ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第十八話「エルランジェにて(後)」




 再びアーシャに騎乗して空に上がったリシャールは、同じようにしてもう一人盗賊を降伏させ、暫くは村の上空で旋回していた。
「もう粗方終わったみたいだね」
「きゅ」
 村の方では、縛り上げた盗賊を一カ所に集めているようだった。
「降りようか」
「きゅー」
 もう日が暮れかけているので、松明を持った兵士も何人かいた。その傍らにふわりと降りて貰う。
 それを見つけた祖父がやってきた。
「おおリシャール、ご苦労じゃったな。
 まだ小物が二人ほど捕まっておらんからピエールが追っておるが、この分じゃと境界を越えて隣の領地に逃げ込んだじゃろうなあ」
「お祖父様、もう一度空から行きましょうか?」
「いや、構わんじゃろう。
 村長も、殴られたりはしたようじゃが無事にパンジャマンが助け出したしの。
 それに元は向こうから追われて逃げてきたんじゃ、あちらでも探しておるて」
 あらためて盗賊達を見る。そういえば、アーシャの震える息で倒した二人はどうしたろうかと思い出して祖父に聞いてみる。
「ん、あの二人ならあっちに寝かされておるわい。
 手足は折れとるが、口は達者じゃったぞ」
「はあ」
 なんとも根性の座った盗賊であると、リシャールは妙に感心した。
「なんにせよ、お主も、お主の使い魔もようやった。
 最初の咆吼で、あ奴ら総崩れになっとったからの。
 おかげで抵抗らしい抵抗も殆どなかったわい。
 それにの」
「はい?」
「お主の竜がブレスで倒したうちの一人があ奴らの頭目、火のメイジじゃった。
 おかげでの、こちらは魔法で攻撃されることもなく済んだのじゃ。
 突撃で軽い怪我をした者もおったが、こちらの被害はそれだけじゃった。
 秘薬も使わずにちょいちょいと杖で治せる程度じゃったから、実質怪我人もおらん。
 リシャールの手柄じゃ、誇ってよいぞ」
「はい、ありがとうございます」
 そうこうするうちに、馬に乗った叔父達も戻ってきたので、縛り上げた盗賊を歩かせて荷馬車に乗せ、城に戻ることになった。
 行きと違って隠れる必要もないので、リシャールは先に城に戻ることにした。
 アーシャの機嫌をとらねばならなかったから、少し急いだ。

 城に戻ったリシャールは、討伐成功の報告も兼ねて祖母に挨拶に行ったが、叔母や従弟を紹介してもらったりアーシャの食餌を用意して貰ったりと、割と忙しく動き回っていた。
 祖母には歓迎どころじゃなくて悪いわねと言われたが、祖父も叔父も出陣しているのに、自分だけがのんびりしているのも居心地が悪いのだ。
 それに二人には、貴族の貴族たる代価を支払う姿を見せて貰えた。これはリシャールにとっては、とても重要なことだった。
 ハルケギニア、特にトリステインでは貴族の平民に対する圧力は強い。リシャールも、変えようとまでも思わないながらもそう言う場面はなるべくなら見たくないし、祖父やギーヴァルシュ侯やアルトワ伯などには、民への慈愛に満ち、難事には勇敢に立ち向かう貴族でいて貰いたかった。
 リシャールの心の中の理想像の貴族、それは物語の中でしか存在し得ないのかも知れない。だが元現代人としては、心の平穏のためにも少しでも近い形で存在していて欲しいものであった。
 
 夜半になって、ようやく祖父達が戻ってきた。
 捕縛された盗賊二十六名は、簡単な取り調べを受けたあと城内の牢に詰め込まれ、まとめて王都へと送られる事になった。領をまたいで罪を重ねたために、ここで勝手に裁くことはできないのだそうだ。
 その夜は皆疲れていたせいもあり、リシャールも案内された部屋で簡単な食事を取ったあとすぐに眠った。

 翌日は客人らしくメイドに起こされて身支度を整え、朝食へと向かった。相変わらず落ち着かないのは、従者の経験が長かったからだろう。
「昨日は悪かったの。
 あらためてわしから家族を紹介しよう」
 テーブルには祖父母に他に、共に討伐に出た叔父ピエール、昨夜祖母から簡単に紹介を受けた叔母オレリー、今年六歳になった従弟リオネルが席に着いていた。この中では、血族の序列的にはリシャールが最も下なのだが、ゲストとして扱われているのである。
 リシャールもそれぞれに挨拶を返し、和やかに朝餐が始まった。
 ハルケギニアでは、三度の食事では比較的朝に比重が置かれている。子供の頃は戸惑ったリシャールだったが、流石にこちらはもう慣れていた。
 昨日預けた油漬けと塩油漬けが早速使われているようで、リシャールとしても嬉しいものである。
 午前中、祖父と叔父は政務と野盗の件の後かたづけということで、リシャールは従弟リオネルと遊んで過ごした。叔母達の許可を取って二人でアーシャに乗り、城の周囲をぐるっとまわって見たりもする。
「リシャールどの、すごいです!」
「リオネル様、あまりはしゃぐと落ちてしまいますよ?」
 リシャールは、物怖じしない子だなあと微笑ましく見守っていた。

 午後になって、リシャールは祖父達に呼ばれて応接室を尋ねた。
「リシャール、まあ座れ」
「はい、失礼します」
「すまないね、遊びに来て貰っているのに」
「いえ、十分すぎるほど休ませていただいておりますよ?」
 少なくとも、ここでは壷仕事に追われるようなことはない。
「なにか、大事なお話なのですか?」
 叔父の態度に少し疑問が浮かぶ。
「大事かと問われると大事なのだが……」
「うむ、リシャール。
 お主、こっちでもギーヴァルシュでやらかしたイワシのようなの、妙案はなんぞないか?」
「……はい?」
 にっと笑う祖父に対し、叔父が苦笑していた。

 いきなり無茶を言われたリシャールだったが、ここで祖父に恩返ししておくのもいいかと考えた。しかし、安請け合いは流石に出来ない。
「あの、ご領地の詳しい事をお聞きしていいですか?
 それと、何か書くものを貸して下さいませ」
「うむ、どのようなことじゃな?」
「まずは人口や、収穫される作物や土地の使われ方、それから……」

 リシャールは、エルランジェ領の詳しい情報を二人から聞き取っては書き付け、整理していった。
 総人口は約三千、主な農村の数は五つで、そのうちの三つは人口五百人近いかなり大きな村である。その他にも、小さな集落も数多い。
 領地の主な収入源は、当然のように麦で、耕地に適さない丘陵や休閑地では牛馬や豚の放牧が行われている。川は細いので農業と飲用にしか利用できず、林業はそれを集中的に行うほどの大きな森がない。鉱山はもちろんなく、他に目立った産業もなし。トリステインの伯爵領としては、少し大きな部類に入るだろうか。
 リシャールはもちろん考え込んだ。脳裏には、前世の勤め先であるスーパーマーケットの商品棚。入り口から順に思い浮かべては消し、ああでもないこうでもないと思考を重ねる。
 労働力は農村と言うこともあって、苦役に頼らずとも賃金によってそこそこ楽に確保が出来るだろう。しかし、それを利用する手段がないのだ。
 例えば、牛馬に変えて羊を放牧すれば羊毛とそれに関連する産業が生まれるが、多分アルビオン産のものの方が当初から高品質だろうし、何よりも、ハルケギニアに元から存在する品なので、新規事業による旨味が少ない。何か商品作物を手に入れてきて栽培を奨励するにしても、哀しいかなリシャールには栽培の知識がなかった。
 豆で豆腐、豆腐から凍り豆腐とも一瞬考えたが、製法は試行錯誤でたどり着くにしても、大体、豆腐では輸送に難がある。そこまで寒い地域でもないので、豆腐はともかく凍り豆腐の製造は不可能だった。
 鉱山か何か地下資源でもあるのなら鉱工業という手もあったが、これも考えるだけでは仕方がない。こちら、そもそも調査の方法からしてわからない。
 流通の問題もあるから、食材にはこだわらないにしても、足の短い物というわけにはいかない。王都までは荷馬車で二日と少し。なんとも困った限りであった。

「うーん」
「まあ、それほど根を詰めて考えんでもよいぞ」
「無理を言っているのはわかっているのだからな」
 いっそ、リシャールに可能な考えつく限りの手を打って、総生産力でも上げた方がよいのではないかと思うほどである。
 思えばハルケギニアでの農業は、中高の授業で習ったような休耕地をはさんだ三圃式農業であるから、輪作によって生産力を増やすことは可能だとリシャールにも思えた。麦の合間に豆と根菜と牧草を挟み込むだけで、休耕地を無くしてしまえるのだから、土地の有効利用度は単純計算で三割増しになる。更に堆肥の集約的な利用なども追加してやれば、飛躍的に収量が上がるはずだ。
 だが、問題も大きい。下手をすれば試行錯誤に十年単位の時間がかかるのは明白だった。これは祖父達の求めている物とは少し異なるはずである。リシャールとしても、そこまでのことは出来ない。下手をすると一生かかってしまう。

「あー、リシャール、少し休憩しようか」
「リシャールよ、茶でも飲まぬか?」
「ありがとうございます、いただきます」
 ハルケギニアの茶はなべて香草を煎じて入れた香茶、いわゆるハーブティーである。紅茶もないようだが、コーヒーか緑茶が飲みたいリシャールだった。
 そういえば、麦茶なんてものもあったなと思い出す。
 ……作ってみるか。
「厨房をお借りできますか?
 ちょっと思いついたことがありまして、商売になるほどではないですが……」
「うん、かまわんぞ?」
「気分転換によいなら行っておいで」
「はい、一旦失礼します」

 厨房で小さい鍋を借りて、脱穀前のビール麦を一掴みわけて貰う。ビール麦は別棟の倉庫までわざわざ取りに行って貰ったので、少々申し訳なかった。
 麦茶のパックの中身を思い出しながら、焦げ茶色になるまで煎る。しばらくすると独特の香ばしい香りになったので、鍋に水を注いで今度は煮出す。スプーンで味見しながら待つこと十数分、それらしい物が完成した。
 出来た麦茶は茶器や菓子と一緒にメイドさんに運んで貰うことにして、リシャールは先に祖父達の元に戻った。
「何をしておったんじゃ?」
「麦で茶を作っておりました」
「なんとな!?」
「君は不思議なことをするのだな……」
 しばらくして運ばれてきた茶を飲んだ二人は、まんざらでもない様子である。
「ほう、ビール麦にこんな味わい方があったとはのう」
「さっぱりしていて悪くない味だ」
 ビール麦を煎って煮出すだけなら、そこらの店でもすぐに出来る。魅惑の妖精亭になら教えてみてもいいかもしれない。しかし、これでは小売りでは商売になっても、卸売りでは話にならないのだ。

 やれやれ、と窓の外を見てみる。エルランジェの城は丘の上に建っているので、眺めがいいのだ。放牧されている牛や馬が見える。丘が多いので、領地が広い割に畑の面積が取れないことも聞かされた。
 目立つような産物が何もない。
 これでは、日本と同じである。
 ……。
 日本と同じなら、加工貿易でも良いのではないだろうか?
 ここには目立った街こそないものの大きな村が多いので、人手の確保はしやすい。
 では、何を持ってくればいいだろう。
 いや、持ってこなくてもいいか、ある物を使うように考えよう。
 あるのは麦畑と牛と馬。丘と小川。それなりの人手。
 麦なら麦酒だが、エールもビールも蒸留酒も既に存在している。ビール麦はビールやエール、更に蒸留されてウイスキー様の蒸留酒になる。では小麦はどうだろう。これも使えるか。いやまて。
 アブサンなどのリキュールはどうだろう。これならば、作業自体は現行の蒸留酒製造に、ポイントになる香草や材料を加えるだけで良い。さほどの労力なしに付加価値が高められる。全部が全部成功するとは限らないが、試飲と熟成の繰り返しで洗練させていけばいい。極端な大儲けは無理でも、変わった物に飢えている貴族や富裕層には受けるだろう。古酒や薬酒などはハルケギニアにもあるが、フレーバーという考え方は新しいかも知れない。
 それに、他の地域が真似をしても風土や気候の違いもあって、同じ工程を経てもまったく同じ物にはならないから、ワインの様に産地毎に多種多様なものが出来上がる。先鞭をつければ、市場ではかなり優位な立場に立てるはずだ。よし。

「お祖父さま、叔父上。
 少し面倒で時間もかかりますが、こういうものは如何でしょうか?」
 リシャールは、二人にリキュール製造の話をしてみることにした。







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