

 翌日、兄からは謝罪と同時に『何か困ったことがあれば遠慮はするな』との言葉を貰ったが、その件についてはお爺さまと話はついているからと、恐縮する兄をなだめるリシャールだった。
 祖父に説教されるまではこちらの方が軽く考えていたのだから、今回の件がこの程度で済んで良かったのかもしれない。他の貴族家とのつきあい方についても、考え直すべきだった。
 数日してアルトワからの一行は帰途についたが、次回ミシュリーヌがセルフィーユに来た折には、『義姉上』と呼んでからかってみようかなどと埒もないことを考えつつ、再び執務室の人になっている。
 ここしばらくは、庁舎よりも城の執務室で仕事をこなすことが多かった。衣装合わせなどの諸準備があるので、こちらで仕事をする方が都合良いのだ。
 今は間近に迫った園遊会のために仕事を前倒しにしていた。明日にはヴァレリーらを現地に送り出す予定だ。馬車では一週間ほどかかるところが、リシャールは例の如くアーシャで一飛びである。
 宿泊先については、他国からの賓客や上級貴族が優先されるので宿屋の一室さえ押さえることが難しいだろうとの話で、本来ならば自前で天幕や即席の宿舎を用意すべきところだった。だが、リシャール一人ならばとラ・ヴァリエールのご相伴に預かる事が出来たのは幸いだ。おかげで連れていく随員もヴァレリーの他にはメイドと従者が一人づつで、護衛も馬車一台に馬二頭と最低限である。
 それでも褪せていた馬車の色は新品同様に塗り替えられたし、随行の兵士達には儀礼用の軍服を新しく誂えた。リシャール自身も代わり映えのしない格好ながら、靴まで含めて新しくなっている。これに加えて旅費なども自弁しなくてはならないから、結構な出費であった。
 国にとっては社交上も外交上も重要であろうが、リシャール自身はそのような意味で場の主流になるつもりはまったくなかったし、特にカトレアが出席を控えることになってからは、園遊会は余り嬉しくのない面倒な催し物になりさがってしまっていた。またいつぞやのように、義父の側にでも控えて挨拶でもしていれば良いだろうか。
「なーう」
 いつの間に入り込んでいたのか、リシャールの足下に仔猫が座り込んでいた。
 カトレアが飼っている白い仔猫で、名はプチ。小さいくて可愛いからと名付けられた。
「……『にゃあ』」
「なー」
 カトレアは結婚に際して、それまで可愛がっていた動物達を自然に帰していた。元から人に飼われていたものではなく、怪我をしていたのを助けて懐かれたりした動物が大半だったから、あるべき姿に戻っただけとのことだった。セルフィーユの城にはアーシャがいるので野生動物が不用意に城へと近づいたりすることは滅多にないが、それでも朝などは、カトレアが窓を開けると小鳥などが寄ってくる姿も見られる。試しにとリシャールが開けても小鳥が寄ってこないあたり、つかまえる気などはなくとも見抜かれてるなあと苦笑せざるを得ない。
 この仔猫は、ある農家が飼っていた猫が仔を産んだという話を聞いたリシャールが、カトレアが喜ぶかなと貰い受けてきたのだ。農家では猫を飼うことが多いが、倉などの鼠除けには安価かつ有能な存在で、猟師にとっての猟犬や牧畜における牧羊犬などと同じく、生活を支える大事な動物だった。王都などならば貴族が飼って愛でるような観賞種の猫もいないではないが、セルフィーユ生まれのプチは正真正銘の実用種である。
「なー」
 プチはかりかりとリシャールに登ろうとしていたが、仔猫の力ではまだ無理なようであった。
「なうー」
「わかったよ。
 ……ほら、行こうか」
 何となく気をそがれてしまったリシャールは書きかけの書類もそのままに、プチを両手でそっと胸元に抱きかかえると、休憩も兼ねてカトレアがいるであろう居間へと向かった。
 彼女はそこで、いつものように刺繍や読書をしているはずだ。
 リシャールは、園遊会を乗り切ればあとはまた領内のことに集中できるかと、小さくため息をついた。






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